第62話 後悔
ゼインはひんやりと冷たい石の床の上に腰を下ろしていた。
ここは王宮の地下にある牢屋である。かろうじて横になることができる空間に、ペラペラの毛布一枚と、壁掛けの松明と、片隅に置かれたトイレ代わりの桶。外からの光は入らず、目の前には固く閉ざされた木の扉。扉には覗き穴があり、わずかだが外を見ることはできる。だがそこから見えるのは、ゼインが囚われている部屋と同じような木の扉が並ぶ廊下だけだ。
壁にもたれかかり、天井を見上げながらゼインはため息をついた。こんなことになったのは完全に彼の誤算だった。バークス王は隣国に出かけていて不在で、代わりにロベルト王太子と会うことになっていたのだが、ゼインは特に不安を感じていなかった。ロベルトとは戦場で何度も顔を合わせており、彼が誠実な騎士であることを知っていたからだ。
ゼインは国を救った英雄だが、生まれは田舎の小さな村の平凡な男であり、王家の事情などには疎かった。王都で自分が次の王に相応しいと噂されていることは知っていたが、ただの噂を王宮が気にするなど思いもしなかった。その為、ロベルト王太子が自分に対して嫉妬していることに全く気づいていなかった。
――それは前日のこと。リアを見送った後ゼインは王宮に向かった。その後マティアスと別れ、一人で面会を許されるのをひたすら待っていた。しばらくするとようやく部屋に呼ばれ、中に入ってさらにそこで待つ。
「ゼイン殿。剣をお預かりします」
入り口に立っていた騎士に剣を渡すよう言われ、ゼインは特に疑問を感じることもなく剣を渡した。部屋は広く、巨大なテーブルが中央に置かれている。近くの椅子に腰かけて待っていると、話し声と共にマティアスとロベルトが現れたので、ゼインは立ち上がった。二人に続いて護衛アードンと騎士ネイサンという懐かしい顔が続く。その他にも数名の騎士が入ってきて、ゼインを見張るようにずらりと並んだ。
(騎士の数が多い)
ここでゼインは警戒心を高めるが、マティアスとロベルトはリラックスした様子だった。
「城下町の屋台で買ったミートパイを食べただって? お前は屋台の食べ物なんて何が入ってるか分からないと言って、今まで決して食べようとしなかったじゃないか」
「兄さん、俺は王都を出てから色々なことを学んだのさ。例えば街で売られている屋台のミートパイは想像よりも美味しいとかね」
二人は楽しそうに世間話をしていた。話が終わるとようやくロベルトはゼインに「待たせたね」と声をかけた。無理やり口を大きく広げたようなわざとらしい笑顔に、ゼインの警戒心がさらに高まる。
「……お久しぶりです、ロベルト殿下」
その場に跪き挨拶をしたゼインの前にロベルトは立ち、笑顔のままゼインを見下ろした。
「先の戦以来だな。あの時は世話になった」
「殿下のお力になれて幸いです」
「堅苦しい挨拶はやめにしようじゃないか、英雄ゼイン。立ちたまえ」
すっと立ち上がったゼインより、ロベルトの背丈の方が少しだけ低い。体つきもゼインの方ががっしりしているが、ロベルトも一流の剣士である。二人のあいだにピリッと張り詰めた空気が広がった。
「元気そうで何よりだ。聖女リアはどうしている?」
「一緒に王都に。今は『死のワイン』で広がった呪いを解く為、教会にいます」
「死のワインか……全く困ったことになったよ。どこから広がったのか今調査中だが、とりあえず街にあるワインは全て回収させている。これ以上呪いが広がることはないはずだ……。ゼイン、死のワインが北部から持ち込まれたという噂は、知っているか?」
「……ええ。噂だけですが」
ゼインが答えると、ロベルトは「知っていたか」と頷き、窓辺まで歩いて窓の外を眺めた。
「アイアングレイ家が王都を混乱に陥れようとした、そう我々は睨んでいる。魔族との戦が終わった隙を狙ったのだろう。鉄の一族は昔から小賢しく、私たちを苛立たせるのが上手い」
ゼインは黙っていた。彼は一介の戦士であり、国のことに口を出すべきではないと思っている。アイアングレイ家のマーカスとケイトリンはいい人だとリアが言っていたのを、ゼインは思い出す。ゼインはアイアングレイ家の人間が好きではないが、彼らから悪意は感じないのも確かだ。彼らを疑う気にはなれないが、かといって庇うほどの恩もない。
ロベルトは振り返り、再びゼインの前までやってきた。
「さて、本題に入ろう。マティアスの怪我は重い。弟に怪我をさせたのは、ゼイン殿で間違いないか?」
「……確かに、俺がやりました」
「何故このような怪我を負わせた? 下手をしたら死んでいたぞ」
ロベルトの声が非難するようにきつくなる。椅子に座ったままこちらを見ているマティアスは、片腕を包帯で吊るし、痛々しい姿だ。顔の腫れもまだ残っていて、目の周りが黒ずんでいる。
「そちらの弟君から俺の妻を守る為です。マティアス殿下は俺に剣を抜きましたので、戦わなければ俺がやられていました」
ゼインはマティアスを睨みながら言った。マティアスは気まずそうな顔で俯く。
「マティアス。彼の話は本当か?」
