第四十一話 最初の一匹
日に日に寒くなっていった。
朝、桶の水に薄く氷が張るようになった。
吐く息が白い。
土にクワを入れると、乾いた音を立てて割れる。
時間がない。
雪が本降りになる前に、森側だけでも形にしなければ。
村総出で杭を打った。
杭は、森の際に沿って少しずつ伸びていった。
尖らせた木を外へ向けて、斜めに突き刺した。
その内側に、頭より高い柵を組む。
一日では、大した長さにならない。
それでも、何もなかった頃とは全然違う。
柵の合間には、わざと隙間を空けた。
人ひとりが、やっと通れるくらいの。
「なんで、わざわざ穴を空けるんです?」
ニールが、不思議そうに聞いた。
「塞ぎきったら、こっちも出られない。それに、ここへ誘導するんだ」
「誘導?」
「柵全体に来られるより、狭い入口に集めたほうが、少ない人数で捌ける。一匹ずつ、槍で突ける。数の差を、これで打ち消すんだ」
攻める側だった頃、いちばん嫌だったのがこれだ。
選択肢がないから、主導権が取れない。
相手の狩場に入って、強行突破しかない。
「おお、流石レイヴァンさん。歴戦の猛者は違いますね!」
「違う。俺はただの――」
「木こりですよね? わかってますって」
ニールは、笑いながら次の杭に向かった。
最近こいつは、俺の言うことをなんでも面白がる。
すこし面倒くさいが、不思議と嫌な気分にはならなかった。
こいつは、そういうのが上手い。
誰とでも、すぐに打ち解けられる人間のようだ。
俺のような人間でも。
村の真ん中の、ヨハンの家。
俺は、その周りにも低い柵を用意した。
森側の柵が突破された時のための保険だ。
突破されたら、ここに撤退する。
二階の窓から外を見回した。
「ここに見張りの人間を置こう。冬の間は、交代で見張る」
「いいですね。マルタさんの飯付きですからね。うちの子供も喜びますよ」
ニールが呑気に話しているが、実際にはそんなに甘い話ではない。
もし、魔物を見落として避難が遅れれば、大勢が死ぬだろう。
仮に生き残ったとしても、残るのは後悔だけだ。
「この村に、鐘はあるか? なるべく大きいやつがいい」
「鐘、ですか……わかりました。村中に聞いて回ります」
「すまない。それと、今ある分の弓をここに集めてくれ」
「え、ここにですか? 外じゃなくて?」
「ああ。外は近距離での戦闘になる。素人が弓を撃つより、槍で突いたほうが、速いし確実だ」
「なるほど。じゃあ、なんでここに?」
「柵が突破された後、俺達がここに撤退する。その後、二階から矢を打ち込む。一部は、扉をバリケードで塞ぐんだ」
「おお、そんな奥の手まで考えてるんですね。流石——」
「いいから。頼んだぞ」
「はい。行ってきます!」
弓を用意するのはいいが、ここの村人に扱えるのか。
狩りで使う連中はいるだろうが、正直あてには出来ない。
そういう俺も、弓はあまり得意ではない。
最後に使ったのは、たぶん教練所。十年以上前だ。
こんな人間が、防衛の指揮を執っている。
ここを守れなければ、俺の責任。
代償を払うのは、ここの村人。そして、セラだ。
森側の外れに一軒だけ、柵の外に取り残される家があった。
老いた夫婦が二人で住んでいた。
じいさんの名前は、オットー。
「オットーさん。ここは柵の外です。魔物が来たら、真っ先にやられる。ヨハンさんの家へ移ってください」
「構うな」
じいさんは、薪を割る手を止めなかった。
「ここは五十年前、婆さんと建てた家だ。どこにも移る気はない。死ぬときは、ここでと決めておる」
「死ぬ時の話をしてるんじゃありません」
「同じことだ」
婆さんが、家の中から茶を運んできた。
にこにこと笑っている。
話が聞こえているのかいないのか。
「あんた、若いのに苦労をかけるねえ。ほら、お茶」
俺は、それ以上言えなかった。
言えば言うほど、この二人は動かない気がした。
その夜、ニールと柵の見回りをした。
柵が完成するまでは、不安だからだ。
夜のうちに、なにか来ないとも限らない。
一通り見て回って、二人で焚き木を囲んで座った。
知らない場所に逃げてきても、やっていることは、昔とあまり変わっていない。
「レイヴァンさん。うちの子、セラちゃんと仲いいでしょう」
「ああ」
「あいつ、母親がいないんです。……何年か前に、流行り病で」
ニールは、火を見ていた。
「おれ一人じゃ、どう育てりゃいいか分からなくて。だから、この村に流れ着いたのは運が良かったです。婆さんたちが可愛がってくれる」
なにかから逃げてきたんだろう、と思っていた。
逃げてきたんじゃない。
抱えたものと一緒に行き場を探して、ここにたどり着いただけだ。
俺と同じだった。
俺には、殺した女の子供。
こいつには、女房の忘れ形見。
故郷じゃない場所で、危険と隣り合わせで眠っている。
「守らないと……」
ニールが、ぽつりと言った。
「そうだな」
俺は、それだけ返した。
それが来たのは、数日後の夕方だった。
日が落ちかけて、手元が暗くなってきた頃だ。
最後の一組の杭を、打ち終わろうとしていた。
森の際で、草が揺れた。
風ではなかった。
出てきたのは、一匹だった。
狼に似ていた。
だが、狼よりずっと大きい。
黒い毛。低い姿勢。額から二本、ねじれた角が生えている。
王都で見た、あの群れの獣を思い出した。
死体に群がっていたあいつら。
似ている。
だが、あれに角はなかった。
これが四年前、この村を喰ったものか。
「レ、レイヴァンさん、あれ……!」
ニールの声が、上ずった。
一匹はまっすぐ、こちらへ来た。
柵で作業していた年寄りたちが、腰を抜かす。
俺は、剣を抜いた。
だが、抜くより先に、魔物は自分から突っ込んできた。
準備していた杭に。
尖らせた木が、その胸に深く刺さった。
自分の勢いで。
魔物がけたたましく鳴いた。
それでも、まだ動いていた。
角を振り、前脚で土をかく。
その間も、鳴き声を出し続けていた。
その声が、村中に響いていた。
思ったよりしぶとい。
俺は回り込んで、暴れる角を避け、喉の下へ短剣を突き上げた。
一突きで、静かになった。
手に、熱い血が伝った。
久しぶりの感触だった。
「い、一匹だけ、ですよね?」
ニールが、息を切らしながら言った。
自分に言い聞かせるような声だった。
俺は答えなかった。
こいつは、はぐれたやつだろう。
群れより先に、腹を空かせて下りてきた一匹。
俺は、森のほうを見た。
暗くなり始めた木々の奥は、なにも見えない。
そのときだった。
森の奥から、声がした。
低く、長い遠吠え。
一つではない。
いくつも重なって、森の中に響いた。
仲間を呼んでいるのか。
仲間の死を嗅ぎつけたのか。
どちらでも、同じだ。
来る。
じきに、あれが群れで来る。
俺の杞憂じゃ、なかった。
村の防衛は、完璧ではない。
でも、出来ることはやった。
魔物の声を聞きながら、そう自分に言い聞かせた。




