第五十九話「境界の気配」
村の外れを抜けた先は、妙に静かだった。
風はある。鳥の声もある。だが、その“自然さ”の中にだけ、ぽっかりと穴が空いているような感覚があった。
セイリスは足を止める。
「……ここ」
地図に示された線の、終点に近い場所だった。
空気が重いわけではない。
だが、軽くもない。
まるで“どこか別の場所と薄く重なっている”ような違和感。
視界に異常はない。それなのに、確かに世界の輪郭がわずかに揺れている。
村で聞いた言葉が思い返される。
『あの辺には近づくな』
『戻ってこない人がいる』
『昔から記録が曖昧なんだ』
そのどれもが、曖昧なまま放置されていた理由が、今なら少しだけ分かる気がした。
セイリスはゆっくりと前に進む。
一歩ごとに、空気の“質”が変わっていく。
温度ではない。匂いでもない。
ただ、世界の手触りそのものが、わずかに別物になっていく。
そして、その先。
視界の端に、何かが“歪んだ境界”のように見えた。
扉でも穴でもない。
ただそこだけ、存在の密度が薄い。
「……これが」
セイリスは目を細める。
(ここが、境界……?)
(まだ“入口”と断定できるものではない)
(それでも……向こう側に繋がっている気配はある)
足を踏み出そうとして、セイリスは一度止まる。
剣の柄に手を置いたまま、静かに周囲を見渡す。
(魔物の気配はない)
(だが……空間そのものが見ているような感覚がある)
その瞬間、ほんの一瞬だけ空気が揺れた。
歪みが、呼吸するように動く。
だが次の瞬間には、何事もなかったかのように戻る。
まるで“踏み込まれること”を拒むように。
セイリスは一歩後退した。
「……今は、入るべきではない」
それは恐怖ではなかった。
聖者としての判断でもある。
まだ情報が足りない。
まだ、この場所の正体が見えていない。
だが同時に理解していた。
ここはもう、ただの村の外れではない。
“ダンジョン”という言葉だけでは、まだ足りていない。
セイリスは視線を上げる。
歪みは、そこにある。
しかし形はない。
境界だけが、確かに存在していた。
「……次は、もう少し準備して来るべきね」
そう呟いて、セイリスは踵を返した。
その背後で、空間がわずかに揺れた。
まるで、世界そのものが“記録”を更新したかのように。




