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業の福音 〜征服こそ正義だと信じていた男は、その手を汚し続けた〜  作者: 星喰ゆう
第一章 ヴェッセル掃討戦

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第四話 名簿の意味

 村を一つ潰すと、報告書が一枚増える。


 次の日の朝、捕らえた残党二人は後方へ送った。腕の折れたほうと、前歯のないほう。縄をかけられて荷馬車に乗せられていく時、前歯のないほうが俺のほうを見た。憎んでいる目でも、命乞いの目でもなかった。ただ、疲れた目だった。


 あの目をどこかで見た気がして、しばらく考えてた。村の床下にいた女と同じ目だった、と気づいたのは、もっと後だ。


 ヤコブは、谷を下りたところで埋めた。


 土が凍りかけていて、掘るのに時間がかかった。交代でやった。


 最初に掘り始めたのはダルクだった。無言で、汗をかくまで掘って、次の者に渡した。最年長のブルーノは腰をさすりながら文句を言い、それでも人一倍掘った。若いのが二人、途中で手が止まって、ゲルントに小突かれてた。


 俺も掘った。


 小隊長殿が掘る必要はない、と若いのが言った。しかし、俺はそれを拒んだ。初めて指揮する部隊での一人目の死者だ。それも、俺の目の前で。


「俺がやらないと」


 それだけ言って、掘った。若いのはそれ以上、何も言わなかった。


 穴に石を敷いて、その上にヤコブを寝かせた。土をかけて、剣を一本、頭のところに立てた。名前を彫る道具はない。だから、みんなで少しだけ黙った。それが墓標の代わりだ。


 名簿の五枚目に、線を引いた。


 減らさずに返せ、と中隊長は言った。


 三日で、駄目になった。



 その晩、火を囲んで飯を食った。


「ヤコブのやつ、最後に何か言ってましたか」


 ダルクだった。まだ若い。ヤコブとは同じ天幕で寝ていたらしい。


「なにも。声も出さなかった」

「そうですか」

「石の話はしてた。拾うと無事に帰れるって」

「ああ、あれ。アンセルのやつら、みんなやりますよ。うちの村にもいました」


 ダルクもアンセルの出身だった。知らなかった。名簿は読んだはずなのに、頭に入っていなかった。


「効くのか、あれ」

「効くわけないでしょう。現に死んでますし」


 誰も笑わなかった。ダルク自身も笑っていなかった。

 言ってから、しまったという顔をした。


「……すみません」

「いや。その通りだ」


 石は俺の懐にある。捨てるきっかけを、たぶん俺は探していた。でも、その晩も捨てなかった。いや、捨てられなかっただけだ。



 ゲルントが隣に来て、腰を下ろした。


「小隊長。落ち込んでますね」

「落ち込んでない」

「顔に出てますよ」

「お前に俺の何が分かる」

「この歳になれば大抵のことは理解できますよ」

「おっさんてのは偉大な存在だな」

「すぐに理解できますよ、小隊長殿」


 こいつは、俺が新任だと知っていて隣にいる。前の小隊長の時もそうだったんだろう。矢を食らって死んだ、あの男の時も。


「なあ、ゲルント」

「はい」

「前の小隊長は、どんな男だった」

「よく喋る奴でしたよ。福音の話を、それはもう長々と」

「それは聞いた」

「悪い人じゃなかったですよ。ただ、兵の顔と名前が一致してなかった」

「……そうか」

「あんたは覚えてるでしょう? 二十三人、全員」


 覚えていた。年齢も、出身地も、入隊年も。名簿を読んだからだ。


 でも、覚えていることと、守れることは違う。ヤコブで、それを知った。


「覚えてても、死ぬときは死ぬ」

「そうですね」

「じゃあ、覚える意味あるのか」

「さあ。おれには分かりません」


 ゲルントは火を見ていた。


「ただ、名前も知らない誰かに埋められるより、名前を知ってる誰かに埋められるほうが、まだましだと思いますよ。おれは」


 それきり、何も言わなかった。

 俺も何も言わなかった。豆が煮えて、誰かがそれを配った。



 リーゼは、火から少し離れたところで飯を食っていた。

 一人だった。よく笑う子が、その晩は誰とも喋っていなかった。


