第十三話 駒の価値は
城を離れて、俺達は、来た道を引き返した。
苦労して登った山道を、今度は下る。麓の分かれ道から、王都へ延びる街道に入った。
王都への道そのものは、思ったより険しくなかった。バルトロスの城さえ抑えておけば、この道は使える。今まで使えなかったのは、城を背に進めば、いつあの将軍に補給を断たれるか分からなかったからだ。城を釘付けにした今、道は開いた。
その開いた道の安全を確保するのが俺達の次の任務だった。
とにかく、急がされた。
王都攻めの日取りは、もう決まっている。間に合わせるために、飯を食う間も惜しんで歩かされた。糧食は、出るときに渡されたぶんだけだ。捨て駒に、たっぷり食わせてやるほど、帝国の指揮官は甘くない。
そもそも城を攻めている時点で、補給が間に合ってなかった。残った兵も、満足な食事は取れないだろう。痩せた体を、さらに削って歩く。
弱った者から、遅れ始めた。倒れた者を待つ余裕は、なかった。伝令が、急げ、急げと後ろから急かす。俺達が間に合おうが間に合うまいが、日取りは動かない。
三日目に、一人、動かなくなった。
俺の隊じゃない。前を行く、別の小隊の男だった。長いこと、まともに食っていない体だった。道の脇にくずおれて、立てなくなった。仲間が抱え起こそうとして、伝令に怒鳴られて、手を離した。
置いていくしかなかった。まだ息はあるのに、置いていく。あの男は、王都を見ることはおろか、城壁に取りつくこともなく、行軍途中で消える。
あの男が死んだら、なんと書かれるんだろう。士官の帳面には、たぶん、戦死とも書かれない。
テオが、隣に来た。
「小隊長殿。あと、どれくらいでありますか」
「さあな。着けば分かる。足を動かせ」
「……はい」
それだけだった。手柄を立てる、とは、もう言わなかった。あの目の輝きは、この道のどこかに、置いてきたらしい。
しばらくしてたら、後方の伝令が「全軍停止」と命令を出した。
「なんでこんなところで止まるんですか?」
リーゼが後ろから質問してきた。正直、聞きたいのはこっちだ。
俺が返す前に、伝令が指示を出した。
「ここで第二軍団が到着するのを待つ。野営の準備だ」
辺りを見渡しても、なにもない場所だ。道と、草。それだけ。野営をするなら、少し前に絶好の場所があった。
ゲルントが話しかけてきた。いつもより険しい顔だ。
「なんでこんなだだっ広いとこで野営するんですか? エルダイン軍や魔物に奇襲を受けたら、たちまち全滅ですよ」
「……仕方ない。そういう指示だ」
「それにロクに飯もないでしょ。どのくらいここで待機するんですか?」
「知らん!」
思わず、声を荒げた。自分でも驚くほど、大きな声だった。
「……小隊長」
「すまん。野営の準備だ。急げ」
そのやりとりを見ていた兵は、黙って野営の準備を始めた。
数日待つと、遠くから足音が聞こえてきた。第二軍団が到着したようだ。
本国から、豊富な物資、人員、綺麗な装備をつけて。
俺達の少し手前で停止をして、野営の準備を始めたのが見える。
「各小隊長は、私と来い。第二軍の野営地へ向かうぞ」
俺は重い腰を上げて、指示に従った。他の小隊長も同じだ。足取りが重い。
野営地に近づくと、匂いがしてきた。懐かしい。そして、めまいがするほどの匂い。
肉の匂いだった。
風下からそれが流れてきた瞬間、全員が、顔を上げた。腹が、いっせいに鳴った。
街道から少し外れ、二方向を山に囲まれた場所に、無数の火が見えた。
何日か前に見た、野営に適した場所だ。
そうか。第二軍団の為に、ここから少し先に、俺達は野営させられたのか。
整然と並んだ天幕。まっすぐな道。いくつも上がる炊煙。第二軍団の陣だった。
俺達が臭い麦を齧って歩く間、こいつらは、肉を食っていた。
陣に入ると、俺達は、明らかに浮いていた。
向こうの兵は、痩せていない。鎧は磨かれ、衣服には泥ひとつない――いや、血の跡がある。数名の兵士の衣服に、血の跡が見えた。行軍中になにかあったのだろうか。
俺達を見て、手を止めた。何人かが、鼻をつまむ仕草をした。
敵意じゃなかった。それなら、まだましだ。
あれは、汚いものを見る目だ。道に転がった物乞いを避けて通る時の、あの目。同じ帝国の兵を見る目じゃ、なかった。
水場で、若い小隊長が桶に手を伸ばした。
第二軍団の兵が、その手を、足で払った。
「触るな。おまえらの水じゃねえ」
若いのは、手を引っ込めた。俺は、なにも言わなかった。ここで揉めれば、損をするのはこっちだ。それくらいは、分かっていた。分かっていて、黙った。
