第二十六話 血の足跡
王宮の前は、地獄だった。
最後の壁を作ったエルダイン兵は、退く気がなかった。ここを抜かれたら、その先に王がいる。だから、死んでも動かない。数はこちらが多い。だが、多いだけだった。
先に取りついた連中が、次々に倒れていく。押し込んでは、押し返される。誰かの血で足を滑らせ、倒れたところを踏まれ、その上にまた誰かが倒れる。
きれいな戦いなんて、どこにもなかった。
揉み合いだ。
剣を振る隙間もない場所で、肘で殴り、頭を打ちつけ、相手の指を折る。
俺も、そうやって一人、押しのけた。
相手の膝を蹴って、崩れたところに、体重ごと剣を落とした。手応えは、鈍い。骨に当たった感触が、腕を通って伝わってくる。
すぐ横で、味方が一人、腹を裂かれて座り込んだ。名前は分からない。
二百人の増援の誰かだ。まだ痩せていない体が、みるみる血で濡れていく。助ける手はない。踏まないように、避けるだけだ。
ブルーノが、俺の背中についていた。
「小隊長、右!」
言われて、咄嗟に体を沈めた。
頭の上を、槍が抜けていった。あのまま立っていたら、喉を貫かれていた。俺が振り向くより早く、ブルーノがその槍の主を、下から突き上げている。
この男は、こういう時に頼りになる。二十年、生きてきただけのことはある。俺の見えないところを、いつも見ている。俺が前を斬っている間、後ろは全部、あいつが引き受けていた。
リーゼは、俺のすぐ隣で、若い兵と斬り合っていた。
押し込まれていない。むしろ、相手を下がらせている。あの子の剣は、この混戦の中でも、無駄がなかった。振りが小さい。当てるべきところにだけ、当てている。
その時、左側が明るくなった。
松明の明かりとは違う。もっと濃くて、速い。
一人の男が、味方の壁の後ろに立っていた。他の連中とは、服装が違う。手を、こちらへ突き出している。その手の先が、光っていた。
言葉が聞こえた。何を言っているかは分からない。だが、意味は、すぐに分かった。
「まずい! よけろ!」
火の玉が、飛んできた。
俺の三歩先にいた兵が、それを浴びた。
声も、出せなかった。あっという間に、頭から炎に包まれて、転げ回って、動かなくなる。俺と同じ、第七軍団の小隊長。さっきまで、俺の隣で剣を振っていた男だ。
油とは違う匂いがした。もっと直接的な、肉が焦げる匂い。それが、鼻の奥にこびりついた。
二つ目が、続けて来た。今度は、別の兵が焼かれた。三つ目が、俺に向かって飛んでくる。
「ああ、まずいぞ。小隊長! 避けろ!」
ブルーノが言い終わる前に、剣が動いた。
払った、というより、体が勝手に動いていた。火の玉が、剣に当たって、はじけた。熱風が、顔をかすめる。肌が焼ける、と思ったが、それだけだった。髪先が、少し焦げただけだ。
そうか。払えるのか。
妙に冷めた頭の隅で、そう思った。
熟練の剣士なら、下級の魔法くらいは払える。ずっと昔、誰かに聞いた気がする。その「熟練の剣士」のうちに、自分が入っているとは、その時まで、考えたこともなかった。
払えたのは、腕と、運だ。さっき焼けた二人は、払えなかった。俺は払えた。それだけの違いで、あいつらは死んで、俺は生きている。
術者を、放っておくわけにはいかなかった。
あれが撃ち続ける限り、味方は焼かれ続ける。俺達は、前に進めない。
だが、あの男の前には、まだ壁がある。エルダイン兵が、術者を守るように、厚く固まっていた。
「ブルーノ、道をひらけ。リーゼ、俺の後ろで援護しろ。俺が奴を仕留める」
「はい!」
「了解!」
言うと、二人は、すぐに動いた。
ブルーノが、前を塞ぐ兵に体ごとぶつかっていく。押し込むというより、巻き込むように。若くはない体で、無理をしているのが分かった。相手を道連れに倒れ込んで、それで、一瞬、隙間ができる。
その隙間に、俺は飛び込んだ。
だが、甘くはなかった。
踏み込んだ横から、一人、剣を突き出してきた。避けきれない。とっさに肩を引いたが、剣先が、脇腹をかすめた。熱いものが走る。浅い。だが、血は出た。
その敵を、後ろから来たリーゼが、一太刀で仕留めた。
間に合った。半歩、遅ければ、俺は横腹を貫かれていた。
