第四十七話 座り込むしか
朝、素振りをしていると視線を感じた。
セラだ。
家の玄関先から、じっとこちらを見ている。
いつからか、毎朝の素振りを見るようになった。
何も言わない。
ただ、見ている。
俺も、何も言わない。
なにか聞かれたら、答えるつもりでいた。
聞かれるまで、こちらからは言わない。
あまりいいことにはならないと思ったからだ。
森の近くで、魔物と出くわしてから、二度目の冬が終わった。
セラは、また背が伸びた。
村の老人連中から「大人っぽくなったね」と言われるたび、誇らしい顔をしている。
そういうところを見ると、身長は伸びても、中身はまだまだ子供なんだなと、思ってしまう。
アンナは、もう娘というより、若い女の顔になってきている。
狩りの腕は、村の誰より確かだ。
二人は相変わらず、いつも一緒にいた。
昼過ぎ、アンナが家に来た。
珍しくもない、いつもの光景だ。
「レイヴァンさん、こんにちは」
「よう、セラか?」
「はい。いますか?」
「ああ。セラ! アンナが来たぞ!」
セラが家の奥から返事をした。
「今日は二人して、薪割りでも手伝ってくれるのか?」
「えー。それはまた今度で! これから、森に仕掛けた罠を見に行くんです。セラも見たいって言ってたんで」
俺は、いい顔をしなかった。
「セラも?」
「大丈夫ですよ。だいぶ手前に仕掛けたんで。それに、この時期に魔物はめったに出ませんよ」
「だが、もし出たらどうする? お前は慣れてるだろうが、セラはまだ――」
「レイ。心配しすぎだよ」
セラが家から出てきた。
「森って言っても奥には行かないし、なんかあってもすぐに逃げてくるよ。実際今までは大丈夫だったし」
「お前、森に行ってたのか?」
その時、セラが顔をゆがめた。
しまった、と言わんばかりに。
「行ってきまーす!」
セラが走っていった。
「あ、セラ! すみません。ちゃんと面倒見ますから! ちょ、待ちなさい」
二人で森のほうへ駆けていった。
あの日から、俺はセラを森に近づけたくなかった。
だが、駄目だと言っても行く。
俺の言うことなんか、聞きやしない。
まあ、アンナの言う通り、この時期に魔物は出ない。
いつもそうだ。
それに、アンナもついている。
心配ないだろう。
そう思うことにした。
薪を割っていても、手が止まる。
ついつい、森のほうを見てしまう。
あの二人が出てから、思ったより時間が経った。
罠は、手前に仕掛けたと言っていた。
だが、よく考えたら、手前とはとてつもなく曖昧だ。
村のすぐそばではないだろう。
もしかしたら、俺が反対するとわかっていて、嘘をついていた可能性もある。
斧を置いた。
胸の奥がざわついている。
こういう勘だけは、昔から外れたためしがない。
俺は剣を持って、森のほうへ歩き出した。
足が、勝手に速くなった。
気のせいならいい。
そう思った、そのときだった。
「きゃあああ」
悲鳴が、森から聞こえた。
間違いない。
セラの声だ。
走った。
こんなに走ったのは、いつ以来か。
森に入った。
まだ、セラ達は見えない。
しばらくすると、木々の間から、なにかが光るのが見えた。
青白い光が揺れていた。
角だ。
鹿のような獣の角が、いくつも、青白く光っている。
二。いや、三匹。
その真ん中で、アンナが弓を引いていた。
一体の胴体に、矢が突き刺さった。
だが、倒れない。
普通の鹿なら倒れているだろう。
だが、こいつは魔物だ。
十代の女の弓では、簡単には仕留められない。
セラは、アンナの後ろで腰を抜かしていた。
動けないでいる。
その顔を見た瞬間、頭の中が白くなった。
あの夜、石壁の窪みに押し込まれていた、布の塊。
震えていた、あの子供と同じ顔だ。
俺は、考える前に飛び込んでいた。
