第三十六話 輪の真ん中
村を出て、俺達はひたすら北へ歩いた。
なぜ北なのか。北になにがあるのか。
自分でもわからない。
しばらく進むと、人の住んでいる気配がなくなった。
畑も道も細くなって、やがて消えた。
そこにあるのは、枯れた草や低い岩、遠くの山ばかりだ。
エルダインはもう抜けたのだろうか。
抜けたとしたら、ここは一体、誰の土地なのだろう。
ともかく、帝国の土地じゃなければどこでもいい。
帝国の匂いがしないところまで進む。
いや、逃げる、が正しいのかもしれない。
王都からここまで、どのくらい歩いたんだろう。
その間、ずっと後ろを気にしていた。
帝国の兵士。
俺の顔を知る誰か。
セラを探す追手。
もし来るなら、いつ、どこで。
そんなことを、ずっと考えている。
だが、来なかった。
一人も来なかった。
来たのは、追手じゃなかった。
道の脇の岩陰から、三人組が急に出てきた。
薄汚れた身なり。
手には、錆びた剣と棍棒。
兵士じゃない。
野盗だ。
食い物や金目の物を求めて、旅人を狩る連中だ。
「おい。誰の許可でここを通るつもりだ?」
一人が、前に出て言った。
「許可?」
「そうだ。ここは俺達の縄張りだ。通してほしかったら、金目の物を置いていきな」
「そんな物はない。見てわかるだろう」
本当のことだった。俺には、もう、何もない。
「ああ、たしかに見てわかるな。そのガキを置いていきな」
男の目が、俺の腕の中に向いた。
「ガキはいい金になる。置いていきな。そうすりゃ、命だけは――」
最後まで聞かなかった。
セラを道の脇に下ろした。
目を見て「動くな」と言った。
もう慣れたものだった。
剣を抜いた。
「おいおい。やる気か? ガキを渡せば命は助けてやるって言ってんだよ」
「欲しければ奪いに来い。そんな度胸があるならな」
「て、てめえ。なめんじゃねえ!」
三対一は、さすがに分が悪い。
数だけは向こうが上だ。
ここは、慎重に一人ずつ相手をする。
まずは、挑発をして、話していた奴を狙った。
見るからに気が短そうだったからだ。
狙い通り、突っ込んできた。
ただただ、力任せに棍棒を振り回すだけ。
やっぱりそうだ。
こいつらは腹を空かせた、ただの素人だ。
ヴェッセルやエルダインで、俺が相手にしてきたものとは、比べ物にならない。
振り回している棍棒を剣で弾いて、柄で顎を打った。
そのまま、前のめりに倒れ込んだ。
二人目がつられて飛び出してきた。
その手首を掴んで捻る。
剣が落ちた。
その喉が、目の前にあった。
剣を突き出せば、簡単に殺せる。
生かしておけば、また誰かを狩る。
ここで殺しておくのが正しいはずだ。
斬ろうとした。
だが、視界の端にセラがいた。
こっちを見ていた。
――剣を持つ拳で、思いっきり殴った。
男は、白目を剥いて倒れた。
残った一人は、動かなかった。
仲間が二人、地に伏せているのを見て、俺を見た。
俺はただ、そいつを見返した。
目が合った。
男は剣を取り落として、背を向けて逃げていった。
俺は剣を納め、セラを抱え上げて走った。
その場を離れた。
息が切れるまで走って、ようやく止まった。
追手じゃなかった。
あれだけ、来る来ると怯えた帝国は来ない。
代わりに来たのは、腹を空かせた、名前もない三人の野盗だ。
俺が恐れていたものと、実際に牙を剝いたものはこんなにも違った。
腕の中で、セラは声を立てなかった。
相変わらず、俺の顔をじっと見ていた。
この子は、俺のことをどう思っているんだろう。
それから、五日ほど歩いた。
辺りは、少しずつ緑を取り戻し、やがてまた、畑が現れた。
人の手の入った土。煙。
小さな村が見えた。
俺は、木の陰からそれをうかがった。
あの村も、エルダインの一部なのだろうか。
腕の中で、セラの腹が鳴った。
小さくて、情けない音だった。
……やるしかない、か。
目が勝手に、干し物や畑の作物を探していた。
夜を待って、盗む。
俺は、この前の野盗とは違う。
この子が生きるために、少しだけ貰う。
そう自分に言い聞かせた。
「おおい、あんちゃん!」
声が飛んできた。
畑の向こうから、腰の曲がった老人が、手を振っていた。
俺にだ。
俺は身構えた。