「小隊長殿、急いで!」
リーゼの声に、背中を押された。
術者は、次の詠唱に入っていた。こいつらは詠唱の間、無防備になる。火を作ることに、気を取られているからだ。
俺は、飛んできた四つ目を、また払った。今度は、狙って払えた。一度できれば、二度目は速い。剣で、下からすくい上げるように。
そのまま、残りの距離を、詰めた。
術者は悲鳴を上げながら、咄嗟に腰の短剣を抜こうとした。
けど、俺の剣の方が速かった。
首を狙って、思いっきり剣を振るった。
男の首が宙を舞い、体が地面に倒れた。
残ったのは、松明の、頼りない明かりだけだった。
術者が倒れて、エルダイン兵の壁が、緩んだ。
その緩みを、先に取りついていた連中が、こじ開ける。数人が、門の内側へ、なだれ込んでいく。
道が、開いた。
「残りは、増援部隊に任せるぞ! ついてこい!」
俺は、そう言った。
近くにいた、他の小隊の連中も呼応して、次々と王宮に侵入した。
ブルーノとリーゼを呼んで、開いた道へ走る。倒れた兵を踏み越えて。
味方か、敵か、確かめる余裕はない。
踏んだ感触だけが、足に残った。柔らかいもの、硬いもの。何を踏んだかは、考えないことにした。
王宮の中は、外より静かだった。
石の廊下が、どこまでも続いている。壁には、燭台。火が、等間隔に灯っていた。ここで、誰かが暮らしていた。ついさっきまで。
磨かれた床に、俺達の血の足跡が、点々とついていく。
だが、その静けさは、長く続かなかった。
角から、兵が出てきた。
外の連中とは、装備が違う。磨かれた鎧。王を守るための、選ばれた兵だ。数は、少ない。だが、一人ひとりが、外の三人分は手強かった。
揉み合いになった。
俺は、一人斬るのに、二度、剣を落としかけた。腕の傷が、まだ膿んでいる。握力が、続かない。指が、思うように締まらない。
それでも、握った。落とせば、死ぬからだ。
打ち合いの途中で、相手の刃が、俺の太ももを掠めた。膝が、一瞬、崩れる。
倒れかけたところを、ブルーノが襟を掴んで引き戻した。その隙に、リーゼが相手の鎧の隙間に、剣を突き刺す。
三人で、一人を殺した。次の一人も、そうやって殺した。連携でなければ、とうに、誰かが死んでいた。
最後の一人を斬った時、俺達は、肩で息をしていた。
周りを見ると、残ったのは俺達、第三小隊だけだった。
一緒に来た五人は、血を流して倒れていた。
三人とも、どこかを切られている。深くはない。だが、浅くもない。血が、床に、点々と落ちた。
この先に、まだ何人いるのか。分からなかった。ただ、進むしかない。戻る道は、もう、後ろで塞がっている。
俺達は、死ぬまで進むしかない。
ここに来て、中隊長の命令の意味を完全に理解した。
わかったところで、意味はない。
「進むぞ」
「……はい」
「了解」
開いた扉の先は、広間だった。
天井が高い。柱が並んでいる。奥に、階段。その上に、また扉。王のいる場所は、たぶん、その先だ。
広間には、味方がいた。先に突破した連中だ。最初に王宮の内側へなだれ込んだ、あの数人。
倒れていた。
全員、動いていない。
一人は、階段の下。一人は、柱のそば。一人は、扉の手前まで進んで、そこで力尽きたらしい。
斬り口が、どれも、同じだった。迷いのない、深い一太刀。急所を、一度で断っている。素人の仕事じゃない。何十年も、剣で生きてきた者の手だ。
その真ん中に、男が一人、立っていた。
老いていた。
髪は白く、顔には深いシワがある。だが、背は曲がっていない。剣を、無造作に提げていた。その切っ先から、血が、床に落ちている。
鎧は、古い。飾りは、ほとんどない。長く使い込まれた、実戦の鎧だ。
この男が、一人で、あの数人を斬った。
俺達を見ても、男は動かなかった。
構えもしない。ただ、そこに立っている。通りたければ、通ってみろ、というように。
その目には、俺達への憎しみも、恐れも、なかった。あるのは、ただ、守るべきものが後ろにある、という、それだけだ。
俺は、剣を握り直した。
握力の抜けた手に、もう一度、力を込める。
この男は、これまでの誰とも違う。それだけは、一目で分かった。




