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業の福音 〜征服こそ正義だと信じていた男は、その手を汚し続けた〜  作者: 星喰ゆう
第五章 蹄の音

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第四十六話 慣れた

 行商の男が村に来たのは、秋の終わりだった。


 年に何度か、この男は辺境のこんな村まで行商に来る。


 塩、鉄製品、針に糸。

 冬の前の最後の買い物だ。


 村の女たちが荷馬車を囲んで、あれをくれ、これはいくらだと騒ぎ始める。


 マルタも来ていた。


「今年は塩を多めにおくれ。去年は足りなくてね」

「あいよ、婆さん。少しまけとくよ」


 アンナは、干した毛皮を抱えてきていた。


 夏のあいだに罠で獲った、鹿やイノシシの皮だ。


 男はそれを一枚ずつ見て、指で毛を撫でる。


「ほお。嬢ちゃん、腕を上げたな。処理も見事だ。これはいい値で買うぜ」

「ほんと?」

「ああ、ほんとだとも。街の連中は、傷の少ないのを欲しがるんだ。たぶん、これはすぐ売り切れになっちまうだろうな」


 行商人が笑いながら言うと、アンナが少しだけ得意そうな顔をした。


 ニールの遺した罠が、この村の冬の足しになっている。


 セラは、と言えば。


「おっちゃん! やっときた!」

「おう、嬢ちゃん。でかくなったなあ。また背ぇ伸びたろ」

「のびた! でも、アンナよりはまだちっちゃい」

「はっはっは。焦るな焦るな。まだ十歳にもなってないだろう? うちの息子なんて――」


 男は、とにかくよく喋る。


 自分の家族の話、遠い村の話、道で見た珍しいもの。


 どこかの領主が代替わりしたとか、街道に新しい関所ができたとか——この辺境まで届かない話を、荷と一緒に運んでくる。


 セラは口を開けてそれを聞いている。


 この村で、外の風の匂いをさせているのは、この男くらいだ。


 俺は、こういう男があまり得意じゃない。

 得意ではないが、悪い男ではないのはわかる。


「あ、レイヴァンさん。今回も頼みますよ。レイヴァンさんだけが頼りなんですから」

「相変わらず、言葉に重みがないな」

「このくらいのほうが、親しみやすいでしょ?」

「はあ、わかった。準備しておく」

「よろしくお願いしますね」


 男が発つ日、村の出口で落ち合った。


 いつものことだ。


 マルタが、干し芋を布に包んで持たせてくれた。


「森は、まだ大丈夫な時期だけどね。気をつけて行きなさいな」

「はい。行ってきます」


 馬車が動き出そうとしたとき、セラが前の席によじ登った。


「わたしもいく!」

「セラ、危ないぞ」

「いいじゃん。レイもいるし」


 マルタの言う通り、アンナとよく似てきた。

 人の言うことなんて、聞きやしない。


「……わかった。そこから降りるなよ」

「はーい」


 少しの間だ。

 俺が横にいる。


 それに、この道で何かが出たことは、この数年で一度もなかった。


 連れていくことにした。


 馬車がゆっくり進む。


 セラと男は、ずっと喋っていた。


 どこかの町の飯がうまいだとか、見たこともないくらいデカい魚が釣れただとか。

 セラは、楽しそうに相槌を打っている。


「ねえ、おっちゃん。海って、ほんとにあるの?」

「あるとも。しょっぱい水が、見えねえ向こうまで続いてんだ。塩も取り放題だぞ」

「うそだあ。マルタのばっちゃんが塩は貴重だっていってたよ」

「ほんとだって。まあ、俺も実際に見たのは数回だけだけどな。ここからはちょっと遠いんだ」

「セラも、いつかみれるかな?」

「もちろんだ! なんならいつか、俺が連れてってやってもいいんだぞ。レイヴァンさんの護衛付きで」

「やったー!」


 いつか、と男は軽く言う。


 この子に「いつか」を約束してやれる人間がいるのは、悪いことじゃない。


