第八話 若木と不動
インカント隊が動けるようになるまで、軍は三日間、足を止めた。
その三日間で、死んだ術者は焼かれ、寝込んだ者は荷馬車に乗せられた。代わりのインカント隊が、後方から補充された。人の代わりは、すぐに来る。まるで装備や食料の補充のように。
だが、代わりの来ない者もいた。
グレイヴクロウにやられた部隊は、そのまま消えた。数を減らした隊は、別の隊に統合され、小隊だけ
が消えていく。うちの隣を歩いていた隊も、半分になって、旗が下ろされた。
一万五千と言われた軍が、今は、どれくらいなのか。誰も、正確な数は分からなかった。少なくとも、指揮官達以外は。
第三小隊は、まだ二十三人、揃っていた。
揃っていることが、この頃から、少し後ろめたくなってきた。
四日目の朝、軍はまた動き出した。
魔素の荒地を抜けると、道が登りになった。両側から、岩肌が迫ってくる。空が、細くなっていく。
リーゼが突然口を開いた。
「小隊長殿、あれが……」
「ああ、ようやく見えて来たな」
エルダインの城だ。
山の斜面に、へばりつくように建っていた。灰色の石。城壁は高く、分厚い。防衛するには、これ以上ないほど優秀な城に見える。だが、それよりも気になることが一つ。
「リーゼ。俺達はあれを攻略しなくてはいけない。どう思う?」
突然の質問に困った顔をしていた。
「え、えーと。城壁が高いです。弓兵から狙われて……えーと」
「城までの道を見てみろ」
俺がそういうと、リーゼが道をじっくり見た。
「……あ、これって」
「ああ。城の下に、山道がひとすじ。そこを通らなければ、城には辿り着けない。左右は、切り立った岩。逃げ場も、回り込む道もない」
「つまり、攻める側が、細い道に押し込まれる。上から、好きなだけ狙われる」
「少数で大群を相手にするには最適な地形だ。なぜこんな小国が何百年も続いているのか、この地形を見たら納得できる」
リーゼは言葉に詰まっている。よく見たら、周りの若い兵士たちの顔も引きつっている。すこしびびらせ過ぎたか。
城壁に、旗が翻っていた。
灰色の地に、若木が一本。焼け跡から、細い芽を出したような木だ。
「あれが、エルダインの紋章か」
ゲルントが、隣で言った。
「どういう意味であの紋章になったんですかね」
「さあな。何度でも立ち上がる、みたいな意味じゃないか?」
「しぶとそうな連中ですね」
「こんな魔物だらけの土地で生きてきたんだ。しぶとくもなるだろう」
「しぶとさだけなら、小隊長殿も負けてないですよ」
「うれしくねえよ」
俺は、その若木を、しばらく見ていた。
焼かれても、また芽吹く。
俺達は、その木を、根こそぎにしに来たんだ。
すぐには、攻めなかった。
攻められる地形じゃなかった、と言ったほうが早い。
三日かけて、陣を敷いた。
木を切って、盾を組む。梯子を作る。斥候を出して、道の幅を測り、矢の届く範囲を調べる。どこまで登れば、上から狙われるか。どこに岩陰があるか。一歩ずつ、地図に書き込んでいく。
こういう仕事は、地味だ。だが、これを怠ると、進んだ先で全員死ぬ。
「準備ばかりで、嫌になりますね」
ダルクが、盾を削りながら言った。
「準備してるうちは、誰も死なない。いいことだ」
「小隊長殿は、気が長いですね」
「短気な小隊長は、部下を早死にさせる」
ゲルントが、横から口を出した。前の小隊長のことを言っているのか、そうでないのか。俺は、聞かなかった。
準備は、悪くなかった。
悪かったのは、その準備を、向こうが待ってくれなかったことだ。
夜襲が始まったのは、陣を敷いた最初の夜からだった。
真夜中、山のほうから、音もなく降りてくる。松明も持たない。地の利を、体で知り尽くしている連中だ。どこに岩があり、どこに窪みがあるか、目をつぶっても分かるんだろう。
矢を放ち、天幕をいくつか焼いて、また闇に消える。
朝には、いなくなっている。残るのは、死体が数人と、焼け跡だけだ。
実際の被害は、大したことはなかった。
一晩に、死ぬのは数人。軍全体から見れば、些細な数だ。コンラートの帳面なら、損耗のうちにも入らないだろう。
だが、それが、毎晩だった。
眠れなくなった。
夜になると、誰もが耳を澄ませる。風の音か、足音か。判断がつかない。判断がつかないまま、朝が来る。そしてまた、夜が来る。
剣を抱いて寝るようになった。抱いて寝ても、眠れはしなかった。
十日も経つと、おかしくなる者が出始めた。
隣の隊で、それは起きた。
真夜中、悲鳴が上がった。夜襲かと思って、飛び起きた。剣を掴んで、外へ出た。
だが、敵はいなかった。
一人の兵が、剣を振り回して、暴れていた。
目の焦点が合っていなかった。何もない闇に向かって、叫んでいた。来るな、来るな、と。味方が三人がかりで取り押さえて、ようやく、地面に組み伏せた。
そいつは、泣いていた。子供みたいに、声を上げて。
「……何日、眠ってないんだ、あいつ」
誰かが、呟いた。
答えられる者は、いなかった。俺だって、自分が何日眠っていないか、もう分からなかった。
次の朝、その兵は、後方へ送られた。荷馬車に乗せられて。傷は、一つもなかった。
傷のない兵が、戦えなくなる。そういうことが、あるんだと知った。
幸い、俺達第三小隊は、まだ誰も壊れていなかった。
だが、あれは、明日の俺達かもしれない。そう思わない者は、いなかった。
エイダンは、夜襲の晩も、落ち着いていた。
「向こうは、俺達を殺したいわけじゃない」
ある夜、見張りをしながら言った。
「どういう意味だ?」
「殺すだけなら、もっと派手にやる。そうじゃない。眠らせないんだ。じわじわ、こっちの戦意を削ぐ。それが狙いだ」
「……嫌な戦い方だな」
「賢い戦い方だ。数で負けてる側の、な」
エイダンは、城のほうを見た。
闇の中で、城の輪郭だけが、黒く浮かんでいた。
「あそこに、頭の切れる将がいる。戦のことを、よく分かってる」
その将の名は、じきに、こちらの陣にも伝わってきた。
不動のバルトロス。
エルダインを長年守ってきた将軍だという。何十年も、この道で、魔物と、人と、戦い続けてきた男。
顔を見た者は、味方にはいない。ただ、あの城のどこかで、こちらの動きを、一つずつ潰している。それだけは、嫌というほど分かった。
膠着は、半月を過ぎた。
帝国は、数を減らしながら、まだ動けずにいた。
エルダインは、四千かそこらの兵で、一万を超える軍を、細い道の入り口で止め続けていた。
地の利と、将と、しぶとさ。それが、数の差を、埋めていた。
城壁の若木の旗は、毎朝、変わらず翻っていた。
このままでは、こちらが先に、根を枯らされる。誰もが、そう思い始めていた。
だが、戦は、地の利だけでは決まらない。
城が、内側から崩れることが、あるからだ。
その報せが来たのは、膠着が一月に届こうという、寒い朝のことだった。




