第31話 戦いの予感
リアが離れたあと、ゼインはとうとう剣を抜いた。彼は常に剣を携えていたが、リアの前で剣を抜いたのは初めてである。
ようやく事態が深刻だと気づいたマティアスは焦った顔で「アードン!」と叫んだ。ルイーゼは小さく悲鳴を上げ、逃げるように後ろに下がった。
マティアスの護衛アードンはすらりと剣を抜き、マティアスの前に立つとゼインと睨みあった。
アードンの身体はゼインよりも大きく、彼が見上げるほどの背の高さと、まるで岩のような屈強な身体を持つ。その鋭い目つきは、魔族よりも恐ろしい戦士と言われたゼインにも引けを取らない。
「アードン! ゼインの生死は問わない。お前の役目は分かっているな? 王家を守るのがお前たち『王の牙』だろう?」
後ずさりながら怒鳴るマティアスの声を背中で受けながら、アードンはゼインを睨み続けていた。ゼインも負けじとアードンを睨み返すが、ゼインの表情にはどこか余裕があった。
それは久しぶりに彼が感じる『戦い』の予感であった。
彼の瞳はらんらんと輝き、その口元にはかすかに笑みすら浮かんでいる。アードンはそんなゼインの様子に少し困惑した。それは彼が今まで出会った者になかった雰囲気だったからだ。
リアは二人の男たちが睨みあうのを、ただ見ていることしかできなかった。まるでゼインはこの状況を楽しんでいるかのようだ。
しばらく剣を構えたまま動かなかった二人だが、ゼインはそこで思わぬ行動を取った。構えていた剣を地面に落としたのである。アードンが地面に落ちた剣に気を取られたその一瞬、彼は一歩足を踏み込んで構え、そのままアードンの身体に飛び込んだ。
ゼインの思わぬ行動に少し動揺したアードンは、力任せに剣をゼインに向けて振り下ろしたが、ゼインの動きが少し上回っていた。アードンの剣はゼインをかすめ、ブンと空気を切る音がしただけだ。ゼインはアードンの足を掴んで倒し、アードンの手首を攻撃して彼から剣を奪い、それを遠くに蹴り飛ばした。
そこからは取っ組み合いである。お互いに殴り合い、地面に転がるアードンの首をゼインは締め上げた。ゼインの顔からは鼻血が出ていて、アードンの口は血で真っ赤に染まっている。やがてゼインの腕の中でアードンは気を失い、ぐったりとなった。勝負はついたのだ。
「ここで殺しはやらない。せっかくリアが蘇らせた大地を血で汚したくはないからな」
リアは青ざめた顔でほっと息を吐いた。ゼインは息を整え、鼻血を拭うと身体についた泥を払った。遠巻きに見ていた騎士たちから思わず歓声が上がる。
マティアスは呆然とその場に立っていた。最強の護衛と称される『王の牙』がゼインにあっさりと無力化されたのだ。
「マティアス殿下。俺たちは予定どおりに村に帰るが、構わないな?」
ゼインがマティアスに声を張り上げると、マティアスは呆然としたまま答えなかった。ゼインは小さくため息をつくと、振り返ってリアを見た。
「リア、村へ帰ろう」
「え……ええ……」
何事もなかったように言うゼインにリアは戸惑った。剣を拾って鞘に納め、歩いていくゼインの背中をただ追うしかできなかった。
ゼインはあの瞬間、明らかに戦いに憑りつかれていたはずだった。だがゼインは剣を捨て、アードンを殺さなかった。ゼインは「リアが蘇らせた大地を血で汚したくない」と言った。リアの訴えでゼインは剣を捨てたのだ。
ゼインの背中から感じる彼の怒りはすっかり消えていた。リアはいつもと同じゼインの姿にホッと胸を撫でおろした。
「ゼイン様、怪我は大丈夫ですか?」
ゼインの背中にリアが声をかけると、ゼインは振り返った。
「かすり傷だ、心配ない」
「……いくらゼイン様が無敵の戦士でも、相手は『王の牙』と呼ばれる一族です。彼らはみな身体が大きく、剣の腕も一流だと聞きます……もしものことがあったらと思うと……」
ゼインはリアの青白い顔を見て、困ったように眉を下げた。
「俺は死なない」
「そんなこと、軽々しく言わないでください」
リアが怒ったように返すと、ゼインは気まずそうに頭をかいた。
「悪かった。だが俺にとっちゃあんたも同じだ」
「同じって?」
「リアが自分の身体を痛めつけるように瘴気を取り込む姿を見ていると、心配になる。いつ死んでもいいと思っているんじゃないかとな」
リアはどきりとして、瞳を大きく見開いた。
「……俺とあんたは、どこか似ているかもな」
ゼインはそう言い、再びリアに背を向けた。
(似ている……? 私とゼイン様が……?)
リアはゼインの言葉が耳から離れなかった。リアは幼い頃から聖女として生きることを宿命づけられていた。大人にも勝る能力を持ち、人々から天才聖女とおだてられ、自分の力は人々の為に使われるべきだと信じて育った。呪いを解くという使命の為なら、自分の命を投げ出すことも厭わない。聖女とはそういう使命を持って生きるものだと、リアは心から信じているのである。
自らの意思で剣を手に取ったゼインと、生まれ持った宿命に生きるリアはまるで違うようで、どこか似ているのかもしれない。リアはゼインの背中を見ながらそんなことを思った。
♢♢♢
「おい、アードン! いつまでそうして寝ているつもりだ」
ゼインに負け、地面に横たわるアードンにマティアスは声を荒げた。アードンは空を見上げながらぼんやりとしていて、なかなか起き上がろうとしなかった。
「……あれが『死を恐れぬ戦士』か。一度手合わせをしてみたいと思っていた」
「何を言っている? これは遊びじゃないんだぞ」
アードンは明らかにゼインとの戦いを楽しんでいた。苛立つマティアスに怒鳴られ、ようやく彼は起き上がったが「あの時、こう動けば……いや、駄目だ……」とぶつぶつ呟いている。
「あの程度の男に首を絞められ気を失うなど、情けないぞ? 王の牙として恥ずかしくはないのか? 兄さんはなぜお前のような無能を大事に囲っているのか分からんな」
マティアスはアードンを馬鹿にしたが、彼にはその言葉も耳に入っていない。アードンはずっとゼインとの戦いを反芻しながら独り言を言っていた。
アードンは元々マティアスの兄、ロベルト王太子の護衛を長年務めており、マティアスは彼とそれほど信頼関係があるわけではない。アードンにとってマティアスは、ロベルトから頼まれて護衛をしているだけなので、そもそもマティアスには忠誠を誓う理由がない。
「……兄さんの忠犬が!」
マティアスはずっと自分を無視するアードンに苛立ちながら暴言を吐いた。するとようやくアードンは立ちあがり、じろりとマティアスを睨んだ。
「それが、我々『王の牙』ですので」
一言だけ返すと、アードンは地面に転がった剣を拾い、鞘に納めた。その瞳にはマティアスに対する侮蔑があった。マティアスはアードンの鋭い視線に怯んだが、その瞳の中にある感情までは気づけなかった。




