第三十七話 レイ
案内された家は、思っていたよりずっと小さかった。
村から少し離れた、林の際に建っていた。
他の家と同じように、全体が木板で作られている。
違うのは、木の根や草が壁に絡みついて生い茂っている。
「ひどい有様じゃろ。いずれは、村全体がこうなるかもしれん」
たしかに、年寄りばかりのこの村では、そんなに遠くない話だと思った。
ここに住んだとして、二十四人の部下も守れない俺が、戦えもしない連中を守ることなんて出来るのだろうか。
「ここを、切れば……あったぞ。ここから入れそうじゃ」
ヨハンは、扉の前にあった草を刈り取り、手招きをした。
セラが、俺の腕を引っ張った。
まるで、早く行こう、と言っているようだ。
ヨハンが扉を押すと、蝶番が音を出した。
中は暗くて、埃の匂いがした。
長い間、誰も火を入れていない匂いだ。
窓から差す光の中を、埃がゆっくり舞っていた。
「かまどは、使えそうじゃな。煙突の掃除は必要じゃろうが」
土間に、かまどがある。
冷えて灰が固まっていた。
奥に、少し大きめのベッドが一つ。
小さいのが、その脇にもう一つあった。
前の住人には、子供がいたのだろうか。
テーブルと、椅子が四つ。
一つは脚が折れて、横に倒れていた。
セラが家の中を、興味深そうに見ている。
この子は、埃の積もった床を歩いて、家の隅々まで見て回った。
「わはは。子供は好奇心があってよいのお。セラや、そこにあるのは――」
ヨハンが、家に置いてある置物について話し出した。
俺は、かまどの脇の柱に目が留まった。
傷がついている。
刃物か何かで、横に何本も刻まれていた。
低いところから、少しずつ上へ。
子供の身長を測っていたのだろう。
俺の腰のあたりまで来て、そこで止まっている。
「……ここにはな、若い夫婦と子供が住んどった。ある日、魔物の群れが来てのお。逃げ遅れた三人は……」
もう一度、柱を見た。
すると、セラも柱の方に来た。
柱の傷を見ている。
柱に刻まれた子供の背丈と、セラの身長が近いことに気づいた。
亡くなった子供は、セラと同じくらいの年齢だったのだろう。
子供でも、簡単に死ぬ。
「なんじゃ、そこに印を残したいのか?」
セラは振り返り、少し照れ臭そうな顔をした。
この子は、こんな顔もするのか。
しばらく一緒にいたが、俺はこの子のことを、まだ何も知らない。
セラの方に近づいて、頭をポンと叩いた。
「ほら、柱にくっついてみろ」
そう言って、セラの今の身長を柱に刻もうとした。
一瞬、手が止まった。
俺は、この子の母親を殺した。
それなのに、まるで父親のようにこの子に接しようとした。
背筋が強張った。
柱に傷をつけた。
少し、いびつな線になった。
「おー。村に来た記念じゃな。早く大きくならんとのお。わははは」
セラが少し笑った。
この子は、笑うことができた。
「あいやー。ひでえ有様だな。ヨハン、人集めて来たぞ!」
「おお、それじゃあ暗くなる前に、中だけでも綺麗にするかの」
村人が十人ほど来た。
「あ、ありがとうございます」
「なあに、気にすんな。これからは、わしらがお前に世話してもらわなきゃいかんからな!」
親父連中が馬鹿笑いをしていた。
なぜだか、昔を思い出す。
小隊長になる前は、俺もこうして仲間たちとよく笑っていた。
ほとんどの連中は、もうこの世にはいない。
「ほら、あんたら! 日が暮れちまうよ! さっさと掃除しな!」
女の一人が、男の頭を叩いた。
それが合図のように、みんなが一斉に動き出した。
魔物に喰われた、家族の抜けた家。
その家に、これから俺とセラが、親と子のふりをして住む。
村人の手伝いもあって、みるみる家の中が片付いていった。
扉の蝶番を締め直し、折れた椅子の脚は、林で拾った木で継いだ。
かまどの灰を綺麗にして、煙突も掃除をした。
俺は、人を殺すことしかしてこなかった。
だが、こういうことも、やってみれば出来ないことはなかった。
なにかを作るということは、なにかを壊すことより、よっぽど大変だということにこの歳で気づいた。
セラは、女と床掃除をしていた。
濡らした布で、一生懸命、床を拭いていた。
「あらセラちゃん、上手ねえ。今度うちの掃除もお願いしようかしら」
女がそう言うと、セラは小さく頷いた。
