第二十三話 浅い穴
夜中に目が覚めた。
風で縄が擦れる音が、していなかった。
起き上がった。リーゼの寝ていた場所が空だった。毛布がめくれたままになっていて、そこだけ暗い。
絞首台のほうへ歩いた。
リーゼは、梁の下にいた。
背伸びをして、短剣で縄を切っていた。片手でエイダンの体を支えて、もう片方の手を上げている。支えきれる重さじゃない。何度も肩を入れ直していた。
俺に気づいて、手を止めた。
振り向かなかった。背中を向けたまま、動かなくなった。
何か言うと思ったんだろう。止めるか、咎めるか、報告するか。俺はそのどれかをする側の人間だ。
言わなかった。
横に立って、両手で受けた。
「小隊長殿?」
「……そっちを持て」
「いいのですか?」
「……降ろすぞ」
二人で降ろした。地面に置いた時、リーゼが一度、大きく息を吐いた。
「掘るぞ」
俺はそう言った。
リーゼが振り返った。
その顔を、俺はひさびさに見た気がする。ずっと見ないできた顔だ。
目が赤かった。この子はもう泣いていなかった。
陣から少し離れた、荷馬車の裏まで運んだ。二人がかりで、引きずるようにして。途中で誰にも会わなかった。
スコップを二本、持ち出した。塔を組んだ時の穴掘りに使ったやつだ。
しばらくして、ブルーノが来た。
どうやって気づいたのかは知らない。何も言わずに、自分で持ってきたスコップで掘り始めた。
ヤコブの時と同じだった。
あの時、この男は腰をさすりながら文句を言って、それでも人一倍掘った。
今は、文句を言わなかった。
三人で掘った。
浅かった。
俺の膝より少し深いくらいで、手を止めた。それ以上掘る時間がなかった。空が白み始めていた。
ヤコブの穴は、もっと深かった。四人がかりで、昼間に掘った。底に石を敷いて、頭のところに剣を一本立てた。名前を彫る道具はなかったから、みんなで少しだけ黙った。それが墓標の代わりだった。
今回は、何も立てなかった。
立てれば、見つかる。見つかれば、掘り返される。掘り返されれば、この三人が吊るされる。
土をかけて、上から踏んだ。周りと同じ高さになるまで踏んだ。
誰かが見ても、何もないところに見えるようにした。
ヤコブには墓標があった。エイダンには、何もない。
どちらのほうがましなのかは、分からない。ヤコブの墓は、今頃どうなっているんだろうか。
黙る時間はなかった。
三人とも、すぐに戻った。
朝、ヨナスとメルクは何も知らなかった。
絞首台が空になっていることには気づいた。だが、誰が降ろしたのかは聞かなかった。
誰かが降ろしたんだろう、で終わった。
この陣は、そういう場所になっていた。
部隊が着いたのは、その日の昼前だ。
北から来た。二百人ほど。旗は第七軍団のものだった。
列の先頭に、ヴォルフ中隊長がいた。
あの城に残っていたはずの男だ。一、二ヶ月しか経っていない のに、久しぶりに見た気がした。何も変わっていない。背が高く、痩せていて、顔に表情がない。
俺達は並ばされた。
ヴォルフは、列の前をゆっくり歩いた。それから、止まった。
絞首台のほうを見ていた。
空の絞首台がある。縄が途中で切れて、短い分だけ残って、風で揺れている。
しばらく見ていた。
それから、俺のほうを向いた。
目が合った。
何か聞かれると思った。誰が切ったのか。遺体はどこか。報告は上げたのか。
聞かれなかった。
ヴォルフは、視線を戻した。
あの時、あの男が何を考えていたのかは、今でも分からない。
気づかなかったのかもしれない。気づいて、面倒だと思ったのかもしれない。あるいは、この期に及んで縄一本のことで書類を増やす気がなかっただけかもしれない
どれでもいい。とにかく、あの男は何も聞かなかった。
俺が助かったことだけが、事実として残った。
「第三小隊」
「はい」
「現員は」
「五」
ヴォルフは、少しだけ間を置いた。
「そうか」
それだけ言って、次の小隊へ移った。
残存部隊の確認を終えたら、全員の前に戻った。
「第七軍団より、脱走兵が出たことは非常に残念だ。忘れるな。帝国への忠誠を裏切ったものがどうなるかということを。諸君らの――」
中隊長も、淡々と話していた。コンラートと同じような話し方だ。
「――すぐあの門が開く。そうすれば、我々、第七軍団が先鋒として王都へ突撃をする。心して準備しろ」
まただ。あの門が開く。いつ開くのかは教えない。でも必ず開く時が来る。
先鋒として飛び込む俺達には、エルダイン兵が容赦なく襲い掛かってくるだろう。
敵陣の中に混乱を作って、第二軍団の主力が制圧にかかる。
俺達は、捨て駒だ。
どこの戦場でも、役割は同じだ。
その日の夕方、コンラートの馬車が動いた。
どこかへ行くのではない。壁のほうへ、少しだけ近づけて停め直しただけだ。
クストディアの連中が、荷を降ろし始めた。天幕を張り、机を出し、紙の束を運び込んでいる。
入る準備をしていた。
王都に。
まだ門は開いていない。矢の一本も飛んでいない。それでも、後始末をする側は、もう準備を始めている。
絞首台は、そのままだった。
誰も片づけなかった。壊す指示も出なかった。角材が四本と、上に渡した梁が一本。そこから、切れた縄が短く下がっている。
あれが、あいつの墓標だ。
名前は、どこにも書いていない。




