第五十一話 悪くない夜
マルタを弔ってから、数日が経った。
朝、俺が畑仕事に出ると、ヨハンはもう、家の前の椅子に座っている。
「ヨハンさん、おはようございます」
「……ああ」
それだけだ。
少し前なら、雑草の処理が甘いとか、わしがやっていた頃は、とか。
口うるさく言ってきていた。
夕方、畑から戻っても、まだ座っている。
下がったままの屋根を、ずっと見上げていた。
声をかければ、返事はする。
だが、それだけ。
あの、憎まれ口の一つも出てこない。
「ヨハンさん。一緒に飯食いましょう」
「……ああ」
最近は、三人で食事をするようになった。
セラの提案で。
料理も手伝うようになった。
前に、マルタに教えてもらったことがあるらしい。
「どう? じっちゃん。おいしい?」
「……ああ」
セラも、ヨハンに少しでも元気を出してもらおうとするが、ほとんど意味がなかった。
アンナが街から戻ってきたのは、マルタを埋めて、しばらく経った頃だった。
「ただいまー、レイヴァンさん。やっと帰ってこれたよ」
「……アンナ」
「あれ? じいちゃんはいないの? めずらしいね」
俺は少し、言葉に詰まった。
黙っていても、すぐに意味はない。
本当のことを言わないと。
「……ついてこい」
「え、なんで? ちょ、レイヴァンさん?」
俺は歩きながら考えた。
なにから話すか。
気づいたときには、ヨハンの家についていた。
「あ、じいちゃん! ただいまー。あれ? セラもいるじゃん。稽古さぼってなにしてんの?」
「……アンナ」
セラも言葉に詰まっていた。
言わないと。
「ばあちゃんは? ばあちゃん、ただいまー。帰ったよ!」
マルタが出てこないことに違和感を持ち始めている。
俺が伝えないと。
口を開きかけた瞬間、セラがアンナに言った。
「アンナ、聞いて。マルタのばっちゃんがね、ばっちゃんが……」
セラの顔を見て、アンナが察したようだ。
「え、うそ……」
アンナが口を押えて、動かなくなった。
目には涙を溜めている。
「あの丘に埋めたよ。村がよく見える、あの丘。行こう、アンナ」
「……うん」
セラがアンナの手を取った。
丘のほうに歩いていく。
二人は、しばらく戻ってこなかった。
その晩は、四人で飯を食べた。
会話はほとんどなかったが、アンナが街のことについて話し始めた。
気を紛らわせるように。
「街でね、おっちゃんに会ったんです。ほら、昔ここに来てた行商の」
「ああ、あの人か」
「元気そうでしたよ。相変わらずよく喋るし。レイヴァンさんとセラは元気かって、しつこいくらい聞かれました」
「そうか」
アンナは、セラのほうを向いて話し出した。
「セラのこと話したら、あんなにちびだったのがもう剣を振ってるのかって、驚いてました。今度顔見せに来いって。海に連れてってやる約束、まだ覚えてるって」
「……そんな約束もしたね。ちびは余計だけど」
「剣が欲しくなったら、街まで来いってさ」
「タダでくれるのかな?」
「そんな訳ないでしょ」
アンナが少し笑った。
本当に、セラがいてよかった。
俺だけなら、なんて声をかけていいかわからなかった。
ヨハンが逝ったのは、それからすぐだった。
春の初め。
まだ、朝は冷える頃だった。
セラが、いつものように飯を持っていった。
だが、すぐに戻ってきた。
「レイ……じいちゃんが、起きない」
俺は、家に向かった。
ヨハンは、椅子に座ったままだった。
屋根のほうを見上げた格好で、もう動かなかった。
アンナが、ヨハンの手を握っている。
もう、泣いてはいなかった。
この子にとってヨハンは、父を亡くしたあと引き取ってくれた人だ。
血は繋がっていない。
だが、育ての親だ。
ニールを喪い、マルタを失い、今度はヨハンまで。
マルタの隣に、もう一つ穴を掘った。
同じ木の下で。
俺達を拾ってくれた二人を、両方とも土に還した。
礼も、ろくに言えていない。
いつか言おうと思っているうちに、みんないなくなる。
俺の人生は、いつもそうだ。
ヨハンが亡くなってから、アンナはうちに住むようになった。
最初は、ヨハンの家に残っていたが、あんな大きな家に一人でいると気が滅入ってくる、とセラがうちに招いた。
そのおかげでアンナは、少しずつ笑うようになった。
ヨハンの屋根を、直そうと思った。
この家には、思い入れがある。
この村の住人を、魔物の群れから守ってくれた。
秋には、この家の周りで、村の人たちと食事をした。
冬には、暖炉に集まり、春になにを植えるかを話し合った。
そこには必ず、マルタの料理とヨハンの笑顔があった。
梯子をかけて、下がった片側に手を伸ばす。
だが、途中で手が止まった。
直してどうする。
もう、この家には誰も住まない。
直したところで、次の冬にはまた落ちてくる。
俺は、梯子を下りた。
屋根は、下がったままにしておいた。
人のいなくなった家が、村には何軒もある。
少しずつ、朽ちていく。
それから、何度か季節が巡った。
セラは、すっかり大人になった。
朝の打ち合いでは、俺が押されることも増えた。
受けるたびに、腕にくる重さが昔とはまるで違う。
あの、俺の服を掴んで離さなかった子供は、もうどこにもいない。
村は、いよいよ静かになった。
子供の声はもう聞こえない。
残っているのは、数えるほどの年寄りと、俺たちくらいだ。
ある晩、セラと二人で飯を食った。
アンナは、毛皮を売りに街へ向かった。
しばらく家を空けて、また戻ってくる。
それが、この村の暮らしになっていた。
変わらない、なんでもない夜だ。
セラは、その日の稽古のことを楽しそうに話している。
「ねえ、そろそろ剣が欲しい。木剣の扱いにもだいぶ慣れたし」
俺は、それを聞いた瞬間、飯を食べる手が止まった。
「……そうだな。もう、大丈夫だろう」
いよいよ、セラに真実を話すときが来たのかもしれない。
この子に剣を渡す時、真実を話そう。
この子がその剣で、なにをしようとも、俺はそれを見守る。
その覚悟は、出来ているつもりだ。
今日は、悪くない夜だ。




