第64話 訴え
リアは王の広場に入った。ネイサンに付き添われ、お立ち台の階段を一段一段ゆっくりと上がる。
顔を上げた彼女の目に入ったのは、広場を埋め尽くす多くの人、人、人。彼らの視線が全てリアに集まっている。これほど多くの人々の前で演説をするのは、もちろん初めてだ。
リアは一旦目を閉じ、深呼吸をした。彼らに話を聞いてもらえるか分からない。つまらない話だとヤジを受けるかもしれない。それでもリアは話をしなければならない。それは全て、ゼインを救う為だ。
「皆さん。お集まりいただき感謝いたします」
静かに、しっかりと通る声でリアは彼らに語りかけた。ざわざわしていた彼らが一斉に静まり返り、リアの話を固唾を飲んで見守る。
「まず最初にお伝えしたいのは、死のワイン事件のことです。我が『癒しの手教会』は王都を襲う呪いを……克服しました。皆さんはもう安全です」
群衆からわっと歓声が上がる。ようやく酒が飲める、酒場を開けると人々は喜び合った。人々のざわめきがようやく収まった頃、リアはいよいよ本題を切り出した。
「皆様にはお詫びをしなくてはなりません。実は、皆様に今日集まっていただいた本当の理由は、死のワイン事件のことではありません」
人々から「何だ……?」と再びざわめきが起こる。
「今日集まっていただいたのは、皆様に知って欲しいことがあったからです。私の夫である英雄ゼインが今、王宮の地下牢に囚われています」
英雄ゼインの名を聞いた彼らから「何だって⁉」「囚われたってどういうことだ」と声が上がった。
「ゼイン様はマティアス殿下が剣を抜いたので戦い、殿下は怪我をしました。マティアス殿下もそれを認めておられます。ですがロベルト王太子殿下は『王家の者を傷つけた』として、ゼイン様を捕らえました。このままではいつ釈放されるか分かりません」
「ロベルト王太子が、英雄ゼインを捕まえただと……?」
「何でそんなことを!」
「酷いわ! 国を救った英雄を捕まえるなんて!」
「ロベルトは英雄に嫉妬しているのさ! 王の座を奪われると思ってるんだよ!」
ヤジのような声が飛び、それに同調する人々のざわめきはどんどん大きくなった。
「皆様! 私の力だけではゼイン様を釈放させることができません。ロベルト殿下は皆様の意見なら聞いてくれるはずです。どうか私を助けてください。ゼイン様を救いたいのです」
リアは精一杯の力を振り絞って叫び、人々に向かって頭を深々と下げた。
「英雄ゼインを釈放させよう!」
「今から王宮へ行こうぜ!」
誰かが叫んだ言葉に他の者が続き、やがてその波は広場全体へと広がっていく。
「ゼインを救え!」
「ゼインを救え!」
人々は片手を上げ、同じ言葉を繰り返す。死のワイン事件で溜まった鬱憤、そもそも長引いた魔族との戦で疲弊していた感情、彼らのあいだにじわじわと広まっていた不満が、一気に爆発した瞬間だった。
もはや彼らはリアを見ていない。一気に人の波が動き、片手を上げて叫びながらの行進が始まる。
「まさか……このまま王宮へ?」
リアは人々が向かう先に気づくと青ざめた。広場を出て真っすぐ進めばそこは王宮である。巨大な正門は普段閉じられているので、彼らが向かったとしても王宮の中には入れないはずだ。それでも彼らは王宮を目指している。
リアはただ彼らに、ゼインを助けて欲しいと訴えたかっただけだった。その気持ちはちゃんと届いたが、リアの想像以上に彼らは怒ってしまった。すっかり興奮状態になっていて、広場を守る騎士の「止まれ!」「広場に戻れ!」と叫ぶ言葉も聞こうとしない。怒りに任せて進む彼らに、騎士団は手を出せなかった。いや、出さなかったというのが正しい。騎士団は武器を構えることなく、行進を止めなかったのだ。それは彼らの意思によるものだった。広場にいた若い騎士らは全員、レーイン村でゼインと寝食を共にした者たちである。彼らはみな、ゼインが早く釈放されることを望んでいた。怒っているのは彼らも同じだ。
ネイサンは壇上に上がり、リアを守るように立った。
「彼らはこのまま王宮へ向かうでしょう。リア様、危険ですから私から離れないでください。我々も王宮へ行きましょう」
「わ……分かりました」
リアは混乱しながら頷いた。この先どうなるか分からないが、今はネイサンの言うとおりにするしかない。
♢♢♢
その頃、王宮の地下牢では、食事を持ってきたロベルトの側近と見張りの騎士がひと悶着起こしていた。
「何故英雄ゼインだけ食事が違うのだ」
「彼は国を救った英雄ですから、ロベルト殿下がもっとましなものを食べさせるようにと」
トレイに乗っているのは、赤ワインで煮込んだ鹿肉のシチューが入った皿である。トレイを持つ側近の手はかすかに震えていて、シチューがわずかに揺れているのを見張りの騎士は見逃さなかった。
「俺が毒見をする」
「……! いや、毒見は必要ない。さっき私がした、問題ない」
「念の為だ。英雄ゼインは国を救った英雄。万が一のことがあってはまずいからな」
見張りの騎士は疑り深い目で側近を見ている。
「殿下を疑うというのか? いいから早く通せ。ロベルト殿下のご命令なのだぞ」
命令と言われると、騎士はそれ以上逆らえなかった。しぶしぶ地下牢に入る扉を開け、側近を中に通した。地下牢の中にいる別の騎士が側近に付き添う。
側近はゆっくりとゼインの元へ向かった。シチューは赤黒い、禍々しい色をしていた。もっともまともなシチューも、時間をかけて煮込めばこのような色になる。見ただけではこのシチューが呪われていることに気づけない。
「食事の時間だ」
ゼインの牢の前で、側近は声をかけた。騎士が扉の鍵を開けようとしたその時だった。
「おい、大変だ! 外で暴動が起きているぞ!」
別の騎士が地下牢に飛び込んで叫んだ。騎士は「何⁉」と鍵を持った手を引っ込め、急いで廊下を戻っていく。
「暴動……?」
残された側近はトレイを持ったまま呟いた。呪いのシチューに目を落とした側近は首を振り、そのまま騎士の後を追って地下牢を出た。




