第五十六話「報せ」
朝の礼拝堂は静かだった。
祈りの声はある。
だが以前とは違う。
少しだけ遠い。
少しだけ薄い。
それを説明できる者はいない。
セイリスは祭壇の前で目を閉じていた。
祈りは届く。
奇跡も起きる。
神術も使える。
何一つ失われてはいない。
それでも。
違和感だけが残っていた。
その時。
礼拝堂の扉が開く。
足音が近付いてくる。
若い神官だった。
「聖者様」
「どうしましたか」
神官は少し言いにくそうな顔をする。
「大聖堂より連絡です」
セイリスは目を開いた。
「連絡?」
「高位神官方が集会を開かれるそうです」
その言葉に、わずかに眉が動く。
珍しい。
高位神官達が一堂に会することは少ない。
特に緊急でもない時期ならなおさらだった。
「理由は?」
「それが……」
神官は言葉を濁した。
「最近、各地から妙な報告が届いているそうで」
セイリスは立ち上がる。
「妙な報告?」
「はい」
神官は資料を差し出した。
そこには短い報告が並んでいた。
祈りの感覚が変わった。
祝福の手応えが薄い。
説明できない違和感がある。
どれも曖昧だ。
証明もできない。
だが件数だけは多かった。
セイリスは静かに資料を閉じる。
私だけではなかった。
そう思った。
安心よりも先に、不安が大きくなる。
個人の思い違いではない。
複数の人間が同じ違和感を覚えている。
それは偶然ではなかった。
「いつですか」
「本日の午後です」
「分かりました」
神官は頭を下げる。
そのまま礼拝堂を去っていった。
静寂が戻る。
セイリスは再び祭壇を見る。
そこには何もない。
いつもと同じ景色。
それなのに。
以前と同じには見えなかった。
大聖堂の会議室には、すでに多くの神官が集まっていた。
高位神官達もいる。
年老いた者。
厳格な者。
穏やかな者。
様々だ。
セイリスが入ると視線が集まる。
聖者。
その肩書きはここでも重い。
だが今日の空気は違った。
誰もが何かを考えている。
そんな沈黙だった。
やがて一人の高位神官が口を開く。
「各地より報告が届いている」
静かな声だった。
「奇跡は起きている」
数人が頷く。
「神術も失われてはいない」
再び頷きが返る。
そして。
「だが以前と違う」
部屋が静まり返った。
誰も反論しない。
「理由は不明」
「原因も不明」
「証明もできない」
老神官はそこで目を閉じた。
「だが違和感だけが残る」
セイリスはその言葉を聞く。
違和感。
それこそが問題だった。
奇跡が消えたなら説明できる。
神術が失われたなら理解できる。
だが今は違う。
全てが成立している。
成立しているのに。
どこかだけが欠けている。
「神はおられる」
別の高位神官が言った。
力強く。
迷いなく。
「我らはこれまでも祈りを捧げてきた」
「これからも変わらない」
賛同の声が上がる。
だが。
セイリスだけは沈黙していた。
神がいるか。
いないか。
そんな話ではない。
問題はもっと別の場所にある。
そんな気がしていた。
その時だった。
一人の地方神官が立ち上がる。
「報告があります」
全員の視線が向く。
神官は資料を開いた。
「北方地域の調査報告です」
そして。
次の言葉が会議室の空気を変えた。
「最近、ダンジョン周辺でも同様の異常が確認されています」
セイリスの目がわずかに細くなる。
教会だけではない。
神界だけでもない。
その可能性が。
初めて姿を見せた。




