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業の福音 〜征服こそ正義だと信じていた男は、その手を汚し続けた〜  作者: 星喰ゆう
第五章 蹄の音

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第四十九話 届く剣

 季節が何度も巡った。


 セラの背はいつのまにか、俺の肩に届くようになった。

 木剣を振る腕にも、うっすらと筋がついている。


 俺の作った木剣に振り回されていた子供は、もうどこにもいない。


 毎朝の稽古は、教えることばかりではなくなった。


 実戦形式の打ち合い。


 俺が構えると、セラも構える。

 互いに木剣を握って、向かい合う。


 最初の頃は、俺が軽くいなしていればそれで済んだ。


 だが、ここ最近はそうもいかない。

 いなすたびに、返してくる手が、前より鋭くなっている。


 俺が教えたものを、俺が思うより速く、自分のものにしていた。



 その朝も、いつものように打ち合った。


 セラの木剣が、上から来る。


 俺は受けた。

 横に払うと同時に、鋭く踏み込んで俺の脇を狙ってくる。


 動きに迷いがない。


 昔、教練所で共に汗を流した連中の誰よりも速いかもしれない。


 気づいたら俺は、肩で息をしていた。


 昔なら、こんなことはなかった。


 ふと、セラと森の中を彷徨っていた頃を思い出した。


 俺の服を掴んで、離さなかった。

 理由もわからず、震えていたあの子が、こんなに成長した。


 そんなことを考えていた、わずかな瞬間。


「隙あり!」

「っ!」


 セラの木剣が、俺の脇腹に触れた。


 軽い音がした。

 乾いた木の音だ。



 二人とも止まった。


 セラが、目を丸くしている。

 当てた本人が、一番信じられないという顔をしていた。


「……え、今、当たった?」

「ああ」

「当たった! レイに、当たったよ!」


 跳ね回るようにして喜んでいる。

 十四にもなった娘が、子供みたいに。


 俺は、脇腹に残った木剣の感触を、感じていた。


 木剣だから、なんともない。

 打たれたところが、少し痛むだけだ。


 だが、これが本物だったら。


 この子の刃は、もう俺に届く。


 もう、なにかを殺すことが出来る。



 嬉しかった。

 本当だ。


 この子がここまで来たことが、素直に嬉しかった。


 だが、同じくらい恐怖を感じた。


 俺の教えたものがいつか、俺自身に向く日が来る。

 そのいつかが、ほんの少しだけ、形になって見えた気がした。


 それに今回のは、この子が上手くなっただけじゃない。


 俺が遅くなった。


 息が続かない。

 前へ出る足が、少し遅れた。


 四十を過ぎた体。

 当たり前のことだ。


 この子が成長すればするほど、俺は衰えていく。


 追い越される。


 その日は、間違いなく来る。


 いや。

 今日でもう、追い越されたと言えるかもしれない。



「おおい。今、当てたのか、セラ」


 畑仕事をしながら、ヨハンが笑っていた。


 近ごろは、俺たちの稽古を眺めるのが、この老人の楽しみらしい。


 立ち上がるのに、前より時間がかかる。

 前よりも、腰が曲がって、一回り小さく見える。


 自分の家の屋根を、一人で修理していた男が。


「ヨハンのじっちゃん、見てた? セラね、はじめてレイに当たったんだよ!」

「ほほほ。それは良かったのお」


 その時、森のほうからアンナが帰ってきた。


 どうやら今日は、鳥を仕留めたらしい。

 大物を二羽。


「ただいまー。あ、じいちゃん! 腰痛いって言ってたのに、また畑にいるじゃん」

「おー、アンナ。今日は大漁みたいじゃな」

「あ、ねえアンナ、聞いて! さっき、レイにはじめて当たったんだよ!」


 セラが、アンナのほうに駆け寄っていった。


「え、すごいじゃん! レイヴァンさんも、焼きが回ったね」

「……かもな。しかし、今日は大物だな」

「でしょ? あたしも成長してるんだよ。今から処理するから、今日みんなで食べようよ。セラの初勝利記念で」


 この子も、本当に成長している。


 あの日から、必死に努力をしてきたのを見てきた。


 雨の日も、雪の日も、弓を引き続けてきた。


 誰にも教えは乞えない。

 この子はたった一人で、努力を続けてきた。


 アンナが、セラの友人で良かった。

 セラがここまで成長出来たのは、アンナのおかげもあるだろう。


 マルタも、家のほうから出てきた。


 今日も、昼めしを振舞ってくれるようだ。


 だがその足取りもいつからか、少しずつ遅くなっていた。


 この土地に来た頃、俺達を拾ってくれた二人。


 あの頃も、若くはなかった。

 だが、老人というほどでもなかった。



 時間は平等に、そして、残酷なほど、みんなの上を通り過ぎていく。



「レイ、もう一回! 今の、まぐれじゃないの見せてあげる!」


 セラが木剣を構え直す。

 その目は生き生きとしていた。


 まだ、子供のような顔で笑うのに。

 構えると、目の奥だけ別のものになる。


 俺が、そう育てたのか。


「よし、来い」



 その夜俺は、自分の手を見た。


 二十年間、剣を振り続けて硬くなった手だ。


 昔はこれで、何でも斬れると思っていた。


 その手も少しずつ、言うことを聞かなくなってきている。



 この子が強くなるのはいいことだ。

 俺がいなくなっても、独りで生きていける。


 ……いなくなっても、か。


 俺はいつからか、自分のほうが先に消えることを、当たり前のように考えるようになっていた。


 それでいい。

 この子が俺を追い越して、どこまでも遠くへ行ってくれるならそれでいい。


 願わくば、この子が真実を知る前に。



 耳の奥でまた、乾いた音が鳴った気がした。

 昔、俺が割っていた薪の音より少し高い。


 あの子が、成長した音。

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