第7話 最初の移住者
翌日から、リアは早速呪いを解き始めた。まだ薄暗い早朝、森に向かったリアは女神像の前に立ち、静かに祈る。
(今日一日、無事に呪いを解くことができますように)
彼女にとって女神像に祈りを捧げるのは日課でもある。リアは毎朝、森の女神像にも通うことにした。祈りを捧げた後は村に戻り、瘴気で侵された井戸へ向かう。
井戸に手をかざすと、呪いがリアの身体に取り込まれていく。しばらくすると呪いが解かれた井戸から嫌な臭いがなくなり、古い血のような土の色が明るくなっていった。
(これを全て私一人でやらなきゃいけない……)
考えるだけで気が遠くなる作業だ。村だけでなく近くの森にも瘴気が広がっているため、浄化する場所は広範囲に及ぶ。村の大地が綺麗になり、森が元に戻ってようやく、人々が安心して暮らせる土地になる。
身体が耐えられるギリギリまで浄化を続け、限界まで来たら今度は、身体に取り込まれた呪いを自らの血で分解しなくてはならない。この時のリアの苦しみようは、事情を知らない者が見れば恐怖を覚えるほどだ。唸り声をあげ、脂汗をかき、地面にうずくまりながらひたすら苦しみ続ける。
それはリアにとって拷問にも近い痛みだ。ある聖女は「身体じゅうから太い針が突き出してくるような痛み」と言い、ある聖女は「全身に矢を受けたような痛み」と例える。呪いの力が強ければ強いほど、呪いを分解する痛みは増してゆく。
「うう……うぅー……!」
周囲に誰もいないと思い、井戸のそばで一人もがき苦しんでいたリアの姿を見ていた者がいた。
それは英雄ゼインである。
ゼインは一度彼女の元へ行こうと足を進めるが、思い直して立ち止まった。あれは聖女の裏の顔である。普段はすました顔で可憐に振る舞う聖女たちだが、国を滅ぼす呪いを自身の身体で浄化するという辛い役目を負っている。そしてその辛さを、彼女たちは他人に見せない。
それは一体何の『業』なのか。何の罪もない女たちが、死を願うほどの苦しみを味わいながら、人々を守る為に自らの身を捧げているのだ。
ゼインは苦しむリアをじっと見守るように、その場に立っていた。
「はぁ……はぁ……」
荒い息遣いのリアは、肩を大きく上下させながら天を仰いだ。その表情は魂が抜け出たように呆けていて、あり得ないことだがほんの少し笑っているようにも見える。
ゼインはリアの表情から目を離せなくなった。常に凛としていて隙を見せない彼女の、人には決して見せない顔に違いなかったからだ。
(聖女は一度死に、再び蘇る……)
ゼインは心の中で呟く。それは死と再生を繰り返す不死鳥のようでもあった。リアがゆっくりと立ち上がるのを確認したゼインは、そのまま静かに踵を返した。
♢♢♢
リアがひたすら村の瘴気を浄化しているあいだ、魔法使いフォリーは何をしていたかというと、彼は村の外へ出かけていた。近隣の村や宿屋へ向かい、そこで村への移住者を募るのが目的である。
そしてリアが浄化を始めてから三日が経った頃、村に一人の男がやってきた。
「よう! ゼイン」
「ブライアス、来たのか」
ゼインと抱き合って再会を喜ぶ髭面の男の名はブライアス。彼は遠目からでも分かる大きな身体で、背中に斧を背負っていた。粗野な印象のある男に、リアは少し戸惑いながら挨拶をした。
「聖女リアと申します」
「おお、あんたが聖女様か! 俺はブライアス、ゼインとは一緒に戦った仲間だ。もっと早く村に来るつもりだったが、出発が少し遅れてしまってな」
ブライアスは強面な顔に似合わず、人当たりのいい男だった。
「まさか本当にお前が移住してくれるとは思わなかったぞ」
「本気にしていなかったのか? ゼインが村を立て直すならそれを手伝うと言っただろ? 俺は約束を守る男だ」
「いや、本気にしていなかったわけじゃない。ただお前は、故郷に残る気かと思っていた」
「俺には元々家族もいない。今さら田舎に戻って木こりをやるくらいなら、ここで暮らすさ」
「そうか……感謝する」
ゼインは一瞬言葉を詰まらせた。ブライアスは豪快に笑い、ゼインの肩を叩いた。
「――しかしまあ、村の惨状は思った以上だな。これは立て直すのに骨が折れるぞ」
「覚悟の上だ。フォリーは外で移住者を募ってる。他に誰か来てくれるといいが……」
ゼインはふと不安そうな顔を浮かべた。村が壊滅し、生き残った村人はみんな村を出ていった。彼らが戻ってくるという保証はなく、瘴気に侵された村へ移住したいと思う者が本当にいるのか分からないのだ。
ブライアスは珍しく気弱な顔になっているゼインを見ると、辺りに響き渡るような大声で笑った。
「何を心配してやがる! 俺以外にもお前の村へ来たがってる仲間はいるんだぞ。それにフォリーが移住者を募ってるんだろ? 村が元に戻れば、いずれここの噂は広がるさ。それよりも先に心配しなきゃならんのは、まずここの呪いをなんとかすることだ」
ブライアスとゼインの視線が、リアに集中した。リアは慌てて胸に手を当てると「お任せください」と返した。
♢♢♢
こうして村に、新しい住民ブライアスが増えた。ブライアスは自分で森の木を切り、軽々と木を運んできて自分の家を建て始めた。彼の背中に背負っていた斧は武器でもあるが、元々の職業が木こりなのだという。ブライアスはとても力持ちで、どんな重い物も軽々と持ち上げた。瓦礫の片づけも、彼が来てからみるみる進んだ。
リアの頑張りのおかげで、村の瘴気はだいぶ浄化されてきた。使える井戸も増え、ゼインは畑を耕し始めた。王から与えられた荷物の中には植物の種もあった。ゼインは畑に種を植え、水を撒いた。
リアは毎朝、森の女神像へ祈りを捧げにいく毎日を続けていた。毎日同じ道を通っていて、ふとリアは気づく。女神像までの道は整備されておらず、木の枝やら倒木やら様々な障害物があり、それを避けて歩かなければならなかった。
だがいつの間にか倒木が避けられ、木の枝や大きな石はなくなり、女神像までの道がどんどん歩きやすくなっていた。ひょっとしてブライアスが道を綺麗にしてくれているのかと思い、リアはブライアスに尋ねてみた。するとブライアスは「俺じゃない」と首を振る。
「道を整えてるのはゼインですよ、リア様」
「ゼイン様が……?」
リアはゼインの行動を意外に思った。彼は教会にも女神像にも興味がなさそうに見えたからだ。
(だとすると、私の為に……?)