 器を持って、隣に座った。


「食えてるか」

「……はい。食べないと、動けなくなるので」

「よく分かってるな」

「はい。小隊長殿に、教わったので」


 靴の話だ。飯より先に靴を脱げ、と言ったあの訓示。見れば、彼女の靴は火のそばできちんと乾かしてある。あれを、一言一句、覚えているらしい。


「今日のこと、どう思った」


 聞くべきじゃなかったかもしれない。でも、聞いた。


 リーゼは少し考えて、それから言った。


「教練所で、覚悟はしていました。人が死ぬということを。でも……」

「でも?」

「思っていたのと、違いました。もっと、こう……何か、意味のある死に方をするんだと思っていました」

「意味?」

「はい。福音のために戦って、その、立派に……すみません。なんて言ったらいいのか」


 言えないのは、当たり前だ。俺だって言えない。何年かかっても言えない。


「ヤコブは、立派に死んだか」

「……分かりません。ただ、矢が飛んできて、倒れて、それで終わりで」

「そうだな」

「こんなにあっさりと……あっけなくて、こわかったです」


 こわい、と彼女は言った。吐かなかったくせに、言葉ではちゃんとこわがっている。強い子だと思った。こわいと言えるのは、強いからだ。


「覚えとけ」

「……」

「立派な死に方なんてない。あるのは、死んだという事実だけだ。仲間を死なせたという事実もな」


 リーゼに言った言葉じゃない。これは、自分に言い聞かせた言葉だ。我ながら卑怯な言い方をしてしまったと思った。


 でも、リーゼは真剣な顔で頷いた。まるで、福音の一節でも聞いたみたいに。


 それが、少しだけ嫌だった。

 なぜ嫌だったのかは、その時は分からなかった。



 エイダンは、少し離れたところで自分の靴を乾かしていた。


 俺が横に座ると、火に枝を足しながら言った。


「掘ってたな。ヤコブの墓」

「ああ」

「小隊長は掘らなくていいだろ」

「同じこと、部下にも言われた」

「なのに掘った」

「悪いか?」

「いや」


 エイダンは、俺の懐のあたりを見た。石があることに、たぶん気づいている。こいつはそういうやつだ。でも、何も言わなかった。


「レイ」

「なんだ」

「お前、変わったな」

「どこが?」

「昔のお前なら、墓なんか人に掘らせて、自分は軽口叩いてた」

「……」

「悪いって言ってるんじゃない。ただ、変わったなと思っただけだ」


 変わった、と言われて、俺は嬉しくなかった。

 変わるってことは、前の自分が死ぬってことだ。ヤコブが死んだみたいに。少しずつ。


「お前は変わらないな」

「おれは最初から、こういうやつだ」


 そうだった。こいつは十八の時からこうだった。石を投げる前に、当たった後のことまで考える。だから村でも、あんまり友達がいなかった。俺くらいだった、こいつと一緒にいたのは。


「なあ、エイダン」

「なんだ」

「お前、なんで軍に入った」


 聞いたことがなかった。七年、離れていたから。その機会がなかった。


 エイダンは少し黙った。火のはぜる音がした。


「食えなかったからだよ。うちは口が多いからな」

「それだけか?」

「それだけだ。別に立派な理由なんかない」

「福音は?」

「教練所で暗記した。試験に出るからな。正直もうあんまり覚えてない」


 俺は笑った。今度は、エイダンも少しだけ笑った。


 九年ぶりに、こいつが笑うのを見た気がした。



 その夜は、なかなか眠れなかった。


 毛布にくるまって、懐の石を握っていた。丸くて、冷たい。

 ヤコブが拾った時、こいつはまだ生きていた。石は同じ石なのに、拾ったやつはもういない。


 覚える意味があるのか、とゲルントに聞いた。

 答えは出なかった。


 ただ、俺はヤコブの出身地を、もう忘れないだろうと思った。

 アンセル州。十五年前に帝国が編入した土地。丸い石を拾うと無事に帰れると、そこの人間は信じている。

 効きはしない。現に、あいつは死んだ。


 それでも、俺はその石を捨てられなかった。

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