第十四話 消えていく名前
王都攻めは、夜明け前に始まった。
暗いうちに、俺達は、城壁の見える位置まで進められた。
王都の壁は、この前の城とは、まるで違った。高くて、長い。左右の端が、闇に溶けて見えない。あれを、人間がよじ登る。そう考えただけで、背中が冷たくなった。
前に立たされたのは、俺達のような征服地の隊ばかりだった。第二軍団は、後ろにいる。綺麗なまま、俺達が壁に取りつくのを待っている。梯子が配られた。先頭で担ぐ連中から、矢の雨を受けることになる。
夜明けを待つ間、誰も、口をきかなかった。
いつものゲルントの軽口も、なかった。祈る者がいた。吐く者がいた。俺のそばで、若いのが一人、ずっと震えていた。落ち着け、とは言わなかった。落ち着けるわけがない。落ち着けと言うほうが、嘘だ。
テオが、隣に来た。
「小隊長殿は、こわくないんですか?」
「……ああ、こわいさ」
「え?」
テオが驚いた顔で俺を見てくる。
「見ろ。震えが止まらない」
「……小隊長殿」
俺は、そう答えた。それが、こいつに初めて言った、本当のことだったかもしれない。
空が白み始めた頃、後方で詠唱が始まった。
インカント隊だ。何十もの声が重なって、古い言葉を唱えている。遠いからよく聞こえない。だが、空気が、びりびりと震えている気がする。腹の底に響く感覚だ。
次の瞬間、頭上を、光の塊が越えていった。
王都の壁の一角が、炎に包まれた。石が爆ぜ、櫓が傾いで崩れる。遠目にも、人が火だるまになって落ちるのが見えた。
あれがインカント隊の力か。青い顔で潰れていた連中が、この火を出している。命を削りながら。
「やっぱすごいですね、インカント隊は。あいつらがいれば俺達なんていらないんじゃ――」
ゲルントが言い終える前に、王都が光った。
インカント隊の魔法の先に、結界のようなものが出現した。魔法だ。俺達が城への行軍中に見た、魔法の傘。それによって、炎が弾かれて消えた。
「小隊長殿、あれって」
「ああ、相手も術者がいるな」
「ちっ。ってことは――」
「先鋒、前へ!」
号令が飛んだ。
そこから先が、俺達の仕事だった。
走った。
開けた地面を、壁に向かって、ただ走る。梯子を担いだ連中が、先を行く。
壁の上から、矢が降ってきた。雨みたいに、まっすぐ落ちてくる。前を走っていた男が、声もなく倒れた。踏み越えて、走る。立ち止まれば的になる。走っても的だ。どちらでも死ぬなら、前へ出るしかない。
周りで、人が倒れていく。右も、左も。自分が走っているのか、もう分からなくなる。ただ、足を止めなかった。止めた奴から、動かなくなっていた。
「小隊長殿! あの人が――」
「走れリーゼ! 周りに構うな!」
振り向く余裕はない。生きていろ、とだけ思った。
壁が近づくと、今度は上から油が来た。煮えた油だ。頭からかぶった連中が、朝の空気を裂いて叫んだ。人が、あんな声を出せるとは、知らなかった。
「盾だ! 上に盾を構えろ!」
俺の声で、周りの若い兵士達が上向きに盾を構えた。経験豊富な兵士がそうしているように。
油を浴びた兵士達は、もう叫んではいない。
その間も、インカント隊による魔法は王都を狙い続けていた。けど、傘のような魔法で防がれ続けている。決定打にはならない。
魔法を弾いたときの爆風が、肌を刺すように襲ってくる。
梯子が、壁にかかった。
近くにいた兵士から登る。下から押され、上から突き落とされる。落ちれば、下で順番を待つ味方の上に落ちる。誰かの体が、俺のすぐ横をかすめて落ちていった。顔を見る間もなかった。
俺は、登らなかった。登る連中を下から支えて、押し上げる。それが俺の役だった。小隊長は、真っ先に登らない――エイダンに、そう叩き込まれていた。前は、それで腹を立てた。今は、あいつの言う通りにして、生きている。
壁の上に取りついた味方が、槍で突かれて、また落ちてくる。何人登らせても、同じだった。上には、守る連中がいる。こっちには、登る順番を、死ぬ順番を待つ連中がいるだけだ。
俺の隊に補充で来た若いのが、一人、梯子の三段目で、喉に矢を受けた。
名前を、覚えていた。テオと同じ天幕のナシルだ。仕送りを増やしたいと、いつだったか言っていた気がする。
落ちてきたそいつを、俺は、受け止めそこねた。俺の足元に転がって、目を開けたまま、動かなくなった。
覚えている名前が、また一つ、消えた。
撤退の角笛が鳴ったのは、日が高くなった頃だった。
第一波は、退け。そういう合図だ。
また、壁は落ちなかった。俺達は、壁の下に、死体を積んだだけだった。梯子は、半分が折れて、燃えていた。
撤退するとき、初めて後ろを見た。第二軍団は、動いていない。綺麗なまま、こっちを見ている。次はお前らの番だ、と思っているのか。いや、たぶん、何も思っていない。俺達は、敵の戦力を測るための道具だ。
陣に戻って、人数を数えた。
朝、二十二人いた。
夜には、十四人になっていた。
半日で、八人。名前は、全部覚えている。でも、どうやって死んだか、知っているのはごくわずかだ。
ゲルントは、生きていた。左腕に矢を受けて布を巻いていたが、口は動いた。
「小隊長殿。おれ、まだ生きているうちに入ってますか」
「残念ながら。お前で十四人だ」
「そりゃ、よかった」
ゲルントは、笑わなかった。俺も、笑わなかった。
エイダンが、俺の隣に座った。血の匂いがした。あいつの血か、他人のか、分からない。
「レイ。今日、俺達が削ったのは、どれくらいだと思う?」
「……分からん」
「たぶん、ほんのわずかだ。この壁を崩すのに、あと何人、積めばいいんだろうな」
エイダンは、答えを待っていなかった。俺も、答えなかった。
答えは、後ろの綺麗な連中が決めることだ。俺達じゃない。
リーゼは、血に濡れて、震えていた。震えながら、それでも剣を離していなかった。
テオは、壁のほうを、ただ見ていた。もう、手柄の話をする顔じゃなかった。
「小隊長殿。あの壁の中にも、人が住んでるんですよね」
「ああ」
「俺達を殺そうとしてくる連中も、家に帰れば、誰かの子供なんですよね」
「……テオ」
「すみません、なんでもないです……」
テオは、それきり黙った。
こいつも、余計なことを考え始めている。俺と、同じように。
壁は、まだ、そこにあった。
明日も、俺達は、あれを登らされる。登って、死んで、数を減らす。あの綺麗な軍団が、無傷のまま門をくぐる、その日まで。
王都の上に朝から立っていた煙は、夜になっても、消えなかった。




