第五話 焦げた匂い
ヤコブを弔った日から、数日歩いた。
残党の最後の一団は、谷のいちばん奥の一軒家にいた。
石造りの、頑丈な家だった。もとは羊飼いの冬小屋だったんだろう。窓が小さくて、中がよく見えない。十人ほどが立てこもっている、という話だった。
「屋内戦になりますね。人数の差を生かせないですけど、どうしましょう」
「正面から入るのは、あんまり利口じゃないな」
「珍しく利口なことを言いますね、小隊長殿」
「珍しくって何だ」
「言葉の綾ですよ」
ゲルントは家をのぞき込みながら言った。こういう時にも軽口をやめない。やめないことで、若いのを落ち着かせている。俺はそれを、この何日かで覚えた。
家には戸が二つあった。正面と、裏。
追い詰められた獣は、逃げ道のあるほうへ走る。だから、こうした。
エイダンに本隊を預けて、裏の戸を固めさせる。俺は数人を連れて、正面から入る。逃げてきたやつを、裏で受ける。
ゲルント、ダルク、あと一人。
「リーゼ。お前も来い」
リーゼは驚いた顔をした。
「わ、わたしですか」
「そうだ。俺から離れるな。援護に徹しろ。出来るな?」
顔が引きつっているのが分かる。これがリーゼにとって初めての実戦になるからだ。でも、そういうのは早い方がいい。戦場で自分を守ってくれるものは己の剣と経験だけだ。
「はい。出来ます」
まだ硬い。でも真っすぐな目だった。
「心配するなリーゼ。小隊長殿のケツを追いかけときゃ問題ない。敵はただの民兵だしな」
「が、頑張ります」
ゲルントもリーゼに声をかけている。たぶんこいつも俺と同じようなことを考えているんだろう。
「レイ」
配置につく前に、エイダンが小さく言った。人に聞こえない声だ。
「正面は、おれが行ってもいいんだぞ」
「小隊長が突っ立ってるわけにいかないだろ」
「……そういうことじゃない」
「なんだよ」
「いや。いい。気をつけろ」
あの時、あいつが何を言いかけたのか、聞いておけばよかった。
それも、あとで思うことの一つだ。
戸を蹴破って入った。
暗かった。目が慣れるまでの、ほんの一瞬。その一瞬が、屋内では命取りになる。村に入る時と、出る時に死ぬ。訓示で、自分が言ったばかりだ。
中には、思ったより人がいた。
十人は、いた。だが、剣を持っているのは三人だけだった。残りは、女や、年寄りや、子供だ。武器を持たない者のほうが、ずっと多かった。
こいつらは、戦うために立てこもったんじゃない。逃げ場がなくて、ここにいただけだ。
だが、剣を持った三人は、本気だった。
一人が、正面から斬りかかってきた。若い男だ。振りが大きい。受けて、弾いた。腕に衝撃が走る。素人じゃないが、玄人でもない。
弾いた、その時。
視界の端で、別の一人が動いた。
ナイフを手に持って、リーゼに向かっていた。リーゼは、また固まっていた。屋内の暗さと、初めての実戦に、体が動かなくなっていた。
――間に合え。
考える前に、体が動いた。
正面の男を、蹴り飛ばした。まともに胸を蹴った。男が後ろに吹っ飛ぶ。その勢いのまま、俺はリーゼとナイフの間に、体をねじ込んだ。
背中で、リーゼを庇った。
左の脇腹に、冷たいものが入ってきた。
熱かった。痛くはなかった。
痛みは、少し遅れてくる。これも、九年で覚えたことだ。
ナイフの男の手首を掴んで、引いた。体勢が崩れたところに、後ろから来たダルクが剣を突き込んだ。男が、崩れ落ちた。
蹴り飛ばした最初の男は、ゲルントが片づけた。三人目は、逃げようとして、壁際でゲルントとダルクに囲まれた。剣を捨てて、両手を上げた。
剣を持たない連中は、裏の戸から外に出るのが見えた。
そっちには、エイダンがいた。
悲鳴と、怒号と、それから――静かになった。
あっという間に終わった。
