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国を救った英雄は「褒美に聖女が欲しい」と言った  作者: 弥生紗和
第2章

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第54話 芽生えた責任感

 それから二か月が経った。

 王家から追放されたマティアスと聖女ルイーゼが、その後どう過ごしていたのか。


 二人は王都を出て小さな町に移り住んでいた。ルイーゼの両親は表向きでは彼女を勘当したことにしていたが、実際には娘を支援していた。家と使用人を与え、ルイーゼはそこで静かに暮らしていた。体調にも問題はなく、子供も順調に育っていた。

 そしてあっという間に時は経ち、季節は夏へと変わろうとしていた。ルイーゼのお腹はいよいよ大きくなり、いつ生まれてもおかしくない状態になっていた。


 仮に生まれた子供が両親に似た青い瞳だったなら、その子供は間違いなく王家の血を引く高貴な子供となる。バークス王がマティアスを許し、王都に戻る道も出てくるだろう。ルイーゼは第二王子の妻であり、王子の子を産んだ母として、堂々と王都に戻ることができる。

 マティアスとルイーゼは二人とも楽観視していた。子供が生まれたら王都に戻れる、もうすぐ王都に帰れる――二人とも現実から目を逸らし続けていた。二人の生活を支援していた彼女の両親もそうなるように願っていたが、現実は厳しかった。


 ある日ルイーゼは産気づき、夜の闇が深まった頃、一人の赤ん坊が産声を上げた。

 生まれた子供は、鮮やかな血の色をした瞳を持つ男の子だった。


 ルイーゼは生まれたばかりの赤子を見て半狂乱になった。何かの間違いではないかと何度も我が子の瞳を見るが、間違いなくその赤い瞳は魔族である証だった。


 マティアスも赤子を一目見ると絶望の表情になった。ルイーゼの身体をいたわる素振りも見せず、一人で別の部屋に籠ってしまった。


「……始末するしかない」

 

 弱々しい蝋燭が照らす部屋の中で、マティアスは静かに呟いた。生まれた魔族の子は、マティアスの人生を壊す存在に違いなかった。


(あの子供は死産したことにしよう。ルイーゼとも別れたと言って、父上に頭を下げればいい。なんだかんだ言って、父上だって俺が王家から離れたら困るはずだ)


 マティアスにとって、王都を追い出されて使用人が住むような『小さな家』でルイーゼと暮らすのは窮屈で仕方がなかった。仲の良かった友人たちに手紙を送っても、返事は一通も返ってこない。ルイーゼは初めての妊娠でいつもイライラしていて、すぐにマティアスに苛立ちをぶつけた。いつも美しくて自慢の恋人だったルイーゼが日々醜くなっていくように見え、マティアスは次第に彼女に関心を失っていった。


(今ごろリアはどうしているだろう? 初めて見た時は地味な女だと思っていたが、久しぶりに王宮で見たリアは美しかったな。英雄ゼインなどに渡してしまうなんて、惜しいことをした。あのままリアと婚約していれば今ごろ俺は、国で一番の聖女を夫に持つ第二王子だった。兄さんの妻よりも格上の聖女だぞ)


 マティアスはリアのことを思い出し、いてもたってもいられずに筆を取った。自分の判断を後悔している、リアに心からの謝罪をしたい、だから一度会ってくれないか――マティアスは心を込めてリアに手紙を書いた。


 リアと英雄ゼインが結婚したという噂は国中へ広まり、マティアスとルイーゼが暮らす町にも届いていた。もちろんマティアスもその噂は知っていたが、彼がそんなことを気にする性格ではない。


 手紙を使用人に預けたあと、マティアスはようやくルイーゼの部屋に戻った。呆然とベッドに横たわっていたルイーゼは、マティアスの姿を見ると目を吊り上げた。


「どこへ行っていたの? 私がこんなに辛い目に遭っているというのに!」

「すまない、ルイーゼ。ちょっと用があって」

「これからどうするつもりなの? 私はこれからどうしたらいいの? ねえマティアス!」

「落ち着いて」


 マティアスはルイーゼのベッドに腰かけると、ルイーゼの手を握った。


「父上には『死産だった』と伝えよう」

「それって……」


 ルイーゼの手が震えるのを感じたマティアスは、更に彼女の手を強く握った。


「俺たちが王都に戻る為にはそれしかない。この子は産まれてはいけなかったんだ。俺は父上に頭でもなんでも下げ、王都に戻ることを許してもらうつもりだ」

「で……でも……」

「何を迷うんだ? まさか魔族の子を育てる気じゃないだろうな?」

「いえ、そういうつもりはないわ。でも、この子を殺す……ってこと……?」

 

 マティアスの唇は綺麗な弧を描き、彼の指がルイーゼの唇に当てられる。蝋燭に照らされたマティアスの顔は、彼の非情な笑顔をくっきりと浮かび上がらせ、それを見たルイーゼの表情が不安に覆われた。


「君は何も心配しなくていい。子供の始末は俺が手配する」

 

