第71話 ルイーゼの決断
そして舞台は王都から少し離れた、とある街に移る。
小さな一軒家で暮らしているのは、聖女ルイーゼとその子供だ。
ルイーゼはマティアスとのあいだに出来た子供を無事に出産したが、その子供は赤い瞳を持つ「魔族」だった。ルイーゼがレーイン村の瘴気を浄化している時に、二人は掟を破り愛し合ってしまった。その結果生まれた子供は、身体に呪いを宿す魔族となったのだ。
聖女は自らの体に呪いを取り込み、自分の血でそれを浄化するという特殊な体質を持つ。呪いは血によって分解され、完全に浄化されるはずだが、ほんのわずかな呪いが身体に残っていることがある。そのまま妊娠すると、呪いを宿した子供が生まれてしまうことがある為、聖女は妊娠時期に厳しい決まりがある。呪いを解いてから一か月は子供を作ってはいけない、という掟だ。
ルイーゼとマティアスは、一度は生まれた子を始末しようと決めていた。だが土壇場になってルイーゼはそれを拒否し、魔族の子を自分の手で育てると決めた。マティアスはそのままルイーゼと別れ、兄を頼り王都へ戻っていった。
現在、ルイーゼは一人で子を育てている。両親の支援を受け、使用人もルイーゼの育児を手伝っているので、なんとかやっていけている状態だ。
「アリスター、今日はなんだか蒸すわね。窓を開けましょうか」
ベッドの上でもぞもぞと動いている我が子に微笑み、ルイーゼは近くの窓を開けた。部屋に風が通り抜け、ルイーゼは風を浴びながら窓の外を眺める。
彼女の理想とは違う暮らしがそこにある。馬車一台がようやく通れる小さな門。通りを歩く馬車の音が、ここからでも聞こえるほど小さな庭。夢に見た贅沢な王宮暮らしとはほど遠いが、ルイーゼは幸せだった。
彼女が欲した永遠の愛は、本来ならばマティアスが与えてくれるはずだった。だが彼女は気づいたのだ。永遠の愛を与えてくれるのは我が息子であると。決して彼女を裏切らない、絶対的な愛と信頼。ルイーゼはようやく望むものを手に入れたのである。
窓の外を眺めていたルイーゼは、通りから聞こえる馬車の音がどんどん近づき、家の前で停まったことに怪訝な顔をした。反射的に窓を閉め、物陰から様子をうかがう。
王子の子とは言え、アリスターは魔族だ。いつ誰が息子を奪いに来てもおかしくない。王家の人間はもちろん、噂を聞きつけた魔族がアリスターを利用しようとするかもしれない。ルイーゼは胸の前で手を組み(どうかただの来客でありますように)と願った。
しばらくして、使用人がルイーゼを呼びに来た。
「ルイーゼ様。王宮から使いの方がいらしてます」
「……とうとう来たのね、分かったわ。すぐに支度をお願い」
「かしこまりました」
使用人はルイーゼを華やかなワンピースに着替えさせ、髪型を簡単に整え、メイクを施した。最後にルイーゼお気に入りの香水を振りまく。子供が生まれてから彼女は香水をやめていたが、今日これから彼女は訪問客と戦わなければならない。彼女にとってこれは鎧である。
♢♢♢
ルイーゼは王宮からの使いだという二人の男が待つ応接室に入った。子供を産んだばかりとは思えない華やかな装いと、部屋の中に広がる甘い香りに、ルイーゼのプライドと意地が見て取れた。
「――それで? あなたたちが来た用件というのは、息子のこと?」
簡単な挨拶を済ませ、早速ルイーゼは本題に入る。
「話が早くて助かります。あなたのご子息の今後についてです」
「どうするつもり? 私はアリスターを渡さないわよ」
ルイーゼは二人を睨みつける。
「ですが、このままお一人で子を育てるのは大変かと存じます。そこで陛下のお考えとして、ある信頼できる魔法使いにあなたのお子を預けるべきではと」
「魔法使いに? 冗談でしょう?」
「いいえ、冗談などではありません。王家の血を引く魔族をこのままにしておくより、魔法使いとして育て、王宮専属の魔法使いにするのが本人にとって一番いいのです」
「それは王家にとって、でしょ?」