それを見て、村人たちが笑った。
もしかしたら、この子はここで暮らすのが合っているのかもしれない。
ここの暖かい人たちと。
俺のやるべきことは、この村に、この子を連れてくることだったのかもしれない。
ここなら安全に――
また、柱が目に入った。
「おい、レイヴァン! さぼってんじゃねえよ! さっさとしないと、日が暮れちまうぞ」
声が飛んできた。
「……すみません」
今は、考えるのをやめた。
空がオレンジ色になる頃、ようやくひと段落ついた。
埃だらけだった家は、見違えるように綺麗になった。
村の年寄り達が、いろいろなものを持ち寄ってくれた。
マルタが、豆や干した毛布を持ってきてくれた。
誰かが、古い鍋を「使わんからな」と言って置いていった。
他にも、名前の知らない誰かが、何かしらを持ってきた。
俺はそのたびに、どう返せばいいのか分からなかった。
奪うことには慣れていた。
でも、与えられることには慣れていなかった。
ヴェッセルでも、エルダインでも、俺は村から取り上げる側だった。
金品を。作物を。家を。人を。
それが今、逆になっている。
突き返すことも、できなかった。
ただ、頭を下げた。
下げ方もよく分からないまま。
村人が帰ったあと、俺はかまどに火をいれた。
火が、ぱちぱちと鳴った。
それを見ていた。
気づいたら、セラが俺の横に立っていた。
「疲れたか?」
そう言いながら、俺は床に座った。
一度だけ頷いて、セラも膝を抱えて座った。
二人で、火が揺らいでいるのを見ていた。
「ここは気に入ったか?」
ゆっくり頷いた。
ここの人達が、セラの面倒を見てくれる。
俺は、もう、必要ない。
この子の親を殺しておいて、どんな顔で接すればいいのかわからない。
母親のことを聞かれたら。
俺は、この子に嘘をつくのか。
本当のことを言うのか。
どっちにしても、この子にとって良くないことだ。
ここを出よう。
そう決心した瞬間、腕の方に重みがきた。
セラが、眠ってしまったようだ。
俺の体にもたれ掛かりながら、なんの警戒心もなく寝ている。
顔を見ると、決心が揺らぎそうだった。
だから、すぐに目を逸らした。
俺は、起こさないように、セラを抱えてベッドまで運んだ。
降ろそうとした瞬間、セラの口が動いた。
「……レ、イ」
息が止まった。
空耳かと思った。
だが、たしかにそう言った。
母親を殺してから、一度も声を聞かせなかった子が。
呼んでも、返さなかった声が。
レイ、と。
俺の名前だ。
いや、正しくはその半分。
親しい者しか呼ばない、短いほうの名前。
その名で俺を呼んだうちの一人は、処刑された。
この子が、それを知っているわけがない。
「レイヴァン」と言おうとして、舌が回らずこぼれ落ちただけだ。
頭では、そう分かっている。
それでも、その二つの音は、死んだ連中の呼び方と同じ形をしていた。
俺は、この子をベッドに降ろしかけた格好のまま、動けなくなった。
出て行くつもりだった。
この子は、ここの温かい連中に任せればいい。
俺なんかより、ずっとましだ。
もう必要ない。
そう決めた、はずだった。
その、必要ないと切り捨てた男の名を、この子は呼んだ。
眠りの淵で、俺を探すみたいに。
足が、動かなかった。
ここに残れば、俺はこの先、ずっと嘘をつく。
いつかこの子は俺に聞くだろう。
母親がどうなったのか。
お前が誰なのか。
お前は何をしたのか。
問われるたび、口をつぐむか、嘘を重ねるかのどちらかだ。
それが、何年も続く。
分かっていた。
分かっていて、俺はこの子の寝顔から目を逸らせなかった。
結局、俺は出て行かなかった。
この子をベッドに寝かせて、毛布を掛けてやった。
俺は、ベッドには行かなかった。
死んだ子の寝ていた場所に、この子を寝かせた。
それだけで、もう、十分だった。
かまどの火のそばに、横になった。
濡れてもいない靴を、火の側に並べて。
帝国にいた頃と同じように。
ただ、頭の上には屋根があった。
扉のほうは見なかった。
王都から逃げて、初めてだった。
追手のことを考えずに、目を閉じたのは。
この子のために、ここを出るつもりだった。
この子のために、ここに残ることにした。
どっちも、この子のためだと、思うことにした。
本当のところは、考えないことにした。




