第9話 倒れる
森の中を歩いていたリアは、木の枝から差し込む朝日を浴びながら深呼吸をした。
リアが最初に森へ入った時から比べれば、今の森の姿は見違えるほど美しい。鳥のさえずりが聞こえ、リスが木の枝を自在に駆け回る。遠くで木の枝がガサガサと揺れる音がして、リアはそちらに目をやった。音の正体はフォリーの使い魔たちで、どうやら木登りをして遊んでいるようだ。彼らはフォリーの手伝いをする以外は、森の中で自由に過ごしている。
生き物たちは徐々に森へ帰ってきていた。枯れた木は息を吹き返し、枝からは瑞々しい枝が伸びていた。森は死んでなどいなかったのだ。瘴気に侵されても森はじっと耐え続けていた。
リアは生き返っていく森を見て、自分の努力が報われたように感じていた。昨日からリアは体のだるさを感じていて、少し熱もあった。それでも森に入って空気を吸うと、不思議とだるさを忘れられた。
森の入り口周辺にある瘴気は、リアの努力のおかげでだいぶ減っている。だが少し奥へ行けば、まだまだ瘴気はあちこちに残っている。この全てを浄化しなければ、森が完全な姿に戻ることはない。
瘴気がある場所は見てすぐに分かる。どす黒い血の色をした土にすっかり枯れた植物。そこだけ見た目が変わっていて、息苦しさを覚える空気の重たさと、何かが腐ったような嫌な臭いがするのが特徴だ。
リアは大地に手を押しつける。するとどす黒かった土の色が徐々に変化し、嫌な臭いが消えていく。枯れた木はすぐに元に戻らないが、土が元に戻ればやがて木々も元の姿を取り戻すはずだ。
(……頭が痛い……最近ちょっと無理をしすぎたのかも……)
リアは眉間に皺を寄せ、こめかみに指を当てた。聖女は呪いを自らの身体に取り込み、呪いを自らの血で浄化できる。魔族がかけた呪いを解くことができるのは、聖女だけである。
だから自分がやらなければならない、そう考え頑張ってきた。リアはどんな立場に置かれても、自分を必要としてくれるならそれに応えようとする聖女だった。
幸いゼインを始め、村の仲間たちはリアを尊重し、大事に扱っていた。
ゼインは相変わらず口数が少ないが、いつもリアに「たくさん食え」と食事を多めに入れて渡した。リアが「こんなに食べられません」と言っても、ゼインは不機嫌そうに「ちゃんと食わないと倒れるぞ」と繰り返した。
フォリーや他の仲間たちは「リア様は何もしなくていいですよ、力仕事は自分たちでやりますから」とリアを気遣った。リアが一日中呪いを解くことに集中できているのも、彼らの協力あってのことだ。
リアは徐々にこの村での暮らしに慣れていった。王宮で腫物扱いされていた頃よりも、自分が必要とされていると感じることができた。魔族との戦いは終わり、もう戦場に出る必要もない。マティアス王子に無視され、聖女ルイーゼに馬鹿にされながら窮屈な暮らしを続けるくらいなら、ここで呪いを解きながらみんなに感謝される暮らしの方がよほどましだ。
(もう少し、呪いを解いたら少し休憩しよう……)
身体のだるさを感じながら、それでもリアは呪いを解くことを辞めなかった。
♢♢♢
翌朝、ゼインはたっぷりの大麦粥が入った器を持ち、リアが暮らす教会に入った。礼拝の間には人気がなく、しんと静まり返っている。ゼインはそのまま階段を上がり、二階のリアの寝室へ向かった。
「入るぞ」
ノックをしても反応がなく、声をかけて中に入った。リアは朝食を食べに来ず、誰も彼女の姿を見ていなかったため、ゼインが朝食を持って様子を見に来たのだ。
中に入るとリアは確かに寝室の中にいた。だがリアは床に座り込み、上半身をベッドに預けてぐったりとしていた。
「リア! どうした?」
ゼインは慌ててリアに駆け寄る。見るとベッドのそばにたらいが置いてあり、そこにはリアの吐しゃ物があった。
リアはぐったりとしていて、ゼインの呼びかけに反応がない。リアの身体は冷たく、呼吸はしているがとても弱々しい。顔は死人のように真っ白で、長く美しい栗色の髪はすっかり艶がなくなり、果実のように瑞々しかった唇には皺が深く刻まれ、紫色に染まっていた。
「待ってろ。すぐにフォリーを呼んでくる」
ゼインはリアの身体を抱き上げ、ベッドに寝かせると急いで部屋を出ていった。
――ゼインはすぐにフォリーを連れて戻ってきた。フォリーはリアの様子を見ると顔色を変え、リアの手を取った。リアの爪の色が黒ずんでいることに気づき、フォリーの表情が更に険しくなる。
「これは……呪いが浄化できていない。リア様の身体に呪いが残ったままだ」
「浄化できていない? なぜそんなことになったんだ」
「リア様、昨夜はあまり食欲がないと言っていた……思えばどこか元気がなかったような気がする。恐らくリア様は風邪を引いたんだ。呪いを浄化するには多くの体力が必要なんだよ。でも体調が悪くて、呪いを完全に浄化しきれなかったのかもしれない」
「呪いが浄化できず、このままリアの身体に残り続けたらどうなる」
フォリーの話を聞いたゼインの顔が曇った。
「呪われたまま生きていける人間はいない。リア様の風邪が治り、呪いを早く浄化しないと、彼女はこのまま死ぬと思う」
「……リアが死ぬまで、あとどれくらいの猶予がある?」
「そんなの、僕は医者でも聖女でもないんだから分かるわけ……」
困惑しながら振り返ったフォリーは、怒りをこらえているようなゼインの顔を見て息を飲んだ。
「……僕はお前の三倍生きているから、それなりに色々な経験をしてきたし、様々なものを見てきた。その経験から言わせてもらうと、呪いを浄化できなくなった聖女が命を落とすまでの時間は、普通の人間と同じ……もって二日ってところだ」
「それなら他の町から別の聖女を連れてくる」
急いで部屋を出ようとしたゼインを、フォリーは慌てて引き留めた。
「待て、ゼイン。二日で聖女を連れてくるのは無理だ。それに聖女が自らの身体に取り込んだ呪いは、自分自身で浄化するしかない。他の聖女では無理なんだ」
「クソッ……なら、リアが元に戻る為には、リアが自分の力で病気を治すしかないってことか?」
「まあ……簡単に言えばそうなるね」
ゼインは腕組みをしながら、青白い顔のリアを見る。
「――リアが病気になったのは、体の調子が悪いのに無理をして呪いを解いていたせいだ。ろくな食い物もなく、一日中呪いを取り込んでいたらそうなるのも当然だ。栄養のあるものを食わせて風邪を治すしかない。リアに無理をさせた俺の責任だ」
「ゼイン……」
ゼインは自分自身に怒りを感じているようだった。考えがまとまったのか、腕組みをしていた腕を下ろした。
「フォリー、俺は他の村で栄養のつく食い物を探してくる。お前はリアの看病を」
「分かった。リア様のことは任せてくれ。薬をいくつか作って試してみよう。呪いの進行を遅らせることができるかもしれない」
「ああ、頼む。リアから片時も目を離すな」
ゼインはフォリーに頷くと、慌ただしく出ていった。




