11話 生まれ変わり
魔王の身長は私よりも二十センチほど高い。なのに今は彼の体がやけに縮こまって、本来の背よりもやけに小さく見える。
魔王はたっぷりと息を口から吸い込み、しばらく溜め込んでからゆっくりと長く吐き出した。
「クレア」
その瞳は瞬きすらしていない。
「はい」
だから私も、応えるように見詰め返す。
「……何百年か前の話になるかな。俺とクレアは、人間の言葉で言う……恋人同士だったんだよ」
「……え?」
「俺はクレアを愛していた。クレアも多分、愛してくれてた……と、思う。そうだと良かったんだけれども。俺はクレアがくれる言葉に確信を持てずにいたんだ」
脈動が一拍分飛んで、また動きだす。そんな心地がした。心臓がやけに痛い。
「クレアは今、俺の目の前に居るクレアと同じ顔で、同じ声で、同じ髪で、同じ賢者の力を持っていた」
どんな話でも受け入れるつもりではいたのだけれども、瞬時に私の口から飛び出たのは否定の言葉だった。
「……私には、そんな記憶はありません。私は十六年前にバラデア王国で生まれて、ついこの間まで……貴方を討伐しに来るまで、私は貴方に会ったことなんてなかった!」
——本当に?
「そうだよね。すぐに信じてもらえるなんて思ってない。この家も、クレアが花畑が綺麗だねって笑っていたからここに作った。それとね、俺が着ている……着物って言うんだけど、これもクレアが俺に似合うって笑いかけてくれた服でさ」
——知らない。やっぱり、知らない話だ。
なのに、何かを思い出すかのように柔らかく笑う彼の顔を見ていると、それを否定出来なくなってくる。
この話をこのまま聞き続けてもなお、私は私を保っていられるのだろうか。
「俺の部屋……畳もそう。とある国を旅していた時に、クレアが着物と一緒に気に入った床だった。着物とか畳だけじゃなくて、クレアが気に入った物は他にもたくさんあったんだけどね」
だからなのかな。家の周りの花畑も、貴方が着ている服も、あの畳の部屋も、やけに私は好きだなって思っていた。
そう、やけにすんなりと理解してしまった自分自身に戸惑いを隠せない。
「でも……あの勇者君達の顔は、俺も知らなかったな。全部が全部、前のクレアと同じってわけではないんだね」
「……前の私って……」
その言い方は、まるで。
魔王の顔だけを見ていた私の視界は、ついに私の膝へと落ちる。膝の上で組まれた指先は、爪が白くなるほどにきつく結ばれていた。
「もうずっと前に……亡くなってる」
もう何を言われてもそんなに驚かないはず。
そう魔王に言ってみせたはずだったのに、私の瞳は小刻みに揺れる。私はとんだ嘘吐きだ。
「なら私……私は、どうして……」
「クレアの賢者の力だよ。本人が強く望めば、同じ姿のまま生まれ変わることが出来る」
魔王は、それがさぞ当たり前であるかのように言う。
「生まれ……変わる? ……え?」
「そう。俺の眼って、その人が持っている潜在能力を視ることが出来るんだ。それで俺が見つけた、クレアの力。……君は本当に類まれな才能を持った賢者だ。他の誰にも出来ない芸当だよ」
私は自分の両手のひらを見詰める。手汗で湿っていた。背中もしっとりと汗ばんでいるような気がする。それなのに、喉は乾く。
「ごめん。クレアがすごく動揺しているのは分かってる。でも俺、君がそのままの姿で俺の前に現れてくれたことが嬉しかったんだ」
「嬉しい……?」
「うん。クレアは望んで、生まれ変わってくれたんだって。もしかしたらまた俺に会いに来てくれたのかなって。…………ごめん。今日はこの話はここまでにしよう。頭、疲れちゃうよね」
魔王の手が動いた。コトン、という音が聞こえる。下を向いていた私の視界に入り込んだのは、白い丸皿に並べられた数種類のクッキーだった。
シンプルな薄茶のもの、木の実が載ったもの、チョコレートのような茶色い粒が練り込まれたもの。甘く香ばしい香りがする。
「このクッキー、クロとヴィクトルが買って来てくれたんだ。君が好きだったクッキー。……食べてみて」
何にも飾り付けられていないクッキーをつまみ、噛んだ。硬めに砕ける音からは想像がつかないほど、口の中でホロホロと崩れる。
「……美味しい……」
「ふふ。そうでしょ。俺もこのクッキー好きなんだ」
「……あのよぉ」
クロの声。私と魔王は同時に彼の方に顔を向ける。
「話、終わらせて良いのかよ」
「これ以上はクレアの頭が疲れるって言ったでしょ」
「さっきも似たようなこと言ったけどさ。生まれ変わったクレアを連れ去ってハッピーラッキーってのは、お前の中でだけの話ってことは改めて忘れんなよ」
「おい、クロ。レイヴァン様に何を……」
「フォローはするって約束しちまったからなぁ」
クロはマグカップに口を付け、傾ける。彼の喉が動いた。
「クレア。両親は? 友達は? 今、レイのせいで理不尽にクレアと別れた人間達が少なからず居るはずだ。……まあ、好きな女の子と一緒に居たいから連れ去りましたってのは、魔王っぽくて俺は嫌いじゃねえけど」
私は両親の写真が入ったペンダントを手に取る。
「両親は……亡くなってるの。友達はアーサー……えっと、魔王様を一緒に倒しに来た勇者と、女の子と男の子の三人。すごく大切な友達」
「そっか。親御さんのこと、ごめん。嫌なこと訊いちまったな」
クロの目線が一瞬だけ魔王に向き、すぐに私に戻った。
「帰りたいか? バラデアに」
「…………え?」
「本当はそう訊いてやりたいけどな。でもそれは俺はオススメしない。……他の誰でもなく、クレア自身のためにな」
中性的で秀麗なクロの顔。桜色の唇は、ことさらに私の焦燥感をあおるように弧を描いた。




