第4話 聖女リアの苦しみ
その後の旅は順調だった。英雄ゼインはどの宿屋でも大歓迎を受け、広い部屋と美味い酒でもてなされた。リアは酒を飲まないが、ゼインは浴びるように酒を飲んでいた。部屋もずっと別々で、リアとゼインはほとんど会話を交わすこともなかった。
あんたはもう俺のもの――そんなことを言うわりに、ゼインはリアに近づいてこなかった。初めはゼインに襲われることを覚悟していたリアだったが、どうやら彼にその気はなさそうだと気づき始めていた。リアにとっては有難いことだったが、ゼインが何を考えているのかよく分からない。女としての興味はなく、彼の関心はあくまで聖女としてのリアということなのだろう。
リアの聖女としての力は抜きん出ていて、どんな強力な呪いも解くことができた。この類まれなる才能のおかげで、リアは王子の婚約者となったのだ。
マティアス王子と婚約後、リアは王都に移り『癒しの手』教会で生活を始めた。そこにいたのが聖女ルイーゼだった。
「まあ、あなたがマティアス様の婚約者? 思ったとおり、優しそうで素敵な方ね。私と仲良くしてくださると嬉しいわ」
リアは初め、ルイーゼのことを親切な聖女だと思っていた。リアより一つ年下であるルイーゼは王都出身で、その名はルイーゼ・マリー・メリアン。優れた聖女として知られていた聖女マリーの血筋ということもあり、若くして『癒しの手』教会の聖女たちの中でも一目置かれる存在だった。まるでお付きの侍女のように仲間の聖女を引き連れていて、最も広い個室で暮らしていた。
『癒しの手』教会では、呪いに侵された患者を治療するという大事な役目がある。王都の周辺は王国騎士団がしっかりと守っているので安全だが、それでも時々、魔族の呪いを受けた患者が助けを求めてやってくる。
呪われた患者の見た目には特徴がある。初めは体の一部分が黒ずんだ汚れのように見えるだけだが、時間が経つと呪いは進行し、やがて全身を覆って死に至るのだ。
リアは他の聖女では太刀打ちできないような、呪いが進行した患者でも治すことができた。そのため必然的に症状の重い患者を任されることが多かった。それでもリアは文句ひとつ言わなかった。戦場で呪いを解いていた彼女にとって、この程度はどうということはない。
リアが手をかざすと、患者の黒ずんだ部分がだんだんと薄くなっていく。聖女は呪いを自らの身体に取り込む。そして患者の身体がすっかり元通りになり、元気を取り戻したのを見届ける。リアは回復した彼らが喜ぶ様子を見るのが好きだった。
呪いの治療を終えたあと、リアは一人で小さな部屋に籠る。これは通称『回復部屋』と呼ばれているもので、聖女が解呪を終えた後に、文字通り身体を回復させる為に入るものだ。
「う……うう……ううう……!」
リアの額に脂汗が浮かんでいる。全身に取り込まれた呪いは、リア自身の血で浄化される。呪いを解く間、リアの全身は酷い痛みに覆われる。まるで体内から鋭い無数の針が突き出してくるような痛みだ。
だがこの激痛に耐え続けた先にある光景を、リアは心のどこかで求めていた。身体じゅうを突き刺され、いっそ死ぬほうが楽ではないかと思う苦しみを乗り越えた瞬間、リアの身体がふわりと温かくなり、天にも昇るような心地よさを覚えるのだ。その感覚は一瞬のもので、リアは誰にもこの話をしたことがない。話しても誰にも理解されないだろう。あるいはこの苦痛に少しの快感すら感じていることを、リアはどこかで恥じているのかもしれない。
浄化の痛みはどの聖女にとっても辛いもので、この痛みに耐えられず聖女を引退する女も少なくないほどだ。リアの場合、強力な呪いを解いているので負担は他の聖女よりも大きい。
それでもリアは、聖女であり続けることを選んだ。どんなに痛みに襲われたとしても、それで救われる者がいるのなら、痛みを耐えることなど容易いことだと思っていた。時にはリアでも救えない命もある。目の前で命の火が消える瞬間を見るたびに、自分の苦しみと引き換えにこの命の火を再び燃やしてくれとリアは強く願うのだ。