一番近いやつの首を、背中から斬った。
思ったよりも硬い。
一太刀で、首を落とすつもりだったが無理だった。
それでも、そいつは倒れた。
振り向いたもう一体の、顎の下から刃を入れる。
角の光が、俺の顔を青白く照らした。
あと一体。
その一体が、アンナとセラのほうへ突っ込んでいった。
俺は、剣を抜こうとしたが、骨に食い込んで抜けない。
その瞬間に剣を捨て、魔物のほうへ走った。
間に合え。
俺は地を蹴って、アンナと魔物の間に割り込んだ。
背中のアンナを、咄嗟に突き飛ばした。
剣はない。
どうする。
「レイヴァンさん!」
振り返ると、アンナが短剣を投げて寄こした。
俺はそれを受け取り、魔物が突っ込んでくると同時に、喉元に突き刺した。
その勢いで、後ろに倒れこんだ。
気づけば、三体すべてが、地面に転がっていた。
青白い光が、角からゆっくりと消えていった。
俺は、しばらく動けなかった。
呼吸がなかなか戻らない。
歳を取った。
昔なら、こんなに息は切れなかった。
俺は、まずセラの体を検めた。
どこも切れていない。
噛まれてもいない。
ただ、震えが止まらないでいる。
それから、アンナの腕を見た。
傷が浅く走っている。
血は出ているが、無事なようだ。
「立てるか?」
「……はい」
布を裂いて、腕を縛ってやる。
アンナは、痛いとも言わなかった。
この子の目は、ニールによく似ている。
セラは、青ざめた顔で俺を見た。
それから、地に転がった三体の魔物を見た。
俺が斬った獣を。
何も言わなかった。
だが、その目は、あの日と同じ——いや、もっと深いところで、俺を見ていた。
帰り道、誰もあまり喋らなかった。
セラは、俺の服の裾をずっと握っていた。
初めて会った、あの晩と同じように。
途中、足元に丸い石が落ちていた。
川で洗われたような、つるりとした石だ。
俺は、昔を思い出した。
帝国の兵士。
小隊長をしていた頃の、あの日々を。
懐に手を入れた。
あの日から、ずっと持っていた石だ。
ヤコブが残した石。
血の跡は、とうに黒く沈んで見えなくなっている。
「セラ」
俺は、その石を、あの子の手に握らせた。
「持ってろ」
「なに、これ」
「石だ。丸い石を持っていると、無事に帰れる。そういう言い伝えがある。昔の仲間の故郷の話だ」
本当は、そんなものは効かない。
その言い伝えを信じて石を拾った奴らを、俺は何人も埋めた。
一人残らず、死んだ。
だが、それでも。
俺にはこれくらいしか、渡せるものがない。
セラは、石をじっと見ていた。
それから、ぎゅっと握りしめた。
「レイ」
「なんだ?」
「わたしにも、剣を教えて」
やっぱり、来たか。
いつか、この子はそう言う。
分かっていた。
分かっていて、わからない振りをしていた。
「なんで、剣を教わりたいんだ?」
「さっき、なにもできなかった。アンナが戦ってるのに、座り込んでることしか出来なかった」
「……」
「もうあんなの、いやだ」
隣で、アンナが俺を見た。
止めないのか、という目だった。
だが、何も言わなかった。
弓を握るこの子にも、分かっているのだろう。
守られるだけでいることが、どういうものか。
この子に剣を教えれば、いつかその刃は誰かを傷つける。
この子が、母親のことを知ったら。
その刃は、俺に向くことになるかもしれない。
それでも、教えることにした。
俺がいなくなった後、この子が生き延びるために。
そう考えている時点で、俺はもう、死ぬ覚悟をしたんだと思う。
「……分かった」
セラの顔が、ぱっと明るくなった。
さっきまで、震えていた子が。
この笑顔のために俺は、殺し方を教えるのか。
石を握ったセラの手を、俺はしばらく見ていた。
小さな手だった。
いつか、なにかを殺す手だ。




