第二十八話 セラ
ブルーノは、広間に残していくしかなかった。
埋める時間はない。運ぶ余裕もない。奥から、まだ、戦いの音がしている。俺達は、進まなければならなかった。
「ブルーノさん……」
リーゼが、言いかけた。
「……進むぞ」
俺は、そう言った。それ以上、言えなかった。
ヤコブは、埋めた。石を敷いて、剣を立てて、みんなで黙った。
エイダンは、浅い穴に埋めた。墓標も立てられなかった。
ブルーノは、埋めることすら、できない。血だまりの中に、他の兵と一緒に、置いていく。
誰の血か、もう分からない。
弔いは、こうやって、少しずつ削れていく。最後には、何も残らない。
リーゼは、ブルーノのほうを、一度だけ見た。それから、俺についてきた。
さっきの奇襲のことは、二人とも、口にしなかった。
俺が、あの子の剣を囮にして、老騎士を刺したこと。
あの子が、それを見ていたこと。
触れれば、壊れる気がした。
まだ、壊れるものがあればの話だが。
奥の扉は、半分、開いていた。
中は、狭い部屋だった。祈りの場所か、書斎か。窓はない。燭台の火が、いくつか灯っている。
「そんな……ヴァレンスが負けるなんて」
部屋の奥から、声がした。
そこには、女がいた。
立派な服を着ていた。今まで見たことないくらい立派な服だ。
この王宮で、かなり地位のある女だと、一目で分かった。
俺のような人間が、口をきくことも、本来なら許されない立場の女だ。
その女が、剣を、両手で握っていた。
剣の持ち方を、知らない手だった。切っ先が、震えている。重さに、耐えかねている。飾りの剣を、壁から外して、握っただけだろう。振り回すのが、やっとだ。
それでも、女は、退かなかった。俺と、女の間に、何があるわけでもない。ただ、女の後ろに――部屋の隅の、石壁の窪みに、目を向けないようにしているのが、分かった。
「ここから出ていきなさい。さもな――」
「武器を降ろせ。抵抗しなければ、殺さない」
女が言い終わる前に、言葉を返した。
「……侵略者の言うことを聞くと思うとでも?」
その言葉を聞いた瞬間、今さら、一統の福音の一説を思い出した。
思わず口ずさんだ。
「争いを終わらすために、我々は進む……」
「……小隊長殿?」
女には、たぶん聞こえなかった。隣にいた、リーゼは聞こえたようだ。
「我々は、侵略しに来たのではない。統一を果たし、争いをなくす。そのために――」
「戯言ですね。あなた方が起こした争いで、一体何人が死んだと思っているのですか?」
「……」
「あなた達は、帝国出身ではありませんね。あなた方の故郷も、征服されたのでしょう?」
「それがどうした」
「征服された土地の人間が、どういう扱いになるか聞いています。あなた達は、無茶な作戦で大勢失ったのでしょう?」
言葉もなかった。帝国出身じゃないってだけで、俺達だけが、大勢死んだ。無謀な作戦で。
「あなた達は、ただの奴隷です。帝国に虐げられて、飼いならされた、哀れな奴隷」
「き、貴様!」
リーゼが剣を構えた。
俺は、なぜかそれを、止めた。
「なら、俺達はどうすればよかった? 故郷を、家族を守るために」
「そんなこと、わたくしには――」
「教えてくれ! 大勢死んだ。友も、戦友も、部下も。どうすれば、あいつらは、死なずに済んだんだ!」
誰も、なにも言わなかった。
しばらくして、女が口を開いた。
「ここから、立ち去りなさい。帝国を出て、自由に暮らすのです」
「……そんなこと、出来る訳がない」
「出来なければ、あなたは死ぬまで、その苦しみを背負うことになります」
言葉に詰まった。
どのくらい時間が経っただろう。
しばらく考えた後、俺は女に言った。
「武器を捨てろ」
女は、一瞬目を閉じて、剣を構えなおした。
「わたくしにも、守るものがあります」
女が、斬りかかってきた。
叫び声もなかった。ただ、剣を、上から振り下ろしてきた。遅い。素人の太刀だ。
受けるまでもなかった。半歩、下がれば、当たらない。あるいは、剣を持った手首を、掴めばいい。この女を、押さえ込むことは、できた。殺さずに、取り押さえることが。
できたのに、俺は、剣を突き出していた。
武器を持って、向かってくる者は、斬る。
自分で立てた線だ。今夜、部下に配った線だ。市街で、何度も、その通りにしてきた。武器を持たない女は、通した。武器を持った男は、斬った。
この女は、武器を持っていた。だから、斬った。
筋は、通っていた。
腹立たしいほど、通っていた。
剣が、女の腹に、入った。
女の目が、見開かれる。
俺は、名乗らなかった。名乗る義理もなかったし――本当は、怖かったからだ。
名を知られたくなかった。この女に、恨む相手を、与えたくなかった。
名も、顔も知らない男に殺される。そのほうが、まだ、ましだと思った。
女は、崩れ落ちる、その前に、後ろを振り返った。
俺を見るのを、やめて。もう、俺のことなど、どうでもよくなったように。
振り返った先に、あの窪みがあった。
女の口が、動いた。血に混じって、掠れた声が、漏れた。
「……セラ」
それだけだった。
続きが、あったのかもしれない。名前の、残りが。だが、女の声は、そこで、途切れた。
女は、床に倒れて、それきり、動かなくなった。
俺は、続きを、聞けなかった。
窪みを、見た。
布の塊が、押し込んであった。
震えていた。
近づいて、布を、そっと、めくった。
子供だった。
三歳くらいか。目を、固く閉じている。声も、立てない。泣きもしない。息を殺すことを、この歳で、もう覚えている。
――奥に、子供がいる。助けて、やってくれ。
あの老騎士の声が、耳の奥で、鳴った。この子だ。あいつが、命を懸けて守った、この子だ。
俺が、この子の母親を殺した。
それを理解した瞬間、震えが止まらなくなった。
その時、廊下のほうから、足音が聞こえた。
複数だ。こちらへ、近づいてくる。規則正しい、軍靴の音。味方だ。帝国の人間だ。
俺は、動けなかった。
布を、戻すべきか。この子を、どうすべきか。渡すのか。隠すのか。考えがまとまる前に、足音は、近づいてくる。
「小隊長殿……?」
リーゼの声がした。
俺の様子が、おかしいと、気づいたんだろう。あの子は、俺と、窪みの子供を、交互に見ていた。
足音が、すぐそこまで来ていた。
「リーゼ」
俺は、低い声で言った。
「俺に、話を合わせろ」




