第44話 結婚してくれ?
「で? 話というのは何だ」
リアが帰ったあと、アイアングレイ家の使用人は冷めた紅茶を下げ、新しく淹れ直した。ムスッとしたままのゼインは紅茶に手をつけず、話を切り出した。
一方、香りを楽しみながら紅茶を一口飲んだマーカスは、ゆっくりとカップを置くとテーブルの上で手を組んだ。
「まあそう急がなくてもいいではないか。この茶葉は東の大陸から仕入れたもので、とても貴重な……」
「無駄話をしている暇はない。用件があるならさっさと頼む」
マーカスはゼインの失礼な態度を見ても怒り出したりせず、口元に笑みを浮かべながら話し始めた。
「知っているかね? 王都ではあなたの名前を入れた土産物が人気のようだ。英雄ゼインという存在は、王国民にとって希望の光であるようだ」
「俺の名前の土産物? 俺は何も知らん」
ゼインは眉をひそめながらマーカスに返す。
「しかも王都では『英雄ゼインこそが、次の王に相応しい』などと話す者もいるらしい。ゼイン殿はそれほど人々に愛され、期待されているという証だ」
「ええ、お父様。全くそのとおりです」
マーカスの話にケイトリンが笑顔で頷く。ゼインは無言のまま、このあと何を言われるのかと警戒の表情を崩さない。
「さて、なぜ私が娘のケイトリンを伴ってこの村に来たのか、そろそろ理由をお話ししよう。娘は二十二歳になったが、いまだ結婚相手が見つからないのだ。私の子供は娘ばかりでね、長女のケイトリンには次期当主の夫となるに相応しい男を選ぶつもりなのだが、なかなかいい男が見つからんのだよ。娘は娘で、こう見えて頑固者だ。どの男も気に入らないと首を振るばかりでね」
「まあ、お父様。私は気に入らないなどとは一言も言っていませんけれど? 色々と検討した結果、お断りをしているだけです」
ケイトリンはわざとらしく拗ねたような表情を見せる。一方のゼインはますます渋い顔で、その場で腕組みをした。
「見合い相手を探しているなら、こんな田舎の村へ来るよりも王都で探したらどうだ」
「ケイトリンの夫となるべき男は、既に我々の目の前にいるのだよ。つまりあなただ、英雄ゼイン。私はあなたこそが娘の夫に相応しいと信じてここまでやってきた。いずれは北部領を治める我が娘、ケイトリンの夫……それは国を救った英雄ゼイン以外にはあり得ないと思っている」
ゼインは腕組みをしたまま、マーカスを睨むように見ていた。
「……奇妙な話だ。あんたたちにはリアが俺の妻だと紹介したつもりだったが」
マーカスにぴしゃりと言い切ったゼインだったが、当のマーカスは全く動揺する様子がない。
「もちろんゼイン殿が聖女リアと夫婦であることは知った上で、ここへ来ている。だが……見たところ、あなたの指には夫婦であることを示す指輪がないようだね? なぜ指輪がないのか不可解だ。夫婦の証がなければ、あなたたちを夫婦だと証明できるものがないだろう?」
マーカスはゼインの左手をじっと見ながら話した。ゼインはムッとしながら「指輪などなくとも、俺たちは夫婦だ。放っておいてくれ」と返した。
「なるほど、まあいい。もちろん我々は、聖女リアが素晴らしい女性であることは知っている。だが私の娘の方がより美しく、より賢く、そしてよき母親になれるだろう。聖女というのは面倒なものだろう? 自由に子を作れず、教会に支配され続ける人生だ。娘と結婚すれば、あなたは王国で最も美しいケイトリンを妻にし、将来は北部領主の夫となる。国を救った英雄に相応しい人生だとは思わないかね?」
「何度も言わせるな。俺にはリアがいる」
とうとうゼインは声を荒げた。今にも椅子を蹴って立ち上がろうとするゼインを、マーカスは慌てて引き留める。
「待ってくれ。あなたはケイトリンのことを知らないだろう。話して見れば、娘が素晴らしい女性であることを理解してもらえるはずだ。一度二人でじっくりと話してみて欲しい。私は一度失礼しよう」
そう言ってマーカスは椅子から立ち上がった。ゼインは「待て、俺は話すつもりはない」と引き留めるが、マーカスは無視して食堂を出ていってしまった。
あとに残されたのは、ゼインとケイトリンの二人だけである。二人のあいだに気まずい沈黙が流れ、ケイトリンは恥ずかしそうにゼインを見つめた。ゼインは腕を組んだままため息をつき、テーブルの上にある蝋燭の炎がゆらりと揺れた。
しばらく沈黙が続いたあと、ようやくケイトリンが口を開いた。
「……ごめんなさい、ゼイン様。父は少し、事を急ぎすぎているのです。でも私も父と考えることは同じ……ゼイン様こそが私の夫に相応しいと、あなたを一目見た時に確信したのです。あなたの噂は聞いていましたけれど、実際に会ったあなたは想像以上に素晴らしい方でしたもの」
「俺の妻は俺が決める」
「どうか怒りを沈めてください、ゼイン様。この結婚はあなたにとっても悪い話ではないはずです。正直に申し上げて、あなたがこのような小さな村に留まることは、あなたにとっていいこととは思えません。あなたは私たち『アイアングレイ家』を味方につけた方がいいのです。これから様々な勢力があなたを利用しようと近づいてくるはずです。国を救った英雄の影響力というものは、あなたが思うよりもずっと大きいのですから」
ゼインはじっとケイトリンが話すのを聞いたあと、腕組みをしたまま口を開いた。
「フン、なるほど。つまり『アイアングレイ家』は、国を救った英雄と呼ばれる俺の影響力が欲しいというわけか」
ケイトリンは少し目を泳がせたが、すぐに気を取り直した。
「そうではありません。あなたのような素晴らしい方が私の夫になってくださるのなら、私の家は全力であなたをお守りすると、そう言っているのです」
「それであんたは、俺に惚れてるっていうのか?」
「も……もちろんです」
「本気で言ってるんだろうな?」
ゼインの低い声が食堂に響き、ケイトリンの表情がさっと青ざめる。ゼインは無言で椅子を蹴るように立ち、そのままテーブルを回り込んでケイトリンの横に立った。
「立て」
ゼインは鋭い目をケイトリンに向けている。目の前に立つ男の荒々しさを感じ取ったケイトリンは、獣に狙われた小鹿のように身体をこわばらせたまま、静かに椅子から立ち上がった。
ゼインは硬直しているケイトリンをじっと睨んだ。ケイトリンはゼインの視線に耐えられなくなり、思わず目を逸らす。ゼインはケイトリンに顔を寄せ、低い声で彼女に言った。
「嘘をつくな」
一言だけ言い残し、ゼインは大きな靴音を立てながら食堂を出ていった。ケイトリンはその場に呆然と立ったまま、しばらく動けなかった。




