第46話 領主の娘
マーカスとケイトリンは、村に来てからなかなか帰ろうとしなかった。
「あの貴族様はいつまでこの村にいるつもりなんだろうな?」
「北部の領主だっていうけど、領地に帰らなくていいのかね……」
村人たちは顔を合わせれば二人の噂話に花を咲かせていた。マーカスは村を歩き回り、村人たちの仕事ぶりを見たり熱心に質問をしたりしていた。特に彼が関心を持ったのは、村にある小さな鍛冶工房だった。マーカスは工房の設備を見ながら、もっと使いやすくなるように職人に助言をしていた。
娘のケイトリンはというと、昼間は宿屋の外にテーブルと椅子を置いて、お茶を飲み優雅に過ごしていた。村人たちは遠巻きにケイトリンを見ている。
「お前らは暇なのか?」
「あ、村長!」
通りかかったゼインが村人たちに声をかけた。ゼインはマーカスから「娘と結婚して欲しい」と言われたが、それをはねつけた。結婚を断られた彼らはすぐに帰ると思われたが、どうも結婚話をまだ諦めていないようである。
ケイトリンはゼインを見かけるたびに追いかけ、無理やり声をかけていた。ゼインは全く相手にしていないが、ケイトリンはめげなかった。
村人たちと別れて村の外へ向かうゼインに気づいたケイトリンは、慌てて椅子から立ち上がり「ゼイン様!」と言いながらゼインを追ってきた。
「ゼイン様、これから狩りですか?」
「……ああ」
ゼインは面倒臭そうに答えた。彼は狩猟道具が入った袋を背負っていた。
「国で一番の戦士であるあなたなら、きっと狩りの腕も国で一番なのでしょうね」
「戦と狩りは違う」
狩猟を戦と一緒にされ、ムッとしたゼインはじろりとケイトリンを睨む。その鋭い視線に怯んだケイトリンだったが、再び気を取り直して話を続ける。
「ゼイン様。何度も申し上げますが、あなたには後ろ盾が必要なのです。国を救った英雄であるあなたを利用しようとする者は多いですが、あなたには強力な後ろ盾がないでしょう? 我が『アイアングレイ家』を味方にするべきです。私と結婚することが、あなたにとって一番いいことなのです」
「何度も言わせるな。俺の妻はリアだ」
再びケイトリンを睨みつけたゼインは「失礼する」と言い残してずんずんと歩いて行ってしまった。ケイトリンはゼインの後ろ姿を見送ったあと、小さくため息をついて踵を返した。
♢♢♢
リアは森の女神像の前にいた。周囲の雑草を取り、女神像の汚れを布でゴシゴシとこする。リアはこうして時々、女神像の手入れをしていた。
女神像の台座を拭いていた時、がさりと物音がしたのでリアは振り返った。そこに立っていたのはケイトリンだった。
「……あ! ケイトリン様」
「こんにちは、リア様」
慌てて頭を下げるリアに、ケイトリンは微笑みながらゆっくりと近づいてきた。リアとケイトリンが二人きりで話すのは初めてである。
「リア様と一度、ゆっくりとお話したかったのです。この『英雄の村』の瘴気を、たった一人で浄化したと聞きました……あなたは国で一番の聖女だと聞いています」
「そんな、大げさです」
ケイトリンに褒められ、リアは恐縮している。
「北部の『癒しの手教会』でも、リア様の名前は有名です。一度北部の教会にも来ていただきたいわ。みんなあなたの話を聞きたがっていますから」
「有難いお話です。ぜひ」
リアはこわばった顔で話に応じていたが、どうやら今のケイトリンからは棘のようなものは感じない。柔和な雰囲気と穏やかな笑顔に、リアは次第に警戒心を解いていった。
和やかな空気の中、ケイトリンは言いにくそうに本題を切り出した。
「……リア様には、お詫びをしなければなりません。ゼイン様のことです」
「はい……」
やはり、ケイトリンの話はゼインとの結婚話についてだった。リアの顔に再び緊張が走る。
「父はどうしても、ゼイン様をアイアングレイ家に引き入れたいと考えているのです。ゼイン様がうんと言うまでは帰らないとまで言っていて……ごめんなさいね、妻であるあなたにこんな話を」
「いえ……」
なんと答えていいか分からず、リアは困ったように首を振った。
「ゼイン様はあなたと別れるつもりはなさそうです。それでも、私はゼイン様を夫にしなければなりません」
「……お父様の命令だから、ですか?」
恐る恐るリアが尋ねると、ケイトリンは困ったように微笑んだ。
「北部が力を持つ為には、国を救った英雄の名声が必要なのです。いずれはコーザー家にも対抗できるだけの力が欲しい。父はそう考えているのです。リア様にははっきりと申し上げておきますが、私はゼイン様を男性として求めているのではありません。あくまで、我がアイアングレイ家の為なのです」