 ルイーゼは何度も瞬きをし、何を言おうかと悩んでいる顔だ。命がけで産んだ子供を殺すと判断した夫の顔を、ルイーゼはじっと見つめる。

 マティアスの言うとおりにすれば、自分の人生は全て上手くいく。ルイーゼは今までそう信じて行動してきた。


 だからルイーゼは彼の婚約者だったリアを嫌った。リアはルイーゼの人生に立ちふさがる壁で、排除しなければ幸せになれない。仲間の聖女たちからリアを遠ざけるように仕向けた。マティアスと真に愛し合っているのは自分で、それを引き裂いたのがリアだと周囲に訴えた。マティアスと恋仲になっているのは教会でも知らない者がいない有名な話だったので、他の聖女たちはルイーゼに同情し、ルイーゼの味方をした。

 

 田舎町からやってきた聖女が、突然第二王子の婚約者となったことをよく思わない聖女は多くいた。王都で暮らす聖女たちはほぼ全員が由緒ある家庭出身だったので、平凡な生まれのリアは妬みの対象だったのだ。


 しかしリアの能力の高さはすぐに評判となった。教会幹部も聖女リアは教会の誇りだと胸を張る。リアばかりが評価されることに、ルイーゼは苛立っていた。

 英雄ゼインがリアを褒美に欲しいと言ったときは、これでマティアスの妻の座は自分になると喜んだ。戦場で暴れ者と恐れられていたゼインにリアがどんな扱いをされるか想像し、ルイーゼは腹の中でほくそ笑んだ。

 

 しかし英雄ゼインはただの暴れ者ではなく、真の英雄だった。

 レーイン村の件で久しぶりに会ったリアは以前の自信なさげな態度が消え、美しさが増しているようにルイーゼには思えた。ゼインがリアを大切に扱っているのは一目瞭然で、マティアスがリアを村に留めようとした時にはゼインは激怒し、リアの為に命を懸けて戦ったのだ。

 

 そして今、リアとゼインは夫婦になっているという。国を救った英雄と国で一番の聖女の結婚を、人々が祝福している。

 一方でルイーゼとマティアスの結婚は公にされなかった。マティアスが王家から追放されたという話も隠されていたが、噂というのはひび割れた器から漏れ出る水のように、いずれ周囲に広がるものだ。マティアスとルイーゼのあいだに子供ができたことも、王都から離れた街で暮らしていることも、知られるのは時間の問題だった。

 

 二人は身を隠すように暮らしていて、人々からの祝福を得られない生活だった。これもルイーゼにとっては耐えがたい苦痛だった。本来なら王宮で華やかな結婚式が行われ、ルイーゼは人々に祝われて、マティアスと幸せな結婚をするはずだったのだ。それなのに今の彼女は、魔族の子が生まれるかもしれないという恐怖に怯えて暮らす生活だった。


 そしてその恐怖は今、現実のものとなってしまったのだ。


(マティアスに任せておけば大丈夫……大丈夫……)


 マティアスはルイーゼに「子供を始末しよう」と言った。愛し合う二人のあいだに生まれた可愛い我が子は、二人の未来をどん底に叩き落とす存在なのは間違いない。ルイーゼは横に置かれたベビーベッドで眠る赤子の恐ろしい瞳を思い出す。自分には魔族の子は育てられない、だからマティアスの言うとおりにするしかない――ルイーゼはそう自分に言い聞かせていた。


 ルイーゼはそっと赤子の顔を覗き込んだ。すやすやと眠る子の顔を見たルイーゼは、思わず赤子のあまりにも小さく頼りない手を握った。


「あったかい……」


 ぽつりと呟くルイーゼの目には、涙が浮かんでいた。


 ♢♢♢


 それから数日が経った。その日は雨の夜だった。

 マティアスはルイーゼと赤子が眠る寝室に入った。まだ名前のないその子供を、マティアスは抱き上げて連れていこうとした。


「ちょっと待って! 連れていくのはやめて! 今すぐにベッドに戻してよ!」

 

 ルイーゼはマティアスが乱暴に赤子を抱き上げるのを見て、突然叫んだ。


「ルイーゼ、今さら何を言うんだ? 君も納得したはずだろ?」

「いいえ、や……やっぱり駄目よ!」


 ルイーゼはマティアスから赤子を奪い取ると、自分の胸でしっかりと抱いた。マティアスは呆れたように大きなため息をつく。


「ルイーゼ、頼むよ」

「分かってるわ、この子を生かしておいたら、私とあなたは二度と王都に戻れないって。でも見てよマティアス。この子は息をしていて、この子の人生はもう始まっているのよ? 私たちにこの子の人生を終わらせることはできない……!」

「気持ちは分かるけどルイーゼ、これは俺たちの為でもあるんだよ。俺たちの子が欲しいなら、また作ればいいじゃないか。今度の子は呪いのない、祝福された子になるよ」


 それは決して言ってはいけない一言だった。ルイーゼの表情がすうっと真顔に戻る。

 

「……もういいわ。あなたは一人で王都に帰って」

「ルイーゼ? 急にどうしたんだよ」

「明日の朝には出ていって。ここは私の父が手配してくれた家なの。あなたの家じゃないわ」


 ルイーゼの低い声は、マティアスが今まで一度も聞いたことがないものだった。彼女の言葉がただの癇癪ではないことに、マティアスはようやく気づいた。


「……分かったよ。俺だってこんな生活はもううんざりだ!」


 マティアスはルイーゼにそう吐き捨て、部屋を出て荒々しく扉を閉めた。

 

 ルイーゼは赤い目をした我が子を強く抱きしめた。それは彼女に初めて芽生えた、責任感と覚悟であった。

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