第二十五話 夜風の子供服
走った。
新月の闇から、松明の明かりの中へ。
門をくぐった瞬間、目の前が反転した。背中が暗くて、前が明るい。目が慣れるのに、一拍かかった。
その一拍が、命取りになる。村に入る時と出る時に死ぬ。ヴェッセルで、自分で言ったことだ。ここは村じゃない。だが、同じだった。
市街は、明るかった。
通りに沿って、松明が焚かれていた。守りのためだ。暗いと、移動に手間がかかる。兵の動員が遅れるだけで、命取りになる。その明かりが、今は、俺達の足元を照らしている。
皮肉なもんだ。向こうが自分を守るために点けた火で、俺達は道を見つける。
最初の通りには、誰もいなかった。
俺達は、夜襲を一度もしていない。
その理由がここにきて生きてきた。
夜襲があると想定して、人員を配置していない。そのおかげで、夜の警戒が薄い。これも、上の連中の作戦なのかもしれない。
家の扉は、どれも閉まっていた。俺達が門をくぐるより前に、この街の連中は、家の中へ引っ込んでいた。
物干しに、洗濯物が残っている家があった。取り込む間もなかったんだろう。子供の服が、夜風で揺れていた。
その下を、俺達は、剣を抜いて走った。
ヴェッセルの村を思い出した。
あの時は、逃げた後の、空っぽの村を歩いた。今度は、まだ人がいる。戸の向こうで、息を殺している。逃げる先が、もう、どこにもないからだ。
掃討、と上は呼ぶんだろう。あの時と、同じ言葉で。
命令は、浸透して混乱をもたらせ、だった。
だから、散った。
第七軍団約千人が、いくつもの通りに分かれて、奥へ流れ込んでいく。
すでに、怒号が飛んでいる場所もある。敵と遭遇したようだ。
俺達は、五人で固まって、明かりの濃いほうへ進んだ。明かりが濃い道は、兵の通る道だ。それを辿れば、王宮に着くはずだ。
「小隊長、戦闘が始まったみたいです。どうしますか?」
ブルーノが周りを警戒しながら聞いてきた。
「灯りを辿る。俺から離れるな」
ブルーノが後ろを固め、リーゼが俺の横についた。ヨナスとメルクは、少し遅れて続く。二人とも、足が万全じゃない。それでも、走った。
最初の一人は、角から出てきた。
剣を持っていた。
兵士の鎧じゃなかった。革の胴当てだけ。街の男が、慌てて武具をかき集めたような格好だった。歳は、俺と同じくらいか、少し上。
そいつは、俺を見て、剣を振り上げた。
「くそっ! ここは通さない!」
考える時間は、なかった。
武器を持って、向かってきた。それだけだ。俺が、自分で立てた線だった。斬っていい者。
受けて、弾いて、胸を貫いた。手応えは、軽かった。正直、相手にならなかった。剣の使い方を、ちゃんと習っていない奴の動きだ。
崩れ落ちる時、そいつは俺を見ていた。
憎んでいるでも、恐れているでもない。ただ、間に合わなかった、という顔だった。
兵士じゃなかった。市民でもなかった。その間の、名前のない何か。
俺は、そいつの名前を知らない。顔も、次の角を曲がる頃には、忘れていた。忘れたことにした。
二人目は、女だ。
路地の入り口に、立っていた。
子供を、後ろに庇っていた。片手で、子供の頭を抱えて、もう片方の手は、空だった。
武器を、持っていなかった。
目が合った。
その女は、動かなかった。逃げもしない。叫びもしない。ただ、俺を見ていた。斬られるのを、待つみたいに。あるいは、子供のほうに気を取られて、自分のことは、どうでもよくなっていたのかもしれない。
俺は、剣を下げた。
通り過ぎた。
武器を持たない者は、相手にするな。俺が、自分で言ったことだ。斬らなくていい者。
だから、斬らなかった。それだけのことだ。
それだけのことなのに、その顔は、忘れなかった。
斬った男の顔は忘れて、斬らなかった女の顔は、覚えている。
筋が通らない。だけど、戦場では、筋が通ることのほうが珍しい。
通りの奥で、火が上がった。
先に行った連中が、何かに火をつけたのか、火矢が飛んだのか。分からない。悲鳴が、あちこちでしていた。男の声も、女の声もあった。
混乱をもたらせ、という命令は、果たされつつあった。俺達がいてもいなくても、この街は、もう、こうなる運命だった。
角を曲がるたびに、誰かが飛び出してきた。
武器を持っている奴は、斬った。持っていない奴は、通した。何度も、その判断をした。速くなっていった。考えなくても、体が振り分けるようになっていた。
リーゼも慣れてきたようだ。剣を持った奴とだけ、交戦をする。体が自然と動いている。
この子は、剣の腕はなかなか良い。動きが軽く、しなやかだ。ここまで、生き残ってるだけのことはある。
怯えや戸惑いがないと、この子は強い。そう思った。
慣れる、というのは、こういうことだ。ルールがあれば、人は、いくらでも斬れる。
どれくらい走ったか、分からなくなった頃だった。
ふと、後ろが気になった。
振り返った。
ブルーノは、いた。リーゼも、いた。
ヨナスと、メルクが、いなかった。
「ヨナス。メルク」
小さく呼んだ。返事がない。
通りは、火と煙で、先が見えなかった。どこかの角で、逸れたのか。倒れたのか。誰かに引きずり込まれたのか。分からない。
戻る、という選択肢は、頭に浮かんで、すぐに消えた。この火と、この混乱の中を、二人を探して逆流する。
できるわけがなかった。それをやれば、下手をすれば全滅する。
「小隊長殿。二人は」
リーゼが、言いかけた。
「……進むぞ」
俺は、そう言った。
リーゼは、口をつぐんだ。
ブルーノは、何も言わなかった。この男は、こういう時に何を言えばいいか、俺よりよく知っている。だから、何も言わなかった。
明かりを辿って、進んだ。
通りが、広くなっていった。石畳が、大きくなった。建物が、立派になっていく。この先に、何かがある。歩いてきた足と、多くの怒号が、それを感じさせた。
やがて、開けた場所に出た。
「小隊長殿。これって」
「ああ」
王宮が、あった。
松明では足りないほど、大きかった。石の壁が、夜空を四角く切り取っていた。門の前で、エルダインの兵が、最後の壁を作っていた。ここまでは通しても、ここから先は通さない。そういう構えだ。
すでに戦闘は始まっていた。
先に着いた者たちが、エルダイン兵と交戦をしている最中だ。
こちらの兵の方が少し多い。
でも、向こうからしたら、最後の砦だ。士気の高さを武器に、こちらの兵をかなり削っている。
あの中に、王がいる。王妃がいる。
「小隊長殿! どうしますか?」
リーゼが俺に問いかけてきた。
「俺についてこい! ここを突破するぞ!」




