第65話 英雄
広場の群衆は王宮に向かって行進していた。どこで拾ったのか木の棒を持つ者もいる。王宮の正門前に到着した彼らは、固く閉ざされた門の前に集まり、大声で「ゼインを牢屋から出せ!」「ゼインを救え!」と叫んでいた。
「何をしている! お前ら、すぐに戻れ!」
門の前にはずらりと騎士が並び、盾と槍を構えながら彼らに警告していた。今にも攻撃を加えそうな空気だが、興奮状態の彼らは怯むどころか、さらにいきり立った。
「ゼインを出すまで帰らねえぞ!」
「英雄を救え!」
門を守る騎士らは困惑していた。武器のようなものを持つ者は多少いるものの、その殆どは丸腰で、城下町で暮らす普通の住民である。騎士団は迂闊に彼らを攻撃できない。かといって興奮している彼らが、説得など聞きそうにもない。
♢♢♢
正門前の騒ぎは、ロベルトも知るところとなった。ゼインの釈放を求める人々が暴動を起こしたことを知ったロベルトは、急いで見張り塔へ向かう。螺旋階段を駆け上がり、最上階に出たロベルトは、目の前の光景に呆然とした。
「どういうことだ……」
見張り塔からは正門前の様子がよく見えた。多くの人が集まり、声を揃えて「ゼインを救え!」と叫んでいる。彼らは魔族でもなければ敵国の兵士でもない。街で暮らす平民たちだ。
「ロベルト殿下。危険ですからここから避難を」
ロベルトを追って見張り台に来た護衛アードンが、立ち尽くしているロベルトに声をかけた。振り返る彼の顔には焦りが滲んでいる。
「わ……私はここから離れない。ここで逃げたら、私は本当に失望されてしまう……」
「お気持ちは分かりますが、私は殿下をお守りしなければなりません」
ロベルトはアードンに詰め寄ると声を荒げる。
「分からないのか、私は王太子だぞ! ここで逃げ出すことはできない」
「殿下。このままでは彼らの暴動は更に大きくなるでしょう。殿下の安全の為です」
ぐっと拳を握るロベルトの耳に「ゼインを救え! ゼインを救え!」と英雄ゼインを求める民衆の声が届く。ゼインの投獄を王都の人々が知った。それはつまり人々が、ロベルトが何をしたかを知ったということだ。
「いや、駄目だ。私が出て彼らと話す」
「後のことはエイデン宰相が対応する、とのことです。殿下は避難を」
エイデン宰相が後始末をすると知ったロベルトは、力なく崩れ落ちた。護衛アードンは無理やりロベルトを立たせ、引きずるように連れていく。
王国民のあいだで、ロベルトは欠点のない完璧な王太子として愛されていた。問題ばかり起こす第二王子とは違い、常に王国民のことを考え、街の住民とも積極的に交流し、彼らのことを考えていると思われていた男だった。
その信頼がたった今、崩れ去った。
♢♢♢
ゼインは牢屋の中にいて、外での騒ぎを全く知らなかった。毎日の粗末な食事で空腹はとっくに限界だったが、できるだけ体を動かさないようにして耐えていた。今日はいつまで待っても食事が来ない。とうとう食事を抜かれるようになったかと思っていたところに、ようやく重々しい扉が開いた。
「英雄ゼイン。ここから出てください」
「……何?」
騎士の言葉にゼインは一瞬耳を疑った。だがその言葉が嘘ではないとすぐに気づく。騎士はゼインの剣を持っていて、彼に差し出したのだ。
「あなたは自由です」
ゼインは剣を受け取った。久しぶりに感じる剣の重みに、ようやくこれが現実に起こっていることなのだと感じた。開いた扉の向こうに足を静かに置き、ゆっくりと廊下に出たゼインは、そこで見た光景に思わず息を飲んだ。
廊下にずらりと騎士が整列していた。
ゼインはゆっくりと廊下を進む。騎士たちは全員敬礼をしたまま、ゼインを見送った。それは彼らのゼインに対する、最大限の敬意だった。
「ゼイン殿。こちらを」
地下牢の出口に立つ騎士が、ゼインに荷物を手渡した。ゼインは無言で荷物を受け取ると小さく頷いて、階段を上って地上へ向かった。
(……体力が落ちているな)
石階段を一歩ずつ進むゼインは、わずかな筋力の衰えを感じながら先へ進んだ。そして一階までたどり着いたゼインは、彼を待つ人影を見つけた。