だが、その老人の顔に警戒はなかった。
「ちょうどよかった。ちょっと、手ぇ貸してくれんかのお!」
荷車が道の溝に、片輪を落として傾いていた。
俺は、一瞬迷った。
逃げることもできた。
だが、逃げれば目立つ。
セラを降ろし「離れるなよ」と言った。
いつでも、剣が抜けるように。
老人のもとへ向かった。
セラは俺の後ろをついてきている。
「悪いね、あんちゃん。わし一人じゃどうにもならんくてのお」
「……いえ」
車輪に肩を入れて持ち上げた。
荷車はぬかるみから、ずるりと上がった。
「おお、助かったわい。あんた、力あるねえ」
老人は、シワだらけの顔で笑った。
「いえ、それじゃこれで――」
その時、またセラの腹が鳴った。
老人にも聞こえたらしい。
「わははは、なんだいお嬢ちゃん腹ぺこか? あんたら、どっから来たんだ。飯は、食ったのか?」
俺は、答えられなかった。
「まあ、先に飯を食わんとな。うちのばあさんの飯は絶品じゃぞ」
断ろうとした。
だが、セラは腹を空かせている。
セラは、俺の服を握りしめて、俺を見上げている。
「……それじゃあ、少しだけ」
「わはは。遠慮せんでよい。ほら、ついてきなさい」
老人は、俺達を村へ連れて行った。
村に向かう道中に、何人かの人に出会った。
ほとんどが、老人ばかりだ。
その光景に、少し違和感を覚えた。
村に入ってすぐ、老人の家があった。
「ばあさん、ただいま! 客が来たぞ!」
「あら、それはめずらしいね」
そこにいたのは、老人と同じく、シワだらけの婆さんだった。
「まあ、可愛らしい。お名前は?」
おばあさんが、セラに話しかけた。
「すみません。この子、話せないんです」
俺の服を握る手が、強くなったのがわかった。
「あらあ、でもお腹はすくわよね? さ、そこに座りなさい。すぐに出してあげるからね」
その時、家の扉が開いて、数人の村人が入ってきた。
「客人が来たんだって? 差し入れ持って来たぞ!」
「子供がいるって聞いたら、母ちゃんがこれ持ってけって」
みんな、何かしら持ってきてくれた。
見ず知らずの俺達に。
「わはは。すまんのお。こんな田舎だから、ちょっとしたことでみんな舞い上がってしまうんじゃ」
その時、食事が運ばれてきた。
振る舞われたのは、野菜ばかりの、煮物と汁だった。
肉はない。
だが、量はたっぷりあった。
婆さんが「うちの味付けは、村一番だからね」と胸を張った。
セラは、俺の膝の上で、少しずつ食べた。
村の年寄り達が、その様子をにこにこと見ていた。
俺は、その輪の真ん中にいた。
人を殺した手で、物を盗んだ手で、あたたかい輪の真ん中に座っていた。
落ち着かなかった。
飯が済んだ頃、老人が言った。
「そういえば、まだ名前を聞いとらんかったのお。わしはヨハンじゃ」
「あたしはマルタだよ」
名前。
そういえば、帝国から逃げてから、はじめて名乗るかもしれない。
「レイヴァン……です。こっちは、セラ」
「レイヴァンとセラかい。そうかいそうかい」
ヨハンは、茶を飲みながら頷いた。
「レイヴァンや、行く当てはあるのかい?」
「……いえ」
「ならどうだ。この村に住まねえか?」
俺は、顔を上げた。
「何年か前に、魔物の群れが来ての。若者のほとんどがやられてしまったんじゃ。魔物はもちろん、畑もわしらだけじゃ手が回らないんじゃ」
老人は、俺の腰の剣に目をやった。
「剣を使えるんじゃろう? 腕の立つのが一人いてくれりゃ、村の年寄りも、安心して眠れるんじゃ」
剣を使えるんだろう。
使える。
使いすぎるほど、使ってきた。
人を、殺すために。
そんな汚れた手を、この村は守るために欲しいと言う。
「村外れに、空いた家があるんじゃ。汚れちゃいるが、屋根はある。掃除すりゃ、住めるじゃろう。……まあ、まずは、見てみな」
俺は、すぐには、返事ができなかった。
留まる。
この、俺が誰かも知らない村に。
もし留まって――いつか、俺の正体が知れたら。
もし、ここもいつか帝国が呑み込んだら。
考えることは、いくらでもあった。
だが、膝の上で、セラがあたたかい汁を飲み干して、小さく息をついていた。
俺は老人の後について、村外れの家へ向かった。
まだ、何も決めないまま。




