第2話 旅立ち
英雄ゼイン一行の謁見が終わり、謁見の間を出て廊下を歩くリアに、マティアスが声をかけた。
「英雄ゼインがお前を望んだんだ。あれは俺が望んだことではない……分かるな?」
「……承知しております」
マティアスにそう答え、リアはマティアスに背を向けた。
「全く、最後まで可愛げのない女だ」
リアの背中に、マティアスの嫌味が突き刺さった。マティアスはリアと反対方向へと歩いていく。二人は別々の道へ進み、もう交わることはない。これでようやくリアは頑丈な檻から解かれたわけだ。
しかしリアはせっかく出された檻から、また別の檻へと移っただけだ。この後すぐに支度をし