ルイーゼは憎々しげに使いの男を睨みつけた。使いの男たちはルイーゼに睨まれても全く怯む様子がなく、淡々と話を進める。
「そう捉えていただいて問題ありません。あなたのお子が仮に魔族の手に渡ると、非常に面倒なことになるということは、あなたにもお分かりいただけるでしょう」
「馬鹿にしないで。私にだってそれくらい分かっているわ。だから私はアリスターを決して手放さないし、私の元で立派に育てます」
「お言葉ですがルイーゼ様。あなたが大事に育てた子供は、いつまでもあなたの腕の中で眠るわけにはいかないんです。彼はいずれ自立しなければなりません。このままでは学校にも通えず、友人を作るのも難しい。将来は仕事を見つけなくてはなりません。魔法使いに任せれば、彼は魔法の扱いを覚えられますし、呪いの力を抑え我々と共に生きることもできます。同じ魔法使いの仲間も……」
「私が上手くやるから心配しないで! そう言って私からあの子を奪うつもりなんでしょ? 私にとってあの子が唯一の生きがいなの! あの子がいなくなったら、私は生きている意味がないのよ」
ルイーゼは興奮していきり立った。ろくに話を聞くつもりもないようである。突然やってきて子供を連れていくと言われたルイーゼが怒るのも当然だった。
使いの男たちは(やれやれ)と目を合わせたあと、一枚の紙をテーブルに置いて彼女に見せた。
「何よ、これ」
「誓約書です。あなたの息子を引き取ったことを、外に口外しないと約束していただきます」
「ふざけないで。私は絶対にサインなんてしないわよ!」
「ルイーゼ様。これは『王命』です。お分かりですね?」
ルイーゼはぐっと言葉を飲み込み、誓約書に目を落とした。バークス王の名前で署名がされている。間違いなく、バークス王がこれを命じている。王を怒らせ、半ば強引に子供を産んだルイーゼは、これ以上王を怒らせるのはさすがにまずいと考えた。
「――分かったわ、でも約束して。アリスターを大切に育ててくれるって。傷つけたり、悲しませたりしたら私が許さないわ。世話役は乳母の他に最低でも三人用意して。暖かくて日当たりのいい部屋で寝かせるのよ」
「ご心配なく。あなたのお子は安全な場所で育てますので」
ルイーゼは震える声で使用人に「ペンを持ってきて」と伝えた。使用人が手渡した羽根ペンを手に取り、ルイーゼは誓約書に自分の名前を書いた。書きなれているはずの名前は、震えで歪んでいた。
「確かに。ご協力いただき、感謝します。子供は明日引き取りに伺いますので」
「……私の都合なんて聞いちゃくれないのね」
ルイーゼは俯いたまま、呆れたようにこぼした。
♢♢♢
翌日、王の使いは乳母を伴って屋敷に現れた。
すぐに応対に出た使用人だったが、何故か焦った顔をしている。
「も……申し訳ございません。ルイーゼ様が……」
「どうした?」
使いの男たちは怪訝な顔をしたあと、使用人が焦る顔を見て顔色を変えた。
「すまん、中に入らせてもらうぞ!」
男たちは荒々しい靴音で家中を歩き回り、とうとうルイーゼの部屋にたどり着くと扉を乱暴に開いた。
部屋の中は誰もいなかった。ルイーゼのベッドの隣にあるベビーベッドの中も空だった。
「……くそ!」
男たちはルイーゼが逃げ出したと気づき、怒りに任せて使用人を問いつめる。
「ルイーゼはどこへ行った!」
「わ……分かりません。私が目覚めた時にはもう、お二人ともいなくなっていて……」
「幼子を連れてどこへ行けるというんだ! どこかに隠しているんだろう? 出せ!」
「本当に分からないのです……」
使いの男たちに責められ、使用人は涙を流した。その後男たちが家をしらみつぶしに調べたが、やはりルイーゼは家にはいなかった。
ルイーゼは子供を連れ、どこかへ消えてしまった。やがて男たちが街で調べた結果、幼子を連れた女が乗り合い馬車に乗り、街を出ていったことが分かった。
乗り合い馬車の行き先は、港町ルナベリー。奇しくもそこはリアの生まれ故郷であった。




