第十話 ただ殺すために
三日後、俺達第三小隊に補充が来た。
死んだ五人の代わりに来た連中は、教練所を出たばかりの若造達だった。
名簿を渡された。年と、出身地と、入隊年。三日前に死んだ五人の名前が消されて、新しい五人の名前が書いてある。
人の代わりは、すぐに来る。前に、指揮官の誰かがそう言ってた。装備や食料の補充のように、と。その通りだった。
新しい五人は、目が輝いていた。
初陣を前にした、あの目だ。リーゼが、俺の隊に来た日の目。俺が、十八で軍に入った日の目。
こいつらは、まだ、何も殺していない。何も、死なせていない。
戦場がどういうものかも知らない。
名前を、覚えた。
覚えたところで、と思う自分がいた。三日前まで、そこにいた五人の名前も、俺は全部覚えていた。覚えていて、死なせた。
それでも、俺は、新しい五人の名前を覚えた。ほかに、やることもなかったからだ。
ゲルントやダルクは新兵を睨むように見ている。いや、睨んでいる自覚はないのかもしれない。新兵のほとんどは、その目を見て固まっていた。
しかし、そのうちの一人が俺のところへ来た。
「小隊長殿。自分は、手柄を立てたいのであります」
まっすぐに、そう言った。
こいつの名前はテオ。俺達の目を見てもなお、臆さずに来るところをみると、物おじしない性格なのだろう。
故郷を優遇してもらうために、手柄を立てたい。そういう連中を、俺は嫌というほど見てきた。俺も、その一人だった。
「手柄か……」
「はい。故郷に、仕送りを増やしたいのです。母と、妹が二人います」
「そうか」
「小隊長殿は、たくさん手柄を立てたと聞きました。どうすれば、いいでしょうか?」
俺は、この子に、何を言えばよかったんだろう。
手柄を立てるな、と言えば、命令違反だ。立てろ、と言えば、死地へ行けと言うのと同じだ。
結局、俺が言えるのは、これだけだった。
「まず、靴を脱げ。夜営したら、飯より先にだ」
「……はい?」
「足が腐ると、歩けない。歩けない兵は、置いていかれる。手柄より、まず、それだ」
テオは、きょとんとした顔をして、それから、力強く頷いた。
リーゼが、初めて訓示を聞いた時と、同じ顔だった。
俺は、また一人、同じ道を歩かせようとしている。そう思ったが、口には出さなかった。
城は、まだ落ちていなかった。
あの突撃で、俺達は六百を失った。しかし、エルダインの門は微動だにしなかった。城壁の旗は、変わらず翻っている。膠着は、元に戻った。いや、こちらの数が減ったぶん、前より悪くなっただろう。
ヴォルフに呼ばれたのは、その頃だ。
この前と同じように、各小隊長が集められた。
「先日の突撃は、無駄ではなかった」
中隊長は、いつもの、感情の乗らない声で言った。
「エルダインの予備が、どれだけの速さで動くか。中央が、どこまで持ちこたえるか。それが分かった。軍団長は、あの一戦を、有意義な損耗だと見ている」
「……有意義な、損耗」
「そうだ。次の作戦の、役に立つ」
俺は、しばらく黙っていた。
有意義な損耗。六百の死に、そういう名前がつく。第三小隊の死んだ連中も、これから死んでいく連中にもだ。
ヴォルフは、嘘をついているわけじゃない。皮肉を言っているわけでもない。本気で、そう思っている。あの突撃には意味があった、と。信じて、そう伝えている。
それが、いちばん、こたえた。
「レイヴァン小隊長」
「はい」
「お前の隊は、損耗が少ない。よくやっている」
褒められた。
褒められて、俺は、吐きそうになった。
「他の小隊も、第三小隊と同じように被害を抑えつつ、敵を殺せ。そうすることで、我々の勝利が近づく」
誰も返事はしなかった。
この前の突撃で、小隊のほとんどを失った部隊もいる。返事なんて出来る訳がなかった。
陣に戻ると、兵達が、火を囲んで小声で話していた。