「ゼイン様……!」
今にも泣き出しそうな顔で待つその顔は、リアだった。リアの後ろにはネイサンが立っていて、彼も感極まった表情でゼインを見ている。
ゼインは少し急ぎ足でリアの元へ向かい、二人は無言のまま強く抱き合った。
「心配をかけたな」
ゼインは自分の胸の中で泣き崩れるリアに、優しく声をかけた。リアは泣きながら首を振り、更にきつくゼインの背中を抱きしめる。二人が抱き合う様子を見守っていたネイサンは、目に涙を浮かべながら敬礼のポーズを取った。
「ゼイン殿。お帰りをお待ちしておりました」
「……ネイサン」
リアを抱きしめたまま、ゼインはネイサンを見た。
「釈放されたのは、リア様のおかげなんですよ」
「リアの……?」
「リア様が広場に人を集め、王都の人々にゼイン殿を助けて欲しいと訴えたのです。それで広場にいた人々が王宮まで押しかけて暴動に……これ以上の騒ぎになることを王宮は恐れたのでしょう。エイデン宰相がゼイン殿の釈放を命じました」
ゼインは驚いたようにリアを見つめる。リアはゼインからようやく離れると、目と鼻を真っ赤にしたまま頷いた。
「私ではありません……王都の皆さんが、ゼイン様を釈放するよう訴えてくださったんです。聞こえませんか? ゼイン様。彼らの声が、ほら」
ゼインはゆっくりと階段の踊り場から扉を開けて外へ出た。彼の耳に、人々の怒号のような声がなだれこんできた。外に出るとその声が何を言っているのか、はっきりと聞こえてきた。
「ゼインを救え!」
「ゼインを救え!」
「……まさか、あの声は俺を助けようと?」
ゼインは信じられない、と首を振る。リアもゼインの後を追って外に出ると、涙を浮かべながら微笑んだ。
「ええ。ゼイン様を助ける為に、皆さんが頑張ってくださっているんです」
ゼインはリアに振り返った。喜んでいるかと思いきや、彼は困ったような顔をしている。
「……彼らと話をしてくる」
そうリアに告げ、ゼインは正門へと歩き出した。リアとネイサンは慌ててゼインの後を追った。
♢♢♢
正門前の騒ぎは全く収まる様子がない。前の方では騎士との小競り合いが始まっていた。槍を向ける兵士に石を投げた者がいて、カッとなった騎士が槍を突き出した。
「何だよ! やる気か、この野郎!」
「かかってこいよ、腰抜け!」
騎士を挑発する男たちと、今にも攻撃しようとする騎士団。もはや一刻の猶予もないその時、突然正門前で整列していた騎士団が、真ん中から二つに割れた。
そこに現れたのは英雄ゼイン、聖女リア、騎士ネイサンの三人だった。
「英雄ゼインだ!」
「釈放されたんだ!」
わっと歓声が広がる。興奮状態の人々に向かって、ゼインは声を張り上げた。
「みんな、すまない」
彼の一声でその場が静まり返る。ゼインが何を言うのか、その場にいた全員が固唾を飲んで見守っている。
「俺を救う為に動いてくれたこと、感謝する。だが……一言だけ言っておきたい。俺は、英雄じゃない」
人々は怪訝な顔でゼインを見る。ゼインは息を吐き、再び彼らに訴えた。
「確かに俺は魔族の王ウィラードを倒した。長年俺たちを苦しめ続けてきた王だ。だが俺は国の為に立ち上がったわけじゃない。家族を殺された復讐の為に、俺は傭兵団に入った。それだけだった」
リアはゼインが語る背中を見ていた。少し痩せただろうか? 髭も伸び、髪の毛もボサボサで酷い有様だ。だが、民衆を前に語るゼインはとても凛々しく、美しいとすらリアは思った。
「俺に期待している人がいるのは知っている。だが俺は、みんなの王にはならない。俺の居場所は英雄の村だ。妻のリアと仲間たちと、これからもそこで生きていくと決めている」
リアの視界が涙で滲んだ。ゼインは「すまない」と最後に一言残し、振り返った。
「リア、村に帰ろう」
「……はい!」
リアは涙声で頷いた。集まった民衆は、ゼインの言葉にようやく冷静さを取り戻した。
こうしてゼインは無事に釈放され、王宮で起こった暴動は怪我人が出ることもなく、無事に終わった。




