第五十三話 夕焼けの返り血
男たちが、一斉に襲い掛かってきた。
俺は、剣を振るった。
考えることは、もう何もない。
目の前の男を斬る。
それだけだ。
一人。
二人。
だが、体は正直だった。
息はすぐに上がり、腕は鉛のように重くなる。
肩の傷から、血が流れ続けていた。
それでも、倒れるわけにはいかなかった。
俺がここで退けば、こいつらはセラを追う。
村の入り口を背にして戦った。
この先へは、一歩も通さない。
斬っては下がる。
下がってはまた斬る。
何人倒したか分からなくなった頃。
ふいに、男たちが引いた。
女が手で制した。
女は、俺を遠巻きに眺めていた。
俺は、荒い息のまま口を開いた。
引っかかっていたことがあったからだ。
「……随分と、綺麗な身なりだな」
「あら、そうかしら?」
「国を滅ぼされた人間には見えないな」
女は少しだけ笑った。
「流石は帝国で小隊長を務めただけのことはあるわね。そうよ。私達は、滅ぼされた側ではないの」
女は、胸元の紋章に指を這わせた。
「私達はもう、帝国民ですもの」
その言葉で、胸の奥のほうで、なにかが音を立てた。
思い出す。
あの日。
王都の門。
力攻めでは、どうしても抜けなかった。
あの街は、魔法を弾いた。
インカント隊の詠唱は、ことごとく壁に吸われて消えた。
仲間が壁の下で、山になって死んでいった。
だが、あの日。
決められた日時に、門は内側から開いた。
内通者がいる、とだけ聞かされていた。
それが誰かは知らなかった。
開いた門から雪崩れ込んで、俺たちはその街を焼いた。
――そうか。
あの門を開けたのは。
「……お前たちか」
女は否定しなかった。
「仕方がなかったのよ」
その声に、悪びれた色はなかった。
「どうしたって、負けるのは見えていた。ならば、一度受け入れて機を待つ。それだけのこと」
「機、だと」
「ええ。帝国は今、内側から崩れかけている。またとない機会だわ」
女は、俺の後ろ――セラが走り去ったほうへ目をやった。
「あの子を、旗印にするのよ。滅びたはずのエルダインは、正統な王女のもとで蘇る。……美しい話でしょう?」
美しい話、と。
この女はそう言った。
自分たちで国を売っておいて。
あの子の母を、この手で殺させておいて。
そして今度は、その娘を利用すると言う。
俺は、剣を握り直した。
この手は、汚れている。
あの国を焼いた手だ。
この手で、あの子の母を殺した。
俺に、なにかを守る資格なんてありはしない。
だが。
こいつらにだけは渡さない。
国を売った連中に、セラまでくれてやってたまるか。
「……やってみろ」
俺は、地を蹴った。
女が、俺を指差した。
男たちが、再びかかってきた。
一人、斬った。
もう一人の剣を受け止める。
だが、そこまでだった。
横から、剣が入った。
脇腹に、冷たいものが走る。
膝が折れた。
背中に、もう一太刀もらった。
俺は、地に伏した。
夕日で空が赤くなっている。
冷たい土の匂いがした。
もう、指が言うことをきかない。
これで、いい。
セラは逃げた。
当然だ。
俺は、あの子を裏切っていた。
十何年、嘘をつき続けた男だ。
戻ってくるはずがない。
それでいい。
あの子さえ、生きていてくれるなら。
剣を教えておいてよかった。
料理は苦手だが、まあ大丈夫だろう。
服のたたみ方は――
視界が、暗くなっていく。
そのときだった。
誰かが、俺を抱き起こした。
小さな、あたたかい手。
泣き声が聞こえる。
……セラ。
来るはずが、なかったのに。
「——イ! レイ、しっかりして! ねえ、レイ!」
俺の胸に顔を埋めて、泣いていた。
初めて会った、あの晩と同じだ。
俺の服を掴んで。
俺は、間違えていた。
この子のことも、最後の最後まで、読み違えた。
男たちは、まだいる。
このままでは、この子が連れ去られる。
くだらない大人の都合に巻き込まれてしまう。
俺は、震える手で、剣を握らせた。
俺の剣を。
「え、レイ……?」
すまなかったな。
本当のことを言えなくて。
ずっと、渡せなかった剣だ。
この時が来るのが、怖くて。
最後まで、本当にどうしようもない男だ。
言葉で伝えたかった。
俺のすべてを、この子に伝えたかった。
だが、もう言葉は出てこない。
最後まで俺は、なにも言えないままだった。
ただ、剣だけを、この子の手に。
「……行け」
やっと、それだけ言えた。
「……うん。わかった。わかったよ、レイ」
セラが、立ち上がる気配がした。
それから、音が響いた。
剣の打ち合う音。
誰かの倒れる音。
俺が、望んでなかった音。
大きな野菜を採るたびに、目を輝かせていた子供。
重い木剣を、一生懸命に振り回していた子供。
その子が今、人を斬っている。
俺の教えた通りに。
嬉しくなどなかった。
ただ耳の奥で、その音を聞いていた。
どれくらい、経ったろう。
音が止んだ。
静かになった。
また、あの手が俺に触れた。
薄目を開けると、セラが俺を覗き込んでいた。
その顔には、返り血が散っていた。
ああ。
この子も、俺と同じところまで来てしまった。
人を斬る手を、俺がこの子に与えた。
守るためだと、言い訳をして。
こんな道を、歩いてほしくなかった。
俺のような。
血の匂いが離れない生き方を。
だが、もう遅い。
俺がそうしてしまったのだ。
視界の端に、丸い石が転がっていた。
あの子が、投げつけた石だ。
俺は、その石の傍に倒れていた。
手を、伸ばそうとした。
届かなかった。
「ごめん。ごめんね、レイ」
セラが石を俺の手に収めた。
そうか。
俺は結局、この子に一度も勝てなかったな。
セラがいなければ、この村で上手く生活することなんて出来なかった。
俺みたいな人間には、もったいないほどの生活だった。
セラ。
いや、セラフィーナ・エルダイン、だったか。
綺麗な名前だ。
この子にふさわしい。
どうか。
どうか、この子を守ってくれ。
この子が、幸せになりますように。
この子が、生き延びますように。
薄れゆく意識の中、俺は祈った。
誰にとかではない。
俺の頼みを聞いてくれる神様なんていないだろうから。
ああ、悪くない人生だった。
――さて。
目を閉じる前に――