俺の傷を除けば、こっちに損害はなかった。
俺は、壁にもたれて座り込んだ。
脇腹に手を当てると、指の間から血が滲んでいた。生温かい。自分の体温が、外に出ていく感じがした。
「小隊長っ」
ゲルントとダルクが走ってきた。軽口が、消えていた。
いつもの雰囲気とは違う。本気で心配しているのか。逆に調子が狂いそうだ。
「見せてください。……くそ。結構深いな」
「焼くしかないな」
「おいリーゼ。そこのかまどで――」
詠唱者がいれば――と、考えかけて、やめた。
この谷底に、そんなものは来ない。ヤコブの時に、もう分かっていたことだ。
「あ、あ……」
「落ち着けリーゼ。まだ死んでない。……くそ、ダルク」
「わかった」
家のかまどに、まだ火が残っていた。立てこもっていた連中が、料理をしていたんだろう。
皮肉なもんだ。俺を刺した連中の火で、俺の傷を焼く。
ダルクが短剣を火に突っ込んだ。刃が赤くなるのを待つ。
「布をくれ。自分で押さえる」
「ちょっと黙っててください」
「……まだ数えてない」
「数える? 何をですか」
「全員、生きてるか」
ゲルントが、一瞬だけ手を止めた。
それから、布をきつく縛りながら、小さく言った。
「……あんたが死んだらちょうど二十三人ですよ、小隊長殿。全員無事です」
いつもの軽口が戻ってきた。
それで、俺は少し安心した。
赤くなった短剣を、脇腹に当てた。
声は、出さなかった。出したら、若いのが怖がる。小隊長が痛がる姿は、見せないほうがいい。
肉の焼ける音と匂いがした。自分の体から出ているものだと思うと、変な気分だった。
傷は、脇腹の少し上だった。
懐の石が、ちょうどそのあたりにあった。ヤコブの験担ぎの石だ。血で、赤く汚れていた。
石は、俺を守らなかった。当たり前だ。これはただの石。
それでも、もしこの石がなかったら、刃はもう少し深く入っていたかもしれない、と思った。そんなわけはない。分かっている。でも、そう思いたかった。
効かないと知っていて、それでも捨てられなくなる。
我ながら情けないと思う。でも、それが人間だ。
リーゼが、俺の前に立っていた。
顔が、真っ白だった。ヤコブの時より、ずっと白かった。あの時は他人の死で、今度は自分のせいだと思っているからだ。
「すみません。わたしのせいです」
「お前のせいじゃない」
「わたしが、動けなかったから」
「動けないのは、当たり前だ。初めてなんだからな。それを承知で連れてきたんだ」
「でも、小隊長殿が――」
「次は、動け。それでいい」
リーゼは、泣かなかった。
泣く代わりに、深く頭を下げた。まるで、福音の一節でも授かったみたいに。
また、それだ。
この子は、俺の言葉を何でも真に受ける。
この時も、少しだけ嫌な感じがした。理由は、やっぱり分からなかった。
裏を片づけたエイダンが、家に入ってきた。
俺の脇腹の布を見て、それから、俺の顔を見た。
「また無茶したのか」
「心配ない。かすり傷だ」
「小隊長が死んだら、困るのは下の者だ」
「……」
「ヴェッセルに来て、二度目だぞ。この前は一人で囮に。今回は新人をかばってこのザマか」
「作戦だ」
「作戦なら失敗だ。お前は後方から指示出せばいいんだよ」
言い返せなかった。
こいつの言う通りだ。小隊長は、指揮をするのが仕事だ。真っ先に死ぬのが、仕事じゃない。
「レイ」
「なんだ」
「お前、自分の命を、安く見すぎだ」
その時は、笑って流した。
でも、エイダンは、笑わなかった。
こいつは、俺より先に気づいていた。
俺がずっと後になって、取り返しのつかない形で知ることを。
焼いた傷は、しばらく膿んだ。癒えるまで十日ほどかかった。
ヤコブが残した石は、まだ持っている。なぜか血の跡は、洗っても落ちなかった。




