第52話 王太子の憂鬱
王都では近頃、英雄ゼインの人気が以前にも増して高まっている。商店が並ぶ通りには、英雄ゼインの顔が描かれたタペストリーや、ゼインの名が刻まれたブローチなど、様々な土産物が売られている。もちろん、ゼインはこの土産物に少しも関わっていない。商人たちが勝手に作って売っているのだ。
ゼインと共に人気なのが、聖女リアだった。ゼインと共に滅びた村を再生させた功績は、ここ王都でも広まっていた。王都の人々は二人が夫婦になったことを祝い、二人の顔が描かれた趣味の悪い絵皿を勝手に売っていた。ちなみに絵皿に描かれた二人の顔は、本物とまるで似ていない。ゼインは髭もじゃで実年齢よりだいぶ上に見えるし、リアは栗色の艶やかな長い髪だけは合っているものの、その顔はまるで幼い少女のようにあどけない。
魔族の王を倒し、国の英雄になった男が人々から支持されるのは当然のことだ。その人気は日が経つにつれて過熱していた。その理由の一つに、王家に対する不満がある。
アクリア王国は長年魔族との戦いが続いていて、人々は疲弊し不満を抱えていた。家畜は呪われ、食べ物は汚染され、多くの人が飢えで亡くなった事実もある。人々は貧しくなる一方で、王都で暮らす貴族や大商人などは豊かな暮らしを続けていた。バークス王は倹約を掲げ、人々の気持ちに寄り添っていたのだが、実情は別だった。
長く辛い戦いに疲弊していた人々を救ったのが、英雄ゼインだったのだ。ゼインは国を救ったあと故郷の村に帰り、呪われた村を人々が集う美しい村に変えた。贅沢に溺れたり、権力を手に入れようとしなかった。彼の欲のない行動は「まさに国の英雄として相応しい」と人々の心をすっかり掴んだ。
第一王子であり王太子であるロベルトは、バークス王の息子として幼い頃から王国民に愛されてきた。魔族との戦でも率先して騎士を率い、危険な前線にも自ら出向いた。彼の誠実な人柄は騎士たちからの信頼も厚い。顔立ちは第二王子マティアスと似ていて、輝くような金髪と青空のような美しい瞳を持ち、顔立ちも整っている。すらりとした体格は一見すると頼りなさそうな優男に見えるが、剣の腕も良く度胸もあった。騎士団で行われる剣の試合では負け知らず。馬を乗りこなすのも上手く、彼はいわゆる『完璧な騎士』だった。
ロベルト王太子は期待される『次期国王』でもある。年齢は三十二歳で、美しい聖女の妻と子がいる。誰もが今後の王家は安泰だと信じていた。やんちゃでわがままな第二王子とは違い、彼は真面目で王国の為に働く男だ。ロベルト自身も自分は未来の王であるという自覚の元に生きてきた。
そんなロベルトの立場を危うくさせる男が、英雄ゼインであった。
ロベルトは王都の人々とよく交流する。時には商人たちを招き、王都の現状や商売の不満について話を聞く。今日もロベルトは王宮に商人を招き、テーブルを囲んでいた。
テーブルの上には焼き菓子と紅茶が並ぶ。ロベルトは彼らから熱心に話を聞いていた。近頃王都で起きた『死のワイン』事件の噂が密かに広まっている。ロベルトもそのことを気にしていて、彼らから情報を集めていた。
「やはり、ワインは北部から持ち込まれたものなのか?」
「ええ、ロベルト殿下。ワインを持ち込んだと思われる行商人は、主に北部のワイン農家と取引しているのです。ほぼ間違いないかと」
「そのワインは他のところには出回っていないだろうね?」
「ご心配には及びません、殿下。王宮に持ち込まれるワインにも、北部産のものはありません」
「それならいいが……」
心配はないと言われても、ロベルトの表情は冴えない。ワインに呪いが仕込まれているとなれば、王都の安全が脅かされる。ただでさえ今は英雄ゼインの人気が高まり、相対的に王家の評判が下がっている。第二王子の妊娠スキャンダルと王家追放事件も、王家の評判を下げるきっかけの一つとなっていた。