また一つ、黙ることを覚えた。
第二軍団の士官が、一人、俺達の前に立った。若い。顔には、傷ひとつない。俺からしたら、ガキのように感じる。
「お前達が先遣隊か」
「第七軍団、総員三千名です」
伝令がそう答えた。
「思ったよりいるな」
「エルダイン攻略のご助力感謝します」
伝令は士官の目を見ながら、真っすぐそう答えた。だが、士官の返事は予想外な答えだった。
「貴様らみたいな腰抜けのせいで、俺達が尻拭いをすることになった。いい迷惑だ。こんな小国を落とせないとは。帝国の恥だな」
「も、申し訳ありません。改めて感謝申し上げます」
「ふん。作戦は追って知らせる。足を引っ張るなよ」
士官はそう言い残して、立ち去った。
俺は思わず拳を握りしめていた。正気を保っていられたのは、故郷で暮らしている家族の顔が浮かんだからだ。そうじゃなきゃ、あいつを血祭りにあげている所だ。
ほかの小隊長も、たぶん、俺と同じ顔をしていた。
その晩、飯が配られた。
第二軍団の残飯だった。あいつらが食い終わった後の、鍋の底だ。それでも、何日かぶりの、温かい飯だった。
うちの若いのが、それにむしゃぶりついた。恥も外聞もなかった。俺も、食った。汁の一滴まで、指ですくって舐めた。
ゲルントだけが、ゆっくり食っていた。
「小隊長殿」
「なんだ」
「うまいですね、これ」
「……ああ」
「人間、飼われると、こういう飯でも尻尾を振るようになる。おれは、それが一番こわい」
ゲルントは、笑わなかった。
俺も、笑えなかった。舐めた指が、まだ、口の中に残っていた。
リーゼだけが、飯に手をつけずにいた。
「食わないのか」
「食べます。……ただ」
「ただ?」
「あの人達も、同じ帝国の兵のはずなのに、と思ってしまって」
俺は、なにも言わなかった。言えることが、なかった。
分かたれているから、人は争う。福音は、そう教える。だが、同じ旗の下で、こんなにも分かたれているのは、なんと呼ぶんだろうな。
その問いは、口に出さなかった。この子には、もう、十分だ。
第二軍団の陣に、様子の違う一角があった。
「小隊長殿、あそこはなんでしょうか?」
「さあな。見に行ってみるか」
「いいんですか? 持ち場を離れても?」
「いつからそんな真面目になったんだ」
「たしかに。それもそうですね」
会話の最中、テオが視界に入った。
「テオ、お前も来るか?」
「え、あ、はい」
三人でその場所を見に行くことにした。すこし気晴らしをしたかった。
その場所に着くと、若い連中が青い顔で座り込んでいる。目の下が、黒い。付き添いの男が、一人ずつ、腕を取って脈を診ていた。
「インカント隊か?」
俺は、その連中の中でも、比較的顔色の良さそうな奴に話しかけた。
「そうです」
「こいつらはどうしたんだ?」
「道中で魔物の襲撃がありました。幸い死者はほとんど出ませんでしたが、魔法を酷使したため、魔素酔いで動けない状態です」
「魔素酔い? ってなんですか?」
テオがそいつに質問をした。そうか、こいつは初めてインカント隊を見るのか。
「簡単に言うと、空気中の魔素を取り込んで発動するのが魔法です。しかし、魔素は人間には毒なのです。吸収しすぎると、いずれ死にます」
説明を聞いている間に、一人が担架で運ばれていった。まだ、戦も始まっていないのに。口の端から、泡のようなものを垂らしていた。付き添いが、慣れた手つきで、それを拭いていた。
とても、貴重な存在には見えなかった。俺達とは違うやり方で、すり減らされている。そう見えた。
俺達は、帝国兵を城壁の中へ無傷で入れるために死ぬ。インカント隊も同じだ。あいつらはあいつらで、別の死に方をするために生かされている。
同じ軍の中に、駒の等級があった。上等な駒と、下等な駒。俺達は、下等なほうだった。
その夜、遠くに、灯りが見えた。
街道の先、開けた平地のほうだ。一つ二つじゃない。地平の際まで、灯りが散らばっている。
あれが王都だ、とエイダンが言った。
「でかいな」
「ああ。この間の城とは、比べものにならないな」
「あそこに、俺達が取りつくのか」
「取りつくんじゃない。取りつかされるんだ」
エイダンは、灯りを見たまま言った。
「作戦が決まれば、すぐに着く。着いたら、もう戻れない」
俺は、王都の灯りを見た。
あの一つ一つの下に、人がいる。飯を食って、子を寝かしつけている。俺の母や、妹と、同じような連中が。
俺達は、それを、焼きに行く。




