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業の福音 〜征服こそ正義だと信じていた男は、その手を汚し続けた〜  作者: 星喰ゆう
第一章 ヴェッセル掃討戦

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第二話 ヘノーシス

 人間を数えるのは、思ってたより難しい。


 翌朝、第三小隊を横一列に並ばせた。名簿を持って、端から数えていく。

 二十三人だった。


 もう一度数えた。やっぱり二十三人。


「一人足りないな」

「腹を下してます」

「昨日の飯が当たったんですよ」

「おれも危なかった」


 最後のはゲルントだ。後列であくびをしている。


「初日に数が合わないってのは、不吉だな」

「小隊長、そういうことはあまり言わないほうが……」

「そ、そうか」

「はい。あと、もう少しどっしり構えていてください。みんな不安になります」

「はあ。たぶん向いてないんだよ」

「まあすぐに慣れるでしょう」

「なんか偉そうだな、お前」

「軍歴は自分のほうが長いんで」


 何人かが笑った。ゲルントは笑わない。あくびを続けている。

 この男は俺を見ている。この程度のことで慌てるかどうかを。九年も軍にいれば分かる。


「じゃあ待とう」


 名簿を閉じた。



 その一人が土手の向こうから走ってきたのは、数分後だった。


 背が高い。肩幅は俺より広い。髭を剃っていない。

 その走り方には見覚えがあった。


「遅れました」


 息を切らせて、列の端に収まった。それから、こっちを見た。


 俺達は三秒ほど見合った。

 それから、あいつは表情を一切変えずに、正面へ向き直った。


 ――ああ。

 こいつは分かってる。


 二十三人の前で「久しぶりだな」なんて言ったら、その瞬間に終わりだ。同郷の贔屓がある小隊長だと一度思われたら、二度とひっくり返せない。


 あいつはそれを、走ってくる間に計算したんだろう。


 昔からそうだった。俺が石を投げてから考える人間なら、あいつは投げる前に、当たった後のことまで考える人間だ。


「これで二十四人。全員揃ったな」


 数え直さなかった。



 訓示は前の晩に考えてあった。

 帝国の一員として、一統の福音のもとに――。三回書き直した。悪くない出来だと思ってた。


 けど、全員の顔を見てやめた。

 半分は俺より年上だ。三分の一は俺より長く軍にいる。そういう相手に「福音のもとに」なんて言うのは、経験上、いちばん軽く見られる方法だ。


「二つだけ言う」


 名簿を脇に挟んだ。


「一つ。夜営したら、まず靴を脱げ。飯より先だ。乾かないなら火の近くを空けさせろ。文句を言うやつがいたら俺の名前を出せ」


 何人かが顔を上げた。


「二つ。この州で死んだ帝国兵の半分は、戦闘で死んでない。荷馬車の護衛中、夜明け前、それと村に入る時と出る時だ。移動と待機で死ぬ。だから移動と待機で気を抜くな」


 少し間があった。


「以上だ」

「以上ですか?」


 ゲルントだった。


「なんだ、まだ聞きたいか」

「いえ。前の小隊長殿は十五分くらい喋ってました。福音の話を」

「そうか」

「良い話でしたよ。おれは三分で寝ましたけど」


 何人かが笑った。ゲルントは笑ってない。


「その三日後に矢を食らって死にました」


 誰も笑わなくなった。


 こういう時に何を言えばいいかは知ってる。というより、何を言っちゃいけないかを知ってる。

 弔いの言葉を口にしたら、こういう男は俺を軽く見る。


「なら十四分でやめとくか」

「次の小隊長の歓迎会の準備をしときます」


 ゲルントが鼻を鳴らして、それきり何も言わなかった。

 合格だったのかは、今でも分からない。ただ、その日から彼は俺の隣を歩くようになった。



 列の左端に、明らかに若いのが一人いた。


 リーゼ。十七歳。入隊は今年の春。

 入隊年の欄が、二十四人の中で一人だけ違っていた。他の全員は、少なくとも二年以上の従軍経験がある。


 オーレディア軍は男女を分けない。体格で振り分けはするが、それだけだ。伝統がどうとか体面がどうとか言っていられる国は、たぶん征服をしていない。


 だから彼女がそこに立っていること自体は、何も珍しくない。


 珍しかったのは、目のほうだ。


「小隊長殿」


 行軍が始まってしばらく、彼女が斜め後ろから話しかけてきた。声が硬い。何度か言いかけてやめた気配があった。


「なんだ?」

「先ほどの訓示ですが」

「靴の話か」

「はい。あの……感銘を受けました」

「靴の話にか?」

「はい。兵を無駄に死なせない指揮官だということだと理解しました。福音は、まず生きている者のためにあるものだと、教練所で教わりましたので」


 少し黙った。


「教練所ではそう教わったか」

「はい。分かたれているから人は争う。ならば合一こそが救いである。争いを終わらせるために我々は行くのであって、殺しに行くのではない、と」


 一字一句、俺が十八の時に暗記させられたのと同じだった。九年経っても、教える文句を変えてないらしい。