 俺には、それができないからだ。


 今日も悪くない一日だ、と思いかけて、俺はやめた。

 悪くない、と思うと、いつも何かが来る。



 森の際に差しかかったときだった。


 馬が、いきなり暴れ始めた。


「おっとと。どうどう。どうしたんだ?」


 男が、馬をなだめている。


 俺は、辺りを見回した。


 藪の間から、目のようなものが光っている。


 そいつは、ゆっくり出てきた。


 体中に苔のようなものが生えている。

 遠目には、大きい岩にしか見えない。


 そいつが立ち上がって吠えた。


 全体を見ると、熊のような見た目だ。


 体長はそこまで大きくない。

 俺と同じくらいだ。

 だが、爪は鋭く牙もある。


 一匹、か。


「モ、モースベアだ」


 男が、馬車の上で震えながら口を開いた。

 聞いたことのない魔物だ。


 だが、そんなことはどうでもいい。


「セラ、そこから降りるなよ!」


 馬車の縁を掴んで、俺は前に出た。


 剣を抜く。


 ひさびさの魔物との実戦だ。


 素振りは、毎日欠かさずしていた。

 なまってないといいが。


 獣がこちらに向けて走ってきた。


 俺は、モースベアを馬車から引き離すように移動した。


 狙い通り、こちらを追いかけてきた。


 距離が詰まる。


 モースベアが飛びついてきた瞬間、その脇をすり抜けるように転がった。


 こいつは、俺を一瞬見失った。


 振り返った瞬間、剣を口に向けて突き刺した。



 魔物は、少し痙攣して動かなくなった。


 血の匂いが広がる。


 久しぶりだった。

 この匂いは。


 振り返ると、セラが馬車の上から俺を見ていた。


 いつもの目ではなかった。


 俺が薪を割るのを見る目でも、飯を待つ目でもない。


 言葉ではうまく言えないが、しっかりと俺を見ていた。



 俺は、剣の血を拭いた。


 もう、この子の前ではこんなことはしたくなかった。


 この子が、あの夜のことをどれだけ覚えているのか俺には分からない。

 だが血の匂いで、忘れているはずの何かが戻ってくるかもしれない。


 それだけが怖かった。



「……いやあ」


 男が、声を震わせて笑った。


「やっぱり、レイヴァンさんにお願いしてよかったですよ。しっかし、どこで覚えたんですか? あんな簡単に、魔物を倒すなんて」

「……たまたまだよ」

「またまた。やっぱりどっかの国の兵士さんですか? それとも、戦場を渡り歩く傭兵ですか?」

「……そんなのどうでもいいだろ。ほら、先を急ごう」


 男は、それ以上は聞かなかった。


「いやあ、こりゃいい土産話が出来たな。魔物を一太刀。最強の剣士が辺境の村に。なんつって」

「やめてくれ。そんなたいした人間じゃない」


 本当にたまたまだった。

 相手はそこまで大きくなかったし、頭も悪かった。


 一人で魔物と戦って、無傷で済んだのは、本当に運がよかった。

 下手をすれば、死んでいた。


 俺は、セラを見た。


 あの子は、まだこっちを見ていた。


 しばらく進んだところで、森を抜けた。

 そこで男とは別れた。


 次来るのは、たぶん春くらいになると言った。


 帰り道、俺の横を歩くセラは、珍しく静かだった。


「レイ」

「なんだ?」

「レイは、こわくないの? あんなおっきいまもの」

「……そうだな。もう慣れた」

「ふうん」


 慣れた、なんてことは、本当は言いたくなかった。

 だが、それ以外に言えることを、俺は持っていない。


 セラはそれきり、何も言わなかった。


 歩きながら時々、俺の手のあたりを見ていた。

 さっき、剣を握っていた手のあたりを。


 連れてくるんじゃなかった。

 そう思ったが、口には出さなかった。


 この子が今、何を見て、何を考えているのか。


 俺にはわからない。

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