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業の福音 〜征服こそ正義だと信じていた男は、その手を汚し続けた〜  作者: 星喰ゆう
第二章 エルダイン攻略戦

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第三十話 羊飼いの道へ

 城中が、燃えていた。


 まるで、背中を熱が押してくるようだ。


 梁の落ちる音や、石の割れる音。

 その音に紛れて、人の叫び声が聞こえた。


 誰のものかは分からない。

 敵も味方も、もう叫ぶしかなかった。


 俺は、血で滑る廊下を走っていた。

 片腕に、子供を抱えて。


 軽い。

 走るたび、その体が脇で跳ねた。


 掴んだ手だけは、緩まない。

 俺の服、血の匂いのする服を離さなかった。


 この子は、俺が母親を殺すところを見たのだろうか。


 いや、今は考えない。

 考えれば足が止まる。


 まずは、王都から離れる。


 それだけを考えればいい。


 体中が悲鳴を上げているのがわかる。


 あの、老騎士に蹴られて柱に打ちつけた背中。

 元から傷がある、腕や太もも。


 この戦で、数えきれないほどの傷を負った。


 それに加えて、片腕がふさがっている。


 この子を抱え直したり、少しの段差を気にしたり、いつもの自分では、考えもしないようなことに神経を使ってしまう。


 そのせいで、なかなか出口までたどり着かない。


 しばらくして、外へ出られた。


 夜の風が、汗ばんだ背中にまとわりついた。


 周りに火は上がっているのに、明かりの届かない場所は底なしに暗い。


 石畳に、荷物が散らばっている。


 野菜。

 何かの袋。

 片方きりの靴。



 靴。



 逃げる時に脱げたのだろうか。

 それが子供のものかどうか、気になった。


 靴を拾おうとした瞬間、思い出した。

 王妃の言葉を。


 俺達は、飼いならされた奴隷。


 他国の人間を殺すように、命じられるまま動く、哀れな奴隷。


 俺達はエルダインの人達の生活を壊した、侵略者なのだと。


 そんな俺が、逃げた子供の心配をすることに、意味はあるのか。

 そんな人間が、殺した人間の子供を助けることに、理由は――


 立ち止まれば、そんなことを考えてしまう。


 俺は、また走り出した。

 王都の外へ。


 角を曲がったところで、二本の松明が見えた。


 帝国兵だった。

 軍装が、同じ。


 だけど、第七軍団の連中じゃない。


 綺麗な軍装。

 第二軍団の連中だ。


 一人が、家の扉を蹴破っている。

 中から女の悲鳴が聞こえた。


 別の一人が、こちらを見た。

 俺の腕の、布包みに目を留めた。


「おい、お前。どこの隊だ? 何を持ってる?」


 手が、伸びてきた。

 中身を確認するような手だ。


 俺達が攻めていた門は反対側だ。


 こちらに帝国兵がいるということは、脱出の為に、兵士か住民が門をこじ開けたに違いない。


 外で待ち構える役割のこいつらが、こんなところにいるなんて、盗賊まがいの略奪をする以外に理由はない。


 こいつらは戦利品を探している。


 俺は体を開いて、包みを反対の脇へ回した。


「これは軍団長に持っていけとの指示があった品だ。他を当たれ」

「……軍団長が?」


 嘘だ。

 俺は、第二軍の軍団長の名前も知らない。


 けど、こんな状況で、俺に出来るのは、こんなか細い線を渡る賭けに出ることだけだった。


「中身はなんだ?」

「……お前、名前は?」

「……オーレク」

「そうか、オーレク。軍団長に報告しておこう。持ち場を離れて、軍団長の持ち物を奪おうとした、と」

「っ!」

「別にお前たちのやってることにケチをつける気はない。俺は軍団長の命令を――」


 言いかけたところで、もう一人が声をかけた。


「おい、もういいだろ! はやく俺達の取り分を取りに行くぞ!」

「あ、ああ。すまなかったな」


 帝国兵は、走って街中に消えていった。