道を綺麗にしてくれたお礼を言うべきだと思ったリアは、村の墓地にいたゼインに声をかけた。ゼインは墓地の周囲にある倒木を片付けていた。
「ゼイン様、森の女神像までの道を整えてくださったと聞きました。ありがとうございます」
ゼインは手を止めると、面倒くさそうに振り返った。
「あんたに怪我でもされたら面倒だからな」
それだけ言うと、ゼインは再び作業に戻ってしまった。これ以上リアと話をする気はなさそうな背中である。村に来てからもゼインは、リアと最低限の会話しかしなかった。同じ村で暮らすのだからもう少し打ち解けたいとリアは思うが、ゼインはむしろリアを避けるような行動を取っていた。食事の時だけは一緒になるが、雑談をすることもなかった。
(ゼイン様は私の力だけが目当てで、ここへ連れてきたんだから、私に興味がないのも仕方がないけど……)
村を復興させる為、ゼインはリアの力を必要としていた。そのことを理解していたリアだったが、あまりのよそよそしさに少しの寂しさを覚えるのだった。
♢♢♢
ブライアスが来てから数日後、魔法使いフォリーはようやく村へ戻ってきた。しかも彼は一人ではなく、横に若い男を連れていた。二人とも鳥かごを持っていて、中に鶏が一羽ずつ入っている。
リアは二人が戻ってきたことに気づき、急いで出迎えた。
「お帰りなさい、フォリー様」
「ただいま戻りました、リア様。聞いてください、いい知らせが二つあるんですよ。一つはこの男……彼は僕たちと一緒に戦った仲間でして、この村に移住したいと言うので連れてきたんです」
「初めまして、聖女様! 俺はワイリーと言います」
ワイリーはリアに礼儀正しく挨拶をした。見た目はリアとそれほど変わらないように見え、ゼインたちよりも若そうだ。
「ワイリーとは宿屋で偶然会ったんです。彼は生まれ故郷に戻っていたんですが、仕事を探しに王都へ行こうとしていたようで。そこで僕がこの村に誘ったというわけです」
「ゼインが村を復興している話を聞いて、面白そうだと思いまして! 俺もゼインの力になれればと」
「お仲間が増えるのは大歓迎です。ワイリーさん、よろしくお願いします」
ゼインの仲間だというワイリーは、快活な若者だった。リアとワイリーが挨拶を済ませると、フォリーが待ちきれないと言った顔で話を続けた。
「それでもう一つのいい知らせは、この鶏なんです。立ち寄った宿屋の鶏小屋が壊れていましてね。僕とワイリーで修理を手伝ったら、お礼にと鶏を二羽くれたんです。ちゃんと卵も産んでくれますよ」
「修理は殆ど俺がやったんだけどな……」
フォリーが得意げに鳥かごを掲げる顔を、複雑そうにワイリーは見ている。
「凄い! これで新鮮な卵が手に入りますね」
「ええ、早速鶏小屋を作らないと。ゼインはどこにいます?」
「さっきまで、畑にいたはずです。すぐに呼んできますね」
リアはゼインを探しに向かったが、ゼインの姿は見当たらない。どこへ行ったのかと辺りを探していると、川べりにゼインの姿が見えた。
「ゼイン様……」
声をかけようとしたリアは思わず足を止めた。ゼインは上半身裸で、どうやら川で着ていた服をじゃぶじゃぶと洗っているようだ。
リアはゼインの背中に目が釘付けになった。彼の背中は古傷だらけだったのだ。その鍛え上げられた身体に残る痛々しい傷痕は、彼のこれまでの戦いがどれだけ激しかったかを表していた。
「何だ」
リアに気づいたゼインは振り返った。彼の身体を正面から見たリアは思わず目を逸らした。だが一瞬見えた彼の胸や腹に、背中と同じような古傷があったことは見逃さなかった。
「……フォリー様がワイリーさんと一緒に戻られました」
「ワイリーが? すぐ戻る」
ゼインは川から上がると、上半身裸のままで歩いていった。リアは遠ざかる彼の背中を、つい目で追ってしまった。