マティアスは黙っていた。ゼインはじっとマティアスを睨み続ける。彼の視線を感じたのか、ようやくマティアスは顔を上げた。
「……本当だよ。俺が先に剣を抜いた」
「間違いないのか、マティアス?」
「間違いないよ。この怪我は俺の自業自得で、ゼインは悪くない。もういいだろう? この話は終わりだ」
ゼインは安堵のため息を漏らした。ひょっとするとマティアスは、この場で否定するかもしれないと心配していたのだ。だがマティアスは正直に話したので、これでお咎めなしだろう。
だが話は思わぬ方向に進んだ。
「……確かに、マティアスが先に剣を抜いたようだ。とは言え、ここまでの怪我をさせる必要はなかったと思うが?」
「何?」
ゼインの眉間に深い皺が刻まれる。
「ゼインほどの戦士なら、マティアスの剣など怖くはないはず。それなのにお前は弟を執拗に攻撃し、腕とあばらを折ったわけだ。マティアスが死んでもいいと思っていたから、そうしたのだろう? 弟は父上から王位継承権をはく奪され、王都から追放されたが、彼がバークス王の第二王子であることには変わりない。お前のしたことは、我がコーザー家に対する攻撃とみなす」
「何を言っている?」
ゼインは言い返したが、ロベルトは不敵な笑みを浮かべたままゼインの顔をじっと見ていた。そこへ焦ったマティアスが声を上げた。
「待ってくれよ、兄さん! ゼインを捕らえるっていうのか?」
「黙っていろ、マティアス。これは仕方のないことなんだ。事情はどうあれ、王家の人間への攻撃を黙って見過ごせば、コーザー家が舐められる。ゼインには牢に入ってもらうしかない」
「ち……父上がこれを知ったら」
「父上だってこの場にいたら、同じ対応を取るはずだ」
「どうしたんだよ、兄さん。いつもならこんな……」
「うるさい、俺に逆らうな!」
マティアスはロベルトに怒鳴られ、ショックを受けた顔をした。いつも穏やかで冷静な兄が眉を吊り上げ、怒りに任せて弟を怒鳴る姿を、他の騎士らも驚いた目で見ていた。ロベルトの護衛アードンと騎士ネイサンは、明らかに動揺している。
二人が言い合いをしているあいだ、ゼインは拳を強く握りしめて怒りを抑えた。
「ゼインを地下牢へ連れていけ。話はこれで終わりだ」
「兄さん! 駄目だ!」
椅子から立ち上がり、痛みに耐えながらマティアスは叫んだ。騎士たちは一斉にゼインを取り囲み、彼の腕を掴んだ。
「クソッ、離せ!」
「ご辛抱を、ゼイン殿。我々も手荒な真似はしたくありません」
武器はない。一人二人ならなんとかできるかもしれないが、数が多すぎる。ゼインは迷ったが、諦めたように抵抗をやめた。
無抵抗になったゼインは、騎士たちに引きずられるように部屋を出ていった。
――そして、ゼインは地下牢に閉じ込められたというわけである。食事は一日に二回、ほぼ水のような大麦粥が出るだけ。外の様子も分からず、いつ出られるのか全く見当もつかない。そんな状態が既に数日続いていた。
ゼインが捕らえられた翌日、こっそり様子を見に来たネイサンにゼインは「教会にいるリアに知らせてくれ」と頼んだ。ネイサンは「分かりました」と小さな声で答え、急いで地下牢を出ていった。
ネイサンはゼインが捕まってからすぐ、隣国にいるバークス王に急いで『使い鳥』を飛ばしていた。どうしてもゼインを捕らえたことに納得がいかなかったネイサンの独断だったが、他の騎士らもネイサンと考えは同じだった。そのおかげでネイサンの動きがロベルトに知られることはなかった。
(……このまま待つのは牢屋での死か、それとも処刑か)
ゼインは死など怖くなかった。家族を殺された復讐に立ち上がった時、彼は覚悟を決めていた。魔族の王を倒したら、自分も家族の後を追って死ぬと。このまま生き続けることに希望を見出せなかった。彼は早く家族の元へ行きたかったのだ。
それなのに、彼に新しい希望が生まれた。それが聖女リアの存在だった。
マティアスに虐げられていたリアを救いたいと思ったのは、彼女が死を恐れずに戦っていた姿を美しいと感じたからだ。その姿が自分と重なった。
魔族の王ウィラードを倒し、王からなんでも褒美をもらえると聞いた時、真っ先に思いだしたのがリアだった。彼女なら村の呪いを解いてくれるだろう。ゼインにとってリアは新たな希望そのものだった。
ゼインは死など怖くないはずだった。もう家族は持たないと決めていたはずだった。誰かを突然失う悲しみを、二度と味わいたくなかった。
狭い牢屋の中、彼の脳裏に浮かぶのは、リアの顔ばかりだ。彼女に偽装結婚を持ちかけたのは、ただ単純に彼女のそばにいたかったから、それだけだった。
ゼインは頭をかきむしった。ようやく彼は自分の感情に向き合った。心に蓋をしていたその感情が一気に溢れ出て、ゼインはリアに対する気持ちの大きさに耐えられなくなった。
「……指輪、贈るんだった」
自分の左手を見ながら、ゼインはぽつりと呟いた。二人は偽装結婚だったので、夫婦の証である指輪を作っていなかった。
ひょっとするともう二度とリアには会えないかもしれない。なぜ指輪を贈らなかったのかと、ゼインは薄暗い地下牢の中で後悔した。




