第十七話「形を持たない噂」
朝の街は、いつも通りだった。
市場の喧騒。行き交う人。変わらない日常。
その中で、ひとつだけ違うものがあった。
「……またその話かよ」
航は小さく息を吐いた。
耳に入ってくるのは、昨日より少しだけ膨らんだ“誰かの話”。
「一人で全部終わらせた冒険者がいるらしいぞ」
「いや、複数いたって聞いたが?」
「でも見たやつは“気づいたら終わってた”って言ってた」
まとまりがない。
なのに、妙に“それっぽい形”だけが残っていく。
航はパンを買いながら、肩をすくめた。
「どれも違うだろ……」
それだけの出来事だった。
少なくとも本人にとっては。
依頼は終わった。敵も倒した。特別なことはしていない。
ただ、効率がよかっただけだ。
だが街の空気は、少しずつ変わっていた。
「なあ、お前それやったやつか?」
冒険者の視線が、少しだけ重い。
航は一瞬だけ考えてから、
「さあな」
とだけ返す。
説明する理由がなかった。
説明しても、たぶん変わらない。
相手は納得したような、していないような顔で去っていく。
その背中を見ながら、航は小さく息を吐いた。
「……面倒な方向に寄ってきてるな」
そして、いつもの場所へ向かう。
レイの店。
昼と夜の間の時間帯。
そこだけが、妙に変わらない。
「おう」
入るなり、レイが一言だけ返す。
「いつも通り」
航もそれだけ返す。
席に座ると、ようやく呼吸が落ち着く。
(ここだけは、まだ普通だな)
外では、まだ自分の話が勝手に増えている。
だが、ここに来れば一度だけ“形が戻る”。
「で?」
レイがグラスを置く。
「また噂か?」
「……まぁな」
航は少しだけ間を置いて答えた。
「なんでこうなるんだろうな」
珍しく、少しだけ本音が混じる。
レイは肩をすくめた。
「知らねえよ」
即答だった。
航は苦笑する。
「だよな」
少しだけ沈黙が流れる。
騒がしい店の音だけが、境界線みたいに残る。
「でもさ」
レイがふと続ける。
「そういうのって、大体“本人の意思とは関係なく決まってくもん”だろ」
航は視線だけ向ける。
「意味わかんねえんだけど」
「わかんなくていいんじゃねえの」
レイはそれだけ言って、別の客へ向かった。
航はグラスを回す。
(結局、考えても無駄か)
いつも通りの結論に落ち着く。
「……まぁいいか」
店の外では、まだ誰かが“英雄らしき誰か”の話をしている。
だがこの場所だけは、まだ航のままだった。