「そちらの事情なのは分かりますが……ケイトリン様はそれでいいのですか?」
ケイトリンは微笑み、女神像を見上げた。
「私はアイアングレイ家の女です。あなたは以前、第二王子の婚約者でしたね。それなら私のような女の立場がお分かりになるでしょう。私たちのような女には、愛など邪魔なだけ。必要のないものですから」
リアは下を向き、黙り込んだ。リアも第二王子マティアスと婚約していた時は、そう考えていた。聖女の結婚は家や教会の思惑で決められることが多い。結婚というのは命じられたらするものだと思っていたのだ。マティアスとの婚約も命じられたからしただけで、彼を愛そうなどと考えたこともなかった。
「……確かに、聖女は自由な結婚などしないものです。でも、愛する人と結婚する聖女がいないわけではありません。ケイトリン様には、心から一緒にいたいと思える方はいないのですか?」
「わ……私?」
ケイトリンはリアの問いかけに急に落ち着かなくなった。
「何かあった時、嬉しい時、辛い時……一番に思い出す人はいないのですか?」
「そ……それは……」
目を泳がせて動揺するケイトリンを見たリアは(やっぱり誰かいるんだわ)と思った。
「その方への気持ちを隠したまま、ゼイン様と無理やり夫婦になったとしても、ケイトリン様が辛いだけなんじゃないでしょうか……申し訳ありません、余計なことを言いました」
つい言い過ぎたと思い、慌てて謝るリアに、ケイトリンは笑った。
「確かに、あなたの言うとおりです。でも、そうですね……仮に私に誰か愛する人がいるとしましょう。それなのに私がその人と結ばれない理由はただ一つ、私たちは決して結ばれない運命だからです。父は決して私たちの結婚を許さないでしょう。だからこのことは、考えないことにしているの。誰かを愛してもどうにもならないのなら、初めから期待などしてはいけないのです」
(それって……)
リアの胸の鼓動が早くなった。ケイトリンの口ぶりから、彼女が誰かを愛していることは間違いない。リックハードがケイトリンを愛していることは分かったが、ひょっとするとケイトリンもリックハードを愛しているのではないか。ケイトリンは「決して結ばれない運命」と言った。つまり二人は双方惹かれ合っているのに、立場の違いで一緒になれない。
「リア様だって、元々はゼイン様の『国を救った褒美』だったのでしょう? 本当はゼイン様から逃げ出したいと思っているのではないですか?」
「えっ?」
驚いてリアは聞き返した。ケイトリンは心配そうな顔でリアを見ている。確かに事情を知らないケイトリンから見れば、リアは第二王子の婚約者だったのに、無理やり王都から連れ出された形だ。その後の結婚も『ゼインに無理やり妻にされた』とケイトリンが思うのも仕方がない。
「リア様の立場では断るなんでできませんものね」
「ち、違うんです! 私は自分で考えて納得したうえで、ゼイン様と結婚したんです。決して無理やりなどでは……」
言いながらリアは次第に頬が熱くなるのを感じていた。ゼインとの結婚はあくまで『偽装』だったはずだ。王都教会に戻るのが嫌だったリアの為、ゼインが夫婦であることを偽装しようと提案しただけのこと。そこに『愛』はなく、二人は友情とも違う、命を預け合う信頼関係で結ばれていて、リアはそのことに納得していた。
だがリアの感情はそう単純なものではなかった。同居をしてからはゼインの一挙手一投足にいちいち反応し、落ち着かなくなった。ゼインの『俺を信じろ』という強い眼差しに、胸が高鳴った。
(私は……ゼイン様との結婚を望んでいたのかもしれない)
それは自覚してはいけない感情だった。偽装結婚であるという関係が、リアにとっては心地よかったのだ。お互いに踏み込まず、どちらも傷つくことがない。どちらかが相手を意識してしまうと、この心地よい関係にひびが入りかねないのだ。
「……そうでしたか。ごめんなさい、リア様。でも私はアイアングレイ家の為に、ゼイン様を夫にしなければならないのです」
「ケイトリン様は本当にそれでいいんですか? ひょっとしたら愛している方と結ばれる道があるかも……」
「リア様、気遣っていただいて申し訳ないのですが、私の生き方にこれ以上口を出さないでください。それでは、失礼します」
ケイトリンは少し苛立った口調で返し、リアに背を向けて歩いていった。




