第50話 元の暮らしへ
ケイトリンが村に戻ってきたのは、姿を消してから丸一日が経った頃だった。
リアは早朝から村の広場に向かい、誰かが戻ってくるのをそわそわしながら待っていた。そこへようやく現れたのはケイトリンだけでなかった。ゼインと数名の村人が一緒である。
ゼインは馬の横に立っていて、馬の上には横向きでケイトリンが乗っている。背筋はピンと伸びていて、しっかりと手綱を握る姿は怪我もなく元気そうだ。
「ケイトリン様! ご無事で何よりでした」
「……ごめんなさい。皆さんには迷惑をかけました」
リアが声をかけると、ケイトリンが気まずそうに笑みを返した。ゼインの手を借りて馬から降りたケイトリンの靴は、泥で酷く汚れていた。気丈に振る舞ってはいるものの、その表情にはさすがに疲れが見える。
「ゼイン様。どこでケイトリン様を見つけたんですか?」
「街道沿いを一人で歩いていた。一晩森の洞窟で休んで、村に戻ろうとしていたらしい」
「洞窟で休んで……?」
ゼインの説明にリアは眉をひそめる。若い女性が夜の森で一晩過ごし、無事で帰ってきたという事実はどうにも信じがたい。だが当のケイトリンは涼しい顔だ。
「森に迷い込んでしまったところを、親切な少年に助けていただいたんです」
「少年? 森の中に少年がいたんですか?」
「ええ。彼に洞窟へ案内していただいたの。一晩中焚き火で明るく安全に過ごせました」
ケイトリンの説明を聞いてますます困惑するリアに、ゼインは眉間に皺を寄せ、顔を寄せてささやいた。
「どうやら、このお嬢様は『ウルティオ』に会ったらしい」
「えっ?」
まさかと思いながらゼインの顔を見る。ゼインは険しい顔のままゆっくりと頷いた。魔族の子ウルティオが、自分の顔を見る為に英雄の村近くまで来ていると、そう魔法使いフォリーは思い込んでいる。ウルティオはフォリーが育てていたことがあるとはいえ、彼が魔族の王ウィラードの実子である事実は変わらない。ウィラードを倒した張本人であるゼインは、ウルティオにとっては敵となる。ゼインもリアも、これ以上フォリーがウルティオに関わるべきではないと考えているのは同じだ。
「……やはり、村に痕跡を残していたのはウルティオだったんでしょうか」
「恐らくな。ウルティオはこの辺りに拠点を作り、たまに来てはうろついているようだ。ただフォリーの様子を見ているだけなのか、あるいは他に狙いがあるのか」
「このことは、フォリー様に伝えるべきでしょうか?」
「いや、言うな。あの二人はもう会うべきじゃない」
ゼインは険しい顔で首を振り、リアも「そうですね……」と頷く。二人が暗い表情でこそこそ話をしている一方で、ケイトリンはあっという間に集まってきた村人たちに囲まれ、彼らから質問攻めにあっている。ケイトリンはにこやかに村人たちに応じているが、その瞳は誰かを探すようにせわしなく動いていた。
そこへようやく、父のマーカスがやってきた。走り慣れていないのか、今にも前につんのめりそうな走り方だ。ケイトリンの前にようやく到着した時には、ぜえぜえと息を切らせていた。
「ケイト、よく無事で戻った!」
マーカスは今にも倒れこみそうな勢いで娘を強く抱きしめた。初めは戸惑っていたケイトリンの瞳には涙があふれ、唇を震わせた。
「……お父様、ごめんなさい」
「いいんだ、何も言うな。私はお前が戻ってきてくれれば、それでいい」
「ありがとう。本当にごめんなさい……」
マーカスも涙ぐみ、ケイトリンの頭を撫でる。二人とも涙を流しながら抱き合い、ただ親子の再会を喜んでいた。
リアは二人の様子を見てホッと胸を撫で下ろした。ケイトリンが戻るまでの一日、マーカスがどんなに心を痛めていたか、リアは宿屋で彼の使用人たちから話を聞いていた。食事もほとんど手をつけず、マーカスの部屋の明かりは、一晩中消えることはなかった。彼の服装も昨日と変わっていない。
「お前がそこまで結婚が嫌だったとは知らなかった。ケイト、リックハードが戻ったらすぐに家に帰るぞ」
「え……?」
ケイトリンは驚き、父親から身体を離した。
「ゼイン殿との結婚はなしだ。どちらにしろ、彼からいい返事はもらえそうもなかった。今は早く家に戻り、ゆっくり休もう。今後のことはそれから考えればいい」
「……お父様、リックはどうなります?」
結婚はなし、と聞いたケイトリンの表情が一瞬明るくなったが、すぐに元に戻った。彼女の瞳はずっと周囲を探っていて、ケイトリンがリックハードを探しているのは明らかだ。