リアはマティアス王子の婚約者となってからも、今までどおりに呪いを解くため力を尽くしていた。王都の教会暮らしは慣れないことも多かったが、聖女ルイーゼはリアに対して親切だった。リアも最初はルイーゼに対して好感を持っていて、年が近かった二人は姉妹のように仲良くしていた時期もあったのだ。
だがある日リアは見てしまった。マティアスとルイーゼが二人きりで会っていて、抱き合ってキスをしていたのを。
リアはマティアスから「公の場以外では近寄るな」と言われていたこともあり、普段はマティアスとの交流がなかった。リアは聖女として忙しい日々を送っていたこともあり、二人の関係に全く気づかなかった。
悩んだリアは、つい仲間の聖女に相談してしまう。だがその聖女は、ルイーゼにそのことをあっさりとばらしてしまった。リアの味方であるかのように振る舞ったその聖女も、ルイーゼに心酔していた仲間の一人だったのだ。
「見られたならもう隠す必要もないわね。私とマティアス様は愛し合ってるの。陛下が私たちの結婚をお許しくださらないから、公にしてないだけよ。あんたみたいな田舎の娘が、マティアス様と結婚だなんて、考えただけで吐き気がするわ!」
そう言って醜い顔で吐く真似をしたルイーゼ。リアは彼女の話を聞き、全ての謎が解けたような気がしていた。いくら本意ではない婚約だったとはいえ、マティアスのリアに対する、まるで憎んでいるかのような態度。本当はルイーゼと結婚したかったのに、バークス王がそれを許さなかったので彼の願いは叶わなかった。ルイーゼの能力は、名のある聖女の血を引く家柄のわりにとても低かった。だからバークス王はルイーゼを息子の妻とすることに反対だったのだろう。
二人の関係がリアに知られて開き直ったのか、マティアスのリアへの態度はますます悪くなった。まるで見せつけるかのように、マティアスはルイーゼにネックレスを贈り、ルイーゼは自慢げにそれをリアに見せつけた。二人で出席したパーティーでは、婚約者のリアを放置してマティアスは友人たちと楽しげに過ごし、リアが先に帰ったことにすら気づかなかった。
マティアスから邪険にされるだけならまだマシだった。魔族との戦いが再び激しくなり、王国騎士団からも多くの騎士が戦いに出ることが決まった時、リアは最も危険な前線に向かうようマティアスに命じられた。もちろん、聖女としてリアはどこへでも行くつもりだったので、彼の命令をすんなり受け入れた。だが自分の婚約者を進んで危険な場所に派遣することは、普通ならばあり得ないだろう。
マティアスは恐らく、自分が戦場で死ぬことを期待していたのだろうとリアは思っている。リアが無事戦いから戻っても、マティアスは「寄るな、血の臭いで吐きそうだ」と顔を歪めて遠ざかった。
マティアスも王国騎士団の騎士として戦場へ行っていたが、彼の鎧は綺麗なままだった。マティアスは「自分は王子であり指揮する立場の人間だから、戦いに出る必要はない」とリアに言っていた。だがリアは、マティアスが戦場で指揮など取っていないことを知っていた。実際にマティアスが所属する部隊の指揮官を務めていたのは、彼の兄であるロベルト王太子だ。マティアスは何もしないばかりかルイーゼをこっそり同行させ、野営地で一緒に過ごしていたのである。
そんな扱いを受けても、リアは王子の妻となる為に耐え続けた。王都に移ってから一年、彼女にとって何か楽しいことがあっただろうか。未来の夫には無視され、彼の愛人にはしょっちゅう嫌味を言われ、聖女としての力だけは利用される。
リアにとって英雄ゼインは『抜け出せない檻から出してくれた』存在であるが、同時に『別の檻に閉じ込めた』存在でもある。獲物を狙う獣のような瞳をした男と、これから一緒に暮らさなければならないと思うと、リアの不安はどんどん大きくなっていた。