俺が近づくと、声が止む。だが、止む前の言葉の切れ端は、聞こえていた。
「……純血の連中は、後ろで見てただけだ」
「六百だぞ。六百」
「おい、やめとけ」
止めたのは、ベテランの兵士だった。誰が聞いているか、分からない。そういう言葉は、口にした時点で、罪になる。反逆の芽と見なされれば、村ごと焼かれかねない。
言いかけた若い兵達は、口をつぐんだ。
俺は、小隊長だ。
こういう時、咎めるのが、仕事だ。誰がそんなことを言った、と問い詰めて、上に報告する。それが、命令する側の役目だった。
だが、俺は、何も言わなかった。
聞かなかったふりをして、火の前を通り過ぎた。
通り過ぎてから、気づいた。
俺は、咎められなかったんじゃない。咎めたくなかったんだ。
あいつらの言葉は、間違っていない。純血の連中は、後ろで見ていた。六百が、意味もなく死んだ。それを、俺も、腹の底では、同じように思っていた。
小隊長が、部下の反逆の言葉を、聞かなかったことにする。それが何を意味するか、その時の俺は、まだ考えないようにしていた。
その日の夕飯の時、リーゼを見た。
あの子は、飯を食っていた。
三日前、初めて人を殺した晩は、手が止まって、食えなかった。だが、今日は、食っていた。黙々と、義務みたいに、口へ運んでいる。
俺が教えたことを、あの子は、もう自分で自分に言い聞かせている。そういう食い方だった。
強くなった、とは思わなかった。
慣れ始めた、と思った。
慣れは、生き延びるために要る。だが、慣れるたびに、何かが、少しずつ死んでいく。俺が、そうだったように。
リーゼが、俺の視線に気づいて、小さく頭を下げた。
いつもの、素直な仕草だった。
その素直さが、いつまで保つのか。俺には、分からなかった。
その晩、俺は、一人で火を離れた。
少し登ったところに、岩があった。そこに座って、城を見た。闇の中で、城の輪郭だけが、黒く浮かんでいる。あの中に、バルトロスがいる。たった四千で、一万を止め続けている男が。
福音を、思い出そうとした。
分かたれているから、人は争う。ならば、合一こそが救いである。
十八の時に暗記した。リーゼも、同じ文句を暗唱した。俺は、その通りだと言った。本気で、そう思っていた。
だが、今、目の前にあるのは、なんだ。
俺達は、合一しに来たのか。あの城の連中を、一つに束ねに来たのか。
違う。俺達は、あの城を落としに来た。城を守る連中を皆殺しにして、その先の王都を焼きに行くために。束ねるんじゃない。消し去るんだ。
束ねられた先に、平和があるのだと、俺は教わった。俺の故郷メレシアが、そうだったように。
だが、あの城の連中は、束ねられることを望んでいない。望んでいない者を束ねるのは、それは、なんと呼ぶのだろう。
少し考えた。でもやめた。
答えが出そうになると、怖かった。
答えが出たら、俺は、明日、剣を振れなくなる。振れなくなったら、部下が死ぬ。俺の隊の、新しい五人が。
だから、考えるのを、やめた。
やめることを、俺は、この頃から覚えてしまった。
岩を降りようとすると、エイダンが来た。
「考え事か?」
「……いや」
「嘘つけ。顔に出てるぞ」
「……そうか」
エイダンは、隣に座った。城のほうを見ながら、低い声で言った。
「レイ。お前、福音を信じてるか?」
「……なんだ、急に」
「昔のお前は、信じてた。心底な。だから軍に入った」
「……ああ」
「今は?」
俺は、答えられなかった。
答えられないことが、答えだった。
「無理に信じなくていい」
エイダンは、それだけ言った。
「ただ、信じてないなら、信じてないやつの生き方をしろ。信じてるふりをして戦うのが、いちばん、人を狂わせる」
あいつは、それきり、何も言わなかった。
俺も、言わなかった。いや、何も言えなかっただけだ。