「……リックハードは、私が最も信用している護衛騎士だ。彼の両親もよく知っているし、彼の姉の結婚式も私は盛大に祝ってやった。リックハードの馬は、私の馬の血統だ。冷静に考えてみれば、リックハードは既に我が家の家族同然だったのだ。誤解してほしくないが、私はリックハードのことが好きなのだ。だがお前たちは私の信頼を裏切り、陰でこっそり愛し合っていた」
「お父様、今回のことはリックのせいではないわ。私がリックを選ぶと決めたの。もしも彼を罰するのなら、どうか私にも同じ罰を」
ケイトリンの凛とした声が響き、その場が一瞬静まり返る。ケイトリンは既に覚悟ができているという顔だ。
「……ケイト。私はお前とリックハードの結婚を許してもいいと思っている」
「え? お父様。今の言葉は本当ですか?」
マーカスの言葉が意外だったのか、ケイトリンはポカンとした。
「ああ、本当だ。だがリックハードがお前の夫に相応しい男だと、一族全員を納得させなければならん。帰ってから大変だぞ」
「もちろん分かっています! お父様、ありがとう……」
ケイトリンは涙を浮かべながら神妙な顔で頷くと、再び父親に抱き着いた。マーカスは穏やかな笑顔で娘を抱きしめたが、その瞳は寂しそうに遠くを見つめていた。
♢♢♢
お昼過ぎ、ようやく疲れた表情のリックハードが村に戻ってきた。ケイトリンを見つけられず落ち込んでいる様子のリックハードが、ケイトリンに出迎えられた時の彼の表情といったら、まるで財宝でも見つけたような輝きだった。
出迎えたケイトリンから結婚の許しが出たと言われ、今度はリックハードの顔が青くなった。
「……本当なのか? 俺は夢でも見ているんじゃないだろうか」
「夢ではないわ、リック。早くお父様のところへ一緒に行きましょう。ひょっとしたらお父様は気が変わったと言って、やっぱり結婚はなしだなんて言うかもしれないもの」
「あ、ああ……そうだな」
まだ事態が飲み込めず戸惑うリックハードとケイトリンは、急いで父が待つ宿屋へ向かった。幸い父の心は変わることなく、ケイトリンとリックハードの結婚は許された。
こうしてアイアングレイ家一行はようやく、村を出ていくことになったのである。
♢♢♢
アイアングレイ家の一行が旅支度を済ませ、宿を出るとそこには大勢の村人たちが集まっていた。その中にはリアとゼインもいる。彼らはみな、アイアングレイ家の見送りにやってきたのだ。
「みなさん、見送り感謝します」
晴れやかな顔で挨拶をするケイトリンの顔は、いつにも増して輝いていた。村人たちもみな笑顔だ。
マーカスは笑顔でゼインの前に立った。
「ゼイン殿。この度は迷惑をかけて済まなかった。ケイトリンとの結婚話はなくなったが、私はまだあなたをアイアングレイ家に迎えることを諦めたわけではない。我が家にはあと三人娘がいてね……」
「お父様、もうゼイン様のことは諦めるとおっしゃったでしょ?」
ケイトリンが低い声で父を睨むと、マーカスは「未来のことは分からんだろう?」ととぼけている。
「侯爵殿には悪いが、俺は村を離れる気はないし、俺の妻はリアだけだ」
リアの横に立つゼインは、マーカスにきっぱりと言い切った。リアは少し恥ずかしそうに俯いた。偽装結婚とは言え、こうも堂々と「俺の妻」と言われるとリアの気持ちが落ち着かなくなった。
「ゼイン様、リア様。お二人には色々とお世話になりました。いつか必ず、今回のお礼をさせていただきます」
「そんな、ケイトリン様。お礼なんていいんです」
「いいえ、北部の人間は決して恩を忘れないのです」
慌てて首を振るリアと、困ったような顔のゼインに、ケイトリンはそう言って微笑んだ。
別れの挨拶を終え、アイアングレイ家の一行が、ゆっくりと村を出ていく。村人たちは彼らが見えなくなるまで手を振った。
「やれやれ。これでようやく、村が静かになるな」
「そうですね」
「そういや、フォリーはそろそろ村に戻ってくるころか?」
「だと思いますが……」
「あいつに買い物を頼んであるんだ。無駄遣いしてなきゃいいがな」
「買い物?」
リアが尋ねると、ゼインは「まあ、色々な」と言葉を濁した。王都に旅に出ると言って出かけたフォリーに、ゼインはリアの為に新しい聖女服や、他の服を買ってくるよう頼んでいた。そのことはリアに内緒で、ゼインとフォリーだけが知ることだ。
ゼインはごまかすように大きく伸びをしたあと「さて、狩りに行ってくるか」と呟くのだった。