「その通りだ」


 そう言った。


 嘘じゃなかった。俺は本当にそう思ってた。彼女を騙したんじゃない。俺自身が同じものを信じていて、信じてるものを肯定しただけだ。


 それが悪いんだと、当時の俺は考えたこともなかった。


「先輩方は、あまりそういう話をされないので」

「長く軍にいると照れくさくなるもんだ」

「小隊長殿は照れないのですか」

「照れる。だから訓示でやめたんだ」


 彼女が少し笑った。よく笑う子だった。


 斜め前をゲルントが歩いていた。振り返りもしなかった。



 第三小隊の任務は、ヴェッセル州北部、シェルマ谷の三つの村の巡回と検分だった。

 四日前、この谷を通った補給隊が襲われている。荷は焼かれ、御者が二人死んだ。


 山に入って最初の夜、見張りの割り当てを書いた。

 二番目の交代に、自分とエイダンの名を並べた。


 ……我ながら、せこい。



 火から少し離れた岩の上に座った。

 しばらくして、エイダンが来た。


「小隊長殿。見張りの組み分けですが」

「なんだ」

「他は全部、順番通りです。二番だけ都合がよすぎませんか」

「偶然だ」

「……昔、よく聞いたセリフだ」


 こいつはいつも、なんでもお見通しって目をしている。


 エイダンが隣に腰を下ろした。

 少し黙ってから、口を開いた。


「久しぶりだな、レイ」


 九年ぶりに、その呼び方を聞いた。


「懐かしいな、その呼び方。小隊長って呼べ」

「人がいる時はそう呼ぶ。背中が痒くなるけどな」

「……俺もだ」


 エイダンの口元が緩んだのが、月明かりで見えた。


「レイが小隊長になったって聞いた時、正直、腰が抜けるかと思ったよ」

「おい。言いすぎだろ」

「なんも考えてなさそうなレイが小隊長だぞ。村中がひっくり返るぞ」

「うるさいな」


 昔からこうだった。俺のことを馬鹿にしているようで、ちゃんと見ている。いや、見透かされていると言ってもいい。


「村には帰ってるのか?」

「ああ。この前、久々に帰れた。レイの母さん、元気そうだったぞ」

「そうか。イルザは?」

「十歳になったって言ってたな。字を教えてたけど、三日で諦めたって」

「誰に似たんだろうな」

「お前がガキの頃と同じだな」

「うるせえ」


 俺はあまり村に帰っていない。居場所がなくて村から出てきたみたいなもんだからだ。今さらどんな顔をして帰ったらいいか分からない。


「お前んとこは?」

「元気だよ。上の妹が嫁に行った」

「嘘だろ? あのハンナが?」

「俺も同じ反応した。相手はヤンさんのとこの息子だ」

「あのバカ息子に?」

「あのバカ息子にだ」


 少し笑った。俺だけが。


 火のほうで誰かが咳をした。風が変わって、煙がこっちに流れてきた。


「なあ」

「なんだ」

「その、なんだ。……気にしてないか」

「なにを」

「いや。同じ年に入って、俺が小隊長で、お前が部下ってのは」


 言ってから、聞くべきじゃなかったと思った。

 エイダンは少し黙った。それから、いつもの調子で言った。


「別に。俺は命令されるほうが楽でいい」

「そうか」

「レイが上でよかったよ。責任の取り方を知らない奴の下につくよりましだ」

「なんかあったら責任とれって意味か?」

「そうだ。お前にぴったりの役割だろ」

「嫌な役割押し付けんなよ」


 俺は笑った。エイダンは笑わなかった。


「レイ」

「ん」

「お前、村を出た時のこと覚えてるか」

「なんだよ急に」

「レイの母さんが再婚して、その二年後にさっさと出ていっただろ」

「……まあ」

「あの時、俺は思ったんだ。ああ、こいつ逃げたなって」

「逃げてない。福音のために――」

「そういうことにしとけばいい。俺も人のことは言えないしな」


 言い返そうとしたけど、うまい言葉が出てこなかった。

 こういう時、こいつには勝てない。昔からだ。


「……お前、変わらないな」

「レイもな」


 交代の時間になった。次の組を起こしに行く。

 立ち上がる時、エイダンが言った。


「レイ」

「今度はなんだ」

「二十四人、ちゃんと数えとけよ」


 俺は手を振って、火のほうへ歩いた。


 その一言が、あんなに引っかかったのか。当時は分からなかった。



 二日かけて山を登った。


 雨は上がっていたけど、道は相変わらず泥まみれだった。斜面に張りついた細い道で、山羊の糞が点々と落ちている。両側は背の低い木が生えた急斜面だ。


 三日目の昼過ぎ、最初の村が見えた。


 斜面の窪みに、十五、六軒。石を積んだ壁に、板と枯草を重ねた屋根。俺の故郷カルヴェン村とそう変わらない造りだった。


 そこで足が止まった。


「小隊長殿?」

「……煙が上がってないな」


 昼だ。どの家からも、一筋も。

 この寒さで火を落としてる村はない。


「ゲルント」

「見えてます」


 あくびをしてた男の声が、それまでと違っていた。


「三人、俺と来い。エイダン、本隊を任せる」


 初めて、部下としてエイダンの名を呼んだ。


「了解」

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