王都で人気の劇団が、英雄ゼインの華々しい活躍を劇にしたところ、連日客が押しかけ大人気となっている。一方で吟遊詩人は、マティアスと聖女ルイーゼの妊娠スキャンダルを面白おかしく歌にして、城下町の人々を楽しませているという状況だ。
「……ところで、近頃は英雄ゼインの名を刻んだ土産物がよく売られているようだね?」
ロベルトが話を変えると、商人たちは「え、ええ。おっしゃるとおりで」と答えにくそうに返した。彼らの話によれば、英雄ゼインの名を入れただけで、どんなものも飛ぶように売れるのだという。英雄ゼインが身につけたマフラー、英雄ゼインが使ったバッグ……もちろん全て嘘なのだが、商人たちはお構いなしにゼインの名をつけて商品を売っていた。
「王国中からやってくる旅人たちは、英雄ゼインの名がつくものが欲しいと口々に申すのです。金になるならと、なんでも英雄ゼインの名をつけるのが流行になっているもので」
「英雄ゼインと同じものを身につけると、悪いものから自分を守ってくれるなどと話す者もいるのです。ただの迷信だとは思うのですが……」
「そうか。確かに英雄ゼインにあやかりたいと人々が思うのは当然だろうね」
商人たちはロベルトが穏やかな笑顔で話を聞くので、ホッとした表情を浮かべた。ロベルトはゼインが王国民の英雄だと知っていても、何も気にしていないように見えた。
面会は終わり、ロベルトは最後までにこやかに彼らを見送った。商人たちが帰ったあと、ロベルトは一人窓から外を眺める。すると先ほどまでの笑顔はすっかり消え、眉間に皺を寄せ険しい顔をしていた。
ロベルトは人々が「英雄ゼインこそ、次の王に相応しい」と噂していることを知っている。
もちろんゼインが次の王になるなどあり得ない。この国は王の血を引く者が次の王になると決まっている。田舎の村で育った猟師である彼が、一国の王になどなれるわけがない。
人々が話すのは勝手な願望に過ぎない。彼らがどんなに望んでも、ゼインが彼らの王になることはない。そう分かっていても、ロベルトの不安が消えることはなかった。
ロベルトの父、バークス王は人々から愛されている王である。英雄ゼインのおかげとは言え、長い戦を終わらせた王であることから、彼が玉座を追われる理由はない。
だがその次の王はどうだろうか。このままいけば、ロベルトはバークス王と同じ誠実な王となるはずだ。だが王都には、魔族の王を倒した英雄ゼインこそが、次の王になるべきだと考える者が徐々に増えている。彼らがただ街の酒場で酒を飲みながら噂話に花を咲かせるだけなら、ロベルトも問題にはしない。
ロベルトが気にしているのは、現王家であるコーザー家と対立する勢力があることだ。今までは魔族との戦があり、国を守るために協力し合っていたが、戦が終われば互いの思惑もまた変わる。
アクリア王国の北部にあるアイアングレイ家は、はるか昔にコーザー家と玉座を争った関係だった。魔族との戦いが大きくなってからは一時的に手を結んでいる状態だが、戦が終わった今、再びアイアングレイ家が玉座を狙おうと動き出すかもしれない状況である。
人々が英雄ゼインを望んでいることを知ったアイアングレイ家が、彼を新たな王として担ごうと接近するかもしれない。彼らが玉座を本当に狙うつもりなら、それくらいはするだろう。
あるいは可能性はとても低いが、ゼインを望む大衆が王家を倒そうと反乱を起こすかもしれない。英雄ゼインの存在は、ロベルトにとって未来に影を落とすかもしれないのだ。
ロベルトが窓の外を見つめるその顔は、ますます険しくなった。




