第三十九話 柔らかい芋
ハンスがいなくなって、三日が過ぎた。
村は、何も変わらなかった。
女たちは、肉を乾燥させて、男たちは、薪を軒下に積み上げた。
去年も見た、この村の冬支度だ。
誰も、森のほうは見なかった。
ハンスの名も、あれ以来誰も口にしない。
あの人の罠は、別の人が引き継いだ。
冬に備えて、食料は多く確保しなければいけないからだ。
済んだこと。
この村では、そういうことになっている。
俺だけが、まだ割り切れなかった。
その日、俺は村を一周した。
セラを連れて。
というか、俺が出かけようとすると、勝手についてくる。
道中で、花を摘んで俺に渡してくることがある。
今日も、気になる花を見つけたみたいだ。
「花……なまえ、なに?」
「さあな。マルタさんに聞きに行こうか」
「うん」
真っすぐマルタの家には向かわず、村の外側付近を歩いた。
畑を囲う柵に手をかけた。
腰までしかない、細い木の柵だ。
押すとぐらついた。
ただの獣除けだ。
鹿や兎が、畑を荒らさないための。
もし、魔物が群れで来たら。
乗り越えるまでもない。
家は、ばらばらに建っている。
密集して建てれば守りやすいものを、みんな自分の畑のそばに建てている。
守ることなど、考えたこともない土地の建て方だ。
逃げ道も決まっていない。
いざとなれば年寄りたちは、ばらばらに森と反対へ走るのだろう。
走れる者は、だが。
弓を引ける人間は、もうこの村にいない。
剣を握れる者も、俺のほかにいない。
詠唱者なんて、もってのほかだ。
俺は、二十四人を預かって、一人も故郷へ帰せなかった。
あれは、鍛えられた兵だった。
剣も、盾も、隊列もあった。
それでも守れなかった。
そんな俺が、クワしか握ったことのないこの年寄りたちを。
どうやって守るというのか。
剣一本で、群れは止められない。
一匹、二匹なら、俺一人でもなんとかなるかもしれない。
帝国の兵士として過ごした十年で、嫌というほど思い知ったはずだった。
一人でどうにかなる数と、ならない数がある。
本気で守るなら、一人じゃ無理だ。
村ごと、守れる形に変えるしかない。
考えたくないことだった。
考えなければ、次に森へ喰われるのが、この子かもしれない。
エルダインの王宮で対峙した、あの老騎士の言葉を思い出した。
子供を、助けてくれ。
王都からは逃がせた。
もしこの村でこの子が死んでも、俺はあの老騎士の頼みを叶えたことになるのだろうか。
ならないのならば、俺は死ぬまでこの子を――
「レイ、あれ」
「……ああ、リスだな」
ヨハンとマルタの家に着いた。
セラは一目散にマルタのところへ走っていき、俺は居間で座っているヨハンのところへ向かった。
「こんにちは。すみません急に」
「わはは。よいよい。今日はどうしたんじゃ? 飯か?」
「いえ、この村の柵を作り直したいんです」
ヨハンは、囲炉裏の火をいじる手を止めなかった。
「柵?」
「畑のじゃなく、村全体を囲うまともなやつを。あと、逃げるときの道も決めておいたほうがいい、と思います」
「藪から棒に、どうしたんじゃ」
「ハンスさんが、あの森でやられた。あの人は、この村で一番動ける人でしたよね?」
「……まあ、そうじゃな」
「その人が、あっさり亡くなった。今年は厳しい冬になると、あの人自身が言っていました」
ヨハンは、しばらく火を見ていた。
それから、乾いた声で言った。
「レイヴァンや。あんたの言うことも、わからんではない。じゃがな」
「はい」
「大群はあれ以来出てきとらん。毎年一匹、二匹じゃよ。そのために、村中で柵を組む力なんぞ、もうここにはないんじゃ」
みんな冬支度で手一杯だ、とヨハンは言った。
年寄りに、丸太を担げというのか、とも。
どれも、本当のことだった。
「それにな。あんたが、いてくれるじゃろ」
「……それは」
またそれだった。
「でも、備えておいて損はないでしょう。軍ではそう教え……られるみたいです」
「……ふむ」
「……一度だけ、戦を見たことがあるんです。しっかり周りを固めて、備えていました」
どこで、とは言わなかった。
「……好きにすりゃええ」
ヨハンはそう言って、茶をすすった。
「じゃが、無理はせんことじゃ。あんたに倒れられたら、それこそ村が困る」
止められはしなかった。
手伝う、とも言われなかった。
次の日から、俺は一人で森の際に出た。
森の縁から、村までのあいだ。
膝より高い草と、低い藪。
あれがあると、近づいてくるものが見えない。
見えなければ、間に合わない。
テオのときも、間に合わなかった。
鎌で藪を刈った。
人を斬るより、ずっと骨が折れた。
昼を過ぎても刈った跡は、畑一枚分にもならなかった。
こんな調子で、冬までに間に合うのか。
わからない。
それでも、手は止めなかった。
気づくと、セラが、少し離れて座っていた。
今日も、いつのまにかついて来ていたらしい。
膝を抱えて、俺が藪を刈るのをじっと見ている。
「危ないから、そこにいろ」
「うん」
しばらくして、視界の端で、細い枝を拾ったのが見えた。
俺の鎌を振る手を真似るように、枝を地面の草に打ちつけている。
「なにしてるんだ?」
「セラも」
そうは言っても、うまくはいかない。
草は切れない。ただしなるだけ。
当然だ。持っているのは、ただの枝だ。
それでも、この子は何度も繰り返していた。
俺の手つきを盗むみたいに。
日が暮れて、家に戻った。
手のひらが赤くなっていた。
剣を握るのとは、違うところに豆ができている。
かまどに火を入れて、湯を沸かした。
扉を叩く音がした。
マルタだった。
「頑張ってくれるのはありがたいんだけどね。根を詰めすぎだよ」
そう言って、鍋を押しつけてきた。
中は、芋と干し肉を煮たものだ。
まだ、湯気が立っている。
「あんたが一人で藪を刈ってるって、みんな言ってるよ。物好きだねえ、って」
「……すみません」
「謝ることじゃないさ。この村のことを思ってやってくれてるんだろ? ほら、温かいうちにお食べ」
マルタは、それだけ言って帰っていった。
手伝うとは、やっぱり誰も言わない。
でも、なにかを差し入れてはくれる。
この村は、そういうところだ。
セラと、二人で食べた。
芋を半分に割った。
いつものように、柔らかいほうをこの子に渡すつもりだった。
だが、セラが、先に手を伸ばした。
割れた芋の柔らかいほうを取って、俺の口元へ突き出してくる。
「……どうした? お前が食え」
セラは、首を横に振った。
そしてもう一度、芋を俺の口元へ寄せた。
「あげる」
仕方なく口をつけた。
温かかった。
この子は、俺の手つきを盗んで覚える。
藪を刈る、あの真似も。
こうやって、半分を分けることも。
もしかしたらこの子は、俺から人を殺す手つきも覚えるのだろうか。
その夜、窓から外を見た。
白いものが、ひとつ、ふたつと落ちていた。
初雪だ。
去年より、ずいぶん早い。
ヨハンの言った、いつも通りの冬。
ハンスの言った、厳しい冬。
どちらが正しいのか、俺にはまだわからなかった。
わからないなら、悪いほうに備える。
軍にいた頃、それで生き延びてきた。
今年もいつも通りだ。
そう思っておくほうが楽なのだろう。
だが今回は、そう思わないことにした。




