第五十七話「揺らぐ記録」
朝のギルドは、いつもより少しだけ空気が重かった。
依頼板には、変わり映えのしない討伐依頼と採取依頼が並んでいる。だがその中に、ひとつだけ妙に目を引く札があった。
「ダンジョン周辺における魔物出現頻度の異常報告」
セイリスはその札の前で足を止めた。
「……異常?」
隣を通りかかった受付係は、困ったように笑う。
「最近、よく出るんです。同じような報告。でも、被害規模はそこまでじゃないんですよね」
言葉の割に、その声は軽くなかった。
セイリスは依頼を受け、村へ向かった。
道中は静かだった。風も穏やかで、魔物の気配も薄い。だがそれが逆に、不自然だった。
「静かすぎる……」
聖者としての感覚が、小さく警鐘を鳴らす。
村に入ると、すぐに違和感は形になった。
「魔物? ああ、出るには出るが……昔ほどじゃないな」
「むしろ、減った気がするぞ」
「でも、場所は変なんだ。あの辺だけ急に多い」
口々に語られる内容は、どれも噛み合わない。
被害は減っている。だが、出現場所は偏っている。周期も一定ではない。
記録にすれば“正常化”と言ってもいいはずの現象。
だが、現場はそうは言っていなかった。
セイリスは、静かに目を閉じた。
(記録と、現実が一致していない)
それは、聖者として何度も見てきた“信仰の揺らぎ”と似ていた。
だが今回は違う。
神の奇跡でも、信仰の歪みでもない。
ただ単純に――世界そのものの挙動が噛み合っていない。
村外れの畑で、小さな騒ぎが起きていた。
「また出た! でもすぐ消えたぞ!」
そこにあったのは、魔物の痕跡。だが戦闘の形跡がない。
まるで“そこに現れて、何かに気づいて、去った”ような跡だった。
セイリスはしゃがみ込み、地面に触れる。
(殺意が薄い……いや、違う)
(これは……目的が違う)
そのとき、村人の一人がぽつりと言った。
「最近さ、あの辺……ダンジョンの方から風が変わった気がするんだよ」
ダンジョン。
その言葉だけが、妙に重く響いた。
ギルドに戻ったセイリスは、報告書を見てさらに眉をひそめた。
「公式記録では異常なし」
「現地報告では異常増加」
「でも被害は減少傾向」
全部が噛み合わない。
まるで誰かが、意図的に“整えている”ような数字だった。
「……これは」
セイリスは小さく呟く。
「奇跡ではない」
「信仰でもない」
「もっと……構造そのものの問題」
その夜。
村の外れで、一瞬だけ空気が歪んだ。
魔物の気配が立ち上がり――そして、すぐに消えた。
まるで何かに制御されたように。
セイリスは剣に手を置きながら、静かに空を見上げた。
(ダンジョンが近いのかもしれない)
(それとも、もう影響は始まっているのか……)
そして、まだ誰も知らないまま。
この村の記録は、少しずつ現実からズレ始めていた。




