第十二話 離れない言葉
噂は、いつもどおり、風邪みたいに広がった。
「小隊長殿、聞きましたか?」
ゲルントが話しかけてきた。
「聞くって、なにを?」
「帝都から増援が来るらしいですよ」
「増援? 補給じゃなくてか?」
「ええ。なんでも、第二軍団が来るとか」
「第二軍団って言えば、帝都の守備を担っている部隊じゃなかったか?」
「はい。これは大事ですよ。第二軍団が動いたってことは――」
「帝都の守備を捨てたってことだな」
エイダンが割って入ってきた。それにゲルントが返す。
「だな。俺達が小国相手に釘付けにされてるから、上層部は相当お怒りらしい」
「第二軍団と言えば、インカント隊を中心に構成されてる部隊だからな。消耗したくないはずなんだが」
インカント隊。魔法を使用して戦局を動かせる部隊。たしかに、俺達一般兵より貴重な存在だ。
消耗させたくない、か。
「なんにしても、戦局が動くな。あとは、第二軍団に任せるとするか」
「小隊長殿、なんて情けないことを」
「大変な仕事は、優秀な奴に任せるって話だ」
「まあ、それがいいですね」
半分は本音で、半分は嘘だった。
この場所で、この任務で、部下を失った。六人。死んだ奴らは、俺達の姿を見てなんて言うのだろう。
軍団長が代わった、という話も、同じ頃に流れてきた。
フォルクマー軍団長。純血の、偉い人だ。もちろん、俺は一度も口をきいたことがない。その人が、この城を落とせなかった責めを負わされて、解任された。軍団長といえど、替えはいくらでもいるということなのだろうか。
その背中を、一度だけ見た。後方へ運ばれる馬車に乗り込む背中をだ。思っていたより、小さかった。俺達を、数字でしか見なかった男。その男が今、俺達と同じ、替えのきく駒になって、運ばれていく。
沿道の兵は、誰も見送らなかった。
偉い奴でも、うまくいかなければ、こうなる。
代わりに来たのは、新しい軍団長と、わずかな補給の列だった。
荷馬車を見て、ほとんどの兵が色めき立った。飯が来た、と。だが、第七軍団全員を食わせるには、少なすぎる気がした。
新しい軍団長の顔は、遠くて見えなかった。どうせ、フォルクマーと同じ目で俺達を見るんだろう。ただの消耗品として。
次の日、各小隊長が、ヴォルフに呼ばれた。
「この城の攻略は、中止だ」
中隊長は、いつもの、感情の乗らない声で言った。
「中止、ですか。あれだけ死んで」
「第二軍団が、正面から王都を叩く。バルトロスをあの城で釘付けにする。落とす必要は、なくなった」
「正面?」
「もともとここを攻めている理由は、王都攻めの際に我々の補給路を脅かされて、本国と分断される可能性が高かったからだ」
「なるほど……」
「幸か不幸か、二つの軍団で攻めることになった。よって、片方を後方の安全確保。もう片方で、王都を攻めることが可能になったわけだ」
落とす必要は、なくなった。
あれだけ登って、あれだけ死んで、あの城は、もう落とさなくていいものになった。俺達がやってきたことは、丸ごと、無駄になった。
「……じゃあ俺達の任務は、まだここで待機ですか?」
「いや、第七軍団の三分の一が、王都攻めに回る。お前達の部隊だ。先遣隊として、第二軍団と合流しろ」
やっとこの泥から出られる。前へ進める。悪くない話に聞こえた。テオなら、喜んだかもしれない。
だが、集められた小隊長を見て、俺は、それがどういう話か、分かってしまった。
王都へ回される隊の顔ぶれ。
メレシア、アンセル、名も知らない征服地。純血の帝国兵は、一人もいない。第二軍団は、あの綺麗な軍団は、後から来る。俺達が、先だ。
この前と、同じだった。あの意味のなかった突撃の時と。今度は、それが王都の城壁の下になるだけだ。
帝国の貴重な軍団を、無傷で城の中へ入れる。そのために、俺達が先に城壁へ取りつく。梯子をかけて、油をかぶって、矢を浴びる。敵があらかた減った頃、あとから来た連中が、戦争を終わらせる。
俺達は、そのための駒だった。減らしても、惜しくない駒。
陣は、今までとは違う空気に包まれていた。
王都攻めに選ばれた隊と、城に残る隊。口には出さないが、みんな、残るほうに入りたがっていた。前へ進むより、この泥の中に留まるほうがまし。そう思わせる話だと、それだけで分かる。
うちの隊は、行くほうだった。
誰も、俺を責めなかった。俺が決めたことじゃない。だが、責められないことのほうが、重かった。
陣へ戻ると、みんな、もう知っていた。噂のほうが、命令より早い。
「聞きましたよ、小隊長殿。おれ達、出世だってな」
ゲルントだった。笑っていた。だが、目は笑っていない。
「王都だぞ。都だ。まさか、帝都より先に見ることになるとは驚きだ」
「……ゲルント」
「いいんですよ。誰かが先に死ななきゃ、戦は終わらねえ。それが、征服組の役割なんでしょ」
ゲルントは、それきり薪をくべ始めた。
テオは、黙っていた。手柄を立てに来た、と言っていた男が、何も言わない。都で手柄を立てても、その頃には、自分がいないかもしれない。それくらいは、もう分かるようになっていた。
エイダンだけが、城のほうを見ていた。
「昨日、お前に聞いたよな。俺達は、なにをやってるんだろうって」
「……ああ」
「答えが出た。俺達は、使い捨てされるだけの兵士だ。別の軍団が動くまでの、繋ぎだった。そのために、六百が死んだ」
エイダンは、低く笑った。笑うところじゃなかった。
「そこまでは、読んでた。だが、次はその繋ぎを、はっきりと使い潰すんだ。俺は、こいつらを、まだ甘く見てた」
その晩、リーゼが俺のところへ来た。
「小隊長殿。わたしも、王都へ行くのでありますか?」
「ああ」
「そうですか」
「怖いか?」
「どうなんでしょう。わかりません。ただ……」
「ただ?」
「一統の福音が頭から離れないのです」
「……争いを終わらせるために、か」
「争いを終わらせるためには、わたし達は死ななければいけないのでしょうか?」
この子が配属された日のことを思い出した。一統の福音を嬉しそうに俺に説いてきた。
もう、あの時の子はここにいない。
「生きて帰るぞ。とにかく、それだけを考えろ。余計なことは考えるな」
「……はい」
それだけだった。それしか言えなかった。
初めて人を殺した晩、あんなに手を震わせていた子が、今は、ただ頷いて戻っていく。俺は、それを止めなかった。止める資格が、なかった。ここまで連れてきたのは、俺だ。
二日後、俺達は、城に背を向けて歩き出した。
一度だけ、振り返った。
不動のバルトロスの城が、灰色の空の下に、変わらず建っていた。城壁の若木の旗は、まだ翻っている。一度も、下ろされなかった。
俺達は、あの城を、落とせなかった。落とさないまま、通り過ぎる。
あの旗は、この戦を覚えているだろうか。俺達が、ここにいたことを。
長かった雨は、もう上がっていた。