 なんとかしのげた。

 でも、これが何度も通用するとは思えない。


 早く外に出ないと。


 歩調は、変えなかった。


 速く歩けば、目立つ。

 遅すぎれば、覚えられる。


 十年間戦場で培った経験が、歩く速さを決めた。


 今のやり取りでも、腕の中で子供は声を立てなかった。


 すべて、聞いていたはずだ。


 それでも、泣かない。



 大通りに出ると、人が増えた。


 逃げる住民の流れだ。


 荷を負い、子の手を引き、頭を低くして、門のほうへ流れていく。


 一部の人間は、暴動のように兵士に殴りかかってる。

 無秩序な状態だ。


 だからこそ、逃げる隙がある。


 俺も、その中に紛れようとした。


 紛れれば、消える。

 エイダンの言ったことの、真似のつもりだった。


 住民に押されながら門を出た。


 自然と、この子のことをかばうように進んでいた。


 王都の外では、帝国兵が流れを止めようと、小規模だが、脱出を阻止する形を組んでいた。


 槍を突き出し、住民に「止まれ!」と叫んでいた。


 検問を突破しようとした者、帝国兵に逆らったものは、容赦なく殺されていた。


 それを見て、王都から出る流れが緩くなっていた。


 このままでは逃げられない。


 そう思った時、住民の波に紛れていたエルダイン兵が帝国兵に襲い掛かった。


 数は五人。

 決して多くない。


 多くないが、帝国兵の注意がそちらに向いた。


 今しかない。


 俺は列を外れ、街道から逸れて、壁沿いを走った。


 壁沿いの兵士が、先ほどのエルダイン兵の背後を突こうと離れた隙を狙った。


 幸い、上手くいった。


 この混乱と暗闇が、隠してくれた。


 ――三本のうち、二本は街道だ。


 関所がある。

 使えない。


 耳の奥で声がした。


 もう一本は、丘を回って川に出る。

 川を渡って森に入れば、捜索は難しい。


 そのまま、エルダインを抜ける。


 あの時、俺は黙って聞いていた。


 一緒に行くとは、答えなかった。


 名簿も、開かなかった。


 あいつと並んで、その道を歩くことはしなかった。


 その道を俺は今、一人で辿ろうとしている。


 いや、一人じゃない。


 連れているのは、エルダインの王妃の子供。


 エイダンでも、リーゼでもなく、敵国の王女を連れて逃げている。



 しばらく進むと、そこは畑だった。


 刈り取りの済んだ、痩せた畑。

 土の匂いがした。


 気づいたら、さっきまでの王都の熱気が感じられなくなっていた。


 夜の冷たい空気が、一気に肺の中へ入ってくる。


 畑の先に、丘の影がいくつも重なっている。


 北だ。


 あの丘の間を、羊飼いの道が縫っているはずだった。


 エイダンが、あの先で捕まった。


 道の先に川がある。

 渡れる場所が、二か所。


 浅瀬だとブルーノが言っていた。


 エイダンは吊るされ、ブルーノは王城の広間に置いてきた。


 二人とも、もういない。


 残ったのは、その二人が置いていった言葉だけだ。


 それを頼りに、俺は北に向かって進んでいる。



 背後で、まだ王都が燃えている。


 振り返らなかった。

 振り返る間が惜しい、というのもある。


 だがたぶん、それだけではなかった。


 後ろで、砂を蹴るような音が聞こえた気がした。


 足を止め、闇に目を凝らす。


 何もいない。


 畑が、黒く広がっているだけだ。

 風が、草を鳴らした。


 それを、足音と聞き違えた。


 誰も追いかけてこない。


 そう思おうとした。


 リーゼが誤魔化してくれて、追っ手はいないのかもしれない。



 後ろには、風しかなかった。

 それが、なぜだか不気味に感じられた。


 腕の中で、子供が俺の服を掴み直した。


 俺は、また歩き出した。

 丘のほうへ。


 エイダンが示した、羊飼いの道へ。

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