第六話 処理の記録
傷が癒えた頃、ヴェッセルの掃討は終わった。
終わった、というのは、俺達が決めたことじゃない。上がそう決めた。谷にはまだ、逃げた村人が山のどこかに散っている。だが、名簿の上では、ヴェッセル州は「平定」された。
平定。書類の上では、そういう言葉になる。
最後の一ヶ月は、拍子抜けするほど静かだった。
残党はもういない。村もほとんど無人になった。俺達は山を下りて、街道沿いの野営地に戻った。
久しぶりに、屋根のある場所で寝た。
久しぶりに、温かい飯を食った。
ゲルントが「ようやく人間に戻れるな」と言って、若いのが笑った。リーゼも笑っていた。あの家の一件から、少しずつ笑うようになっていた。
平和だった。
その平和が、どこから来たものかを、俺はまだ考えていなかった。
野営地に、後方から人が来たのは、そんな時だった。
立派な馬車だった。泥のはねた俺達の荷馬車とは、造りが違う。護衛が二人ついていた。剣は下げているが、手は柔らかそうだった。戦ってきた手じゃない。俺達とは違う人間だ。
馬車から降りてきた男は、俺より少し年上に見えた。
背は高くないし、太ってもいない。きちんとした身なりで、髪を丁寧に分けている。顔に、傷が一つもなかった。この一年、俺はそういう顔をほとんど見ていなかった。
「はじめまして。コンラートといいます」
柔らかい声だった。
握手を求められて、応じた。手が、温かくて、乾いていた。俺の手は、まだ血と泥の匂いがしただろう。
「第七軍団、第三小隊の小隊長レイヴァン殿、ですね。お噂はうかがっています」
「噂?」
「兵を死なせない、と。この州の掃討で、損耗のいちばん少ない小隊だそうで。とても立派なことです」
損耗、という言葉が、耳に残った。
俺は、ヤコブを死なせた。数えれば、一人減った。だが、この男の帳面の上では、それは「損耗の少ない小隊」になる。気に食わない言い方だ。
「あなたは?」
「クストディアの者です」
「クストディア?」
「征服の、後始末をする仕事です。査定官、と言ったほうが分かりやすいかもしれませんね」
分からなかった。正直に、そう言った。
コンラートは気を悪くした風もなく、微笑んだ。
「具体的に言うと、誰を国民として迎え誰を迎えないか。それを決めます」
「なるほど。その査定官が、俺になにか用ですか?」
「いえ。少し興味があったので。また伺います」
コンラートはそう言って、軍団長の天幕の方向へ歩いて行った。
ああいう人間は少し苦手だ。泥の中を這いずり回る俺達とは、住んでいる世界が違いすぎるからだ。
その晩、コンラートは俺達の火に加わった。
意外と偉ぶらない男だった。若いのにも気さくに話しかけ、名前を聞き、覚えた。ゲルントの軽口にも笑った。リーゼが茶を出すと、丁寧に礼を言った。
いい人だ、と若いのが小声で言った。俺も、そう思いかけた。
「シェルマ谷の村々は、無人だったそうですね」
「ああ。村人は、山に逃げた」
コンラートは、帳面を開いた。俺達の火明かりで、そこに何かを書きつけた。
「では、あの村は、処理済みとしておきます」
「処理?」
「無人になった土地は、そのように記録するのです。人がいなくなれば、税も取れませんから。書類の上では、なかったことにする」
「あそこには、まだ人がいる。山に逃げただけだ。老人が一人、村に残ってた」
「ええ。ですが、戻ってはこないでしょう」
コンラートは、優しい声で言った。
責めるでもなく、笑うでもなく。ただ、当たり前のことを教えるように。
「あなた達が村に入れば、村人は逃げる。逃げれば、土地は無人になる。無人になれば、処理済みになる。あなた達は、よくやったのですよ」
俺は、何も言えなかった。
言い返す言葉を探して、見つからなかった。あの村の床下にいた女の目を、思い出した。何を聞かれているのか分からない、というあの目を。
今、俺は、同じ顔をしていたと思う。
コンラートは、帳面を閉じた。それから、思い出したように言った。
「そうそう。あなた方の隊に、次の任地が決まりました」
「次?」
「エルダインです。ご存じですか?」
「名前だけは」
「山道の要衝を押さえている、小さな王国です。実戦慣れした兵を抱えている。厄介な相手ですよ」
厄介、という言葉を、コンラートは楽しげに言った。自分が行くわけじゃないからだ。
「第七軍団が、まるごと投入されます。あなた方も、その一部として」
「掃討作戦ではなく、戦争をしに行くということか」
「ええ。今度は、ヴェッセルのように簡単ではないでしょうね」
簡単。
この一年、俺達第七軍団がやってきたのは、小国との戦争の後始末。残党を狩り、村々を検分して、報告する。いくら相手が小国といえども、反抗はしてくる。こちらにも少なくない犠牲者が出たはずだ。実際、俺達の小隊からも一人減った。それも、戦後の村で。
こいつらの立場から見れば、それも些細な損失だ。俺もこいつらの立場なら、同じように考えるのだろうか。
なんにしても、次は違う。まだ立っている国を、倒しに行く。
「エルダインの民は、迎え入れられるのか」
「それを決めるのが、私の仕事です」
コンラートは、微笑んだままそう言った。
その微笑みが、迎え入れるほうの微笑みなのか、迎え入れないほうの微笑みなのか、俺には読めなかった。
コンラートが去った後、エイダンが火のそばに来た。
「聞いてたか」
「ああ」
「処理済み、だとさ」
「……ああ」
エイダンは、しばらく火を見ていた。それから、静かに言った。
「あの査定官、悪い男には見えなかったな」
「ああ。いい奴そうだった」
「それが、いちばんタチが悪い」
俺は、エイダンの顔を見た。
こいつは、火を見たまま続けた。
「悪人が悪いことをするなら、分かりやすい。憎めばいい。だが、いい奴が、笑いながら村を『処理済み』にする。それを、誰が憎める」
言葉が出なかった。
こいつは、いつもこうだ。俺がまだ形にできていないものを、先に言葉にする。
「エルダインか。行きたくないな」
エイダンが、ぽつりと言った。
「めずらしいな。お前が弱音か」
「弱音じゃない。ただの勘だ」
「勘?」
「これまでは、終わった戦の掃除だった。次は、俺達が戦を始める側だ。……なんか、戻れなくなる気がする」
その時の俺は、まだ笑っていた。
「大げさだな」と。
エイダンは、笑わなかった。




