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業の福音 〜征服こそ正義だと信じていた男は、その手を汚し続けた〜  作者: 星喰ゆう
第二章 エルダイン攻略戦

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第十八話 静かな空の下

 ゲルントの背中は、あっという間に、敵の中に消えた。


 古株だ。最初の二人は、斬った。三人目の腕を落とした。だが、それまでだった。


 狭い足場に、エルダインの兵が、次から次へと湧いてくる。一人が槍でゲルントの足を突き刺し、崩れたところに、三本、四本と刃が入った。


 声は、上げていなかった。ダルクと、同じだった。


 俺は、まだ手を伸ばしていた。


 届くわけがない。あいつは、もう、俺の数歩先で、動かなくなっていた。


 娘が結婚するまでには帰りたい、と言っていた。

 六つだと。嬉しそうに話していた。


 子供がいない俺にとっては、正直よくわからなかった。

 でも、あいつが娘の話をするたびに、いつか俺もこうなるのか、と思っていた。


 その男が、娘のいる場所と、正反対のほうへ走って、そこで死んだ。



 俺の中で、何かが、ぷつりと切れた。


 それまでは、周りの怒号や剣がぶつかる音がよく聞こえて、うるさいくらいだった。

 だが、その時だけは、周りの音がなくなった。


 気がつくと、俺も、前へ飛び出していた。


 ゲルントの倒れたところへ。ダルクの倒れたところへ。二人を置いて退くくらいなら、と、頭のどこかが言っていた。剣を握る手に、力が入りすぎて、痛かった。


 周りの敵兵を、躊躇もなく殺せていた。剣の動きがよく見えた。体も、いつもより鋭く動いた。


 何人斬ったかわからない。


 けど、目の前のこいつを斬れば、ゲルントのところに着く。


 そのとき、そいつの顔が目に入った。


 テオと同じくらい。雰囲気もテオと似ていた。泣きながら、震えていた。


 剣が、止まった。



「——長! 小隊長!」


 後ろから掴まれた。

 エイダンだった。


「よせ! もう無理だ!」

「離せ!」

「離さない!」


 振りほどこうとした。あいつは、離さなかった。

 俺の襟を掴んで、無理やり、後ろに下げさせた。


「ゲルントがあそこにいるんだ!」

「ゲルントは死んだ! 死んだんだ!」


 わかっている。そんなことはわかってる。でも、ゲルントが、あそこに。


「周りを見ろ」


 エイダンが、顎で、塔のほうを示した。


 攻城塔が、燃えていた。


 俺達が渡ってきた、あの二台。片方の屋根から、火が上がっている。エルダインの兵が、壁の上から、油を浴びせていた。惜しげもなく。桶ごと、ぶちまけるみたいに。まるで、もう、取っておく必要がなくなったみたいに。


 火のついた油は、塔の梁を舐めて、みるみる燃え広がった。あれが焼け落ちれば、壁の上の味方は、降りる道を失う。


「塔が焼ける前に退かせろ! そうしないと、ここで戦ってる連中も全員死ぬぞ!」

「……」

「レ……小隊長。お前にしかできないんだ」


 エイダンは、命令しなかった。


 全部隊に「退け」と叫ぶことは、あいつには、できた。声も届いた。だが、あいつは、それをしなかった。最後まで、命令する側に、回らなかった。


 代わりに、俺の腰の角笛を、俺の手に押しつけた。



 俺は、角笛を吹いた。


 長く、二回。撤退の合図だ。


 息が、震えた。うまく鳴らなかった。もう一度、吹いた。今度は、鳴った。


 壁の上の味方が、いっせいに、塔のほうへ退き始めた。焼け落ちる前の、もう一台の塔へ。斬り合いながら、後退する。エルダインの兵は、深追いしてこなかった。壁さえ守れれば、それでよかったからだ。



 リーゼが、ダルクの遺体を、引きずっていた。


 両脇に手を入れて、後ろ向きに、一歩ずつ。若い女の力で、大の男を。顔が、真っ赤だった。それでも、離さなかった。


「リーゼ、無理だ。はやく撤退しろ」

「つ、連れて、帰ります」

「……リーゼ」


 その時、ダルクの懐から、何かが転がり落ちた。


 丸い石だった。

 川で磨かれたような、丸い石。アンセルの験担ぎの石。ヤコブが験担ぎと言って、拾っていたのと同じ。


 効くわけがないと言っていた、その本人が、懐に、石を入れていた。いつからかは、分からない。


 リーゼがこけた。当然だ。自分の体重の倍くらいの男を引きずっている。


「リーゼ! もう塔が崩れる。諦めろ!」


 エイダンがリーゼにも声をかけた。


「お前もここで死にたいのか! はやく降りろ!」

「……ごめんなさい。ダルクさん」



 俺達は塔が崩れる寸前で、地上まで降りた。



 ゲルントがいない。ダルクがいない。二人とも、あの壁の上に置いてきた。片方は壁の上で、片方は、塔と共に焼け落ちた。


 この隊で、軽口を叩く男が、いなくなった。


 ヴェッセルの頃、火を囲んで笑っていた声が、一つ残らず、消えた。


 俺が、笑わせてもらっていた側だった。いつのまにか、笑わせる男も、笑う男も、みんな、いなくなっていた。



 その晩はとても静かだった。


 俺は、火を見ていた。何も、考えないようにしていた。考えると、あの石が、頭に浮かんだ。


 今は、焼け落ちた塔と共に、地面に転がっているだろう。


 エイダンが、隣に来た。何も言わなかった。

 ただ、俺の横顔を、しばらく見ていた。


 あの時、あいつが何を考えていたのか、俺は知らなかった。


 あいつが、その晩から、あることを考え始めていたことを。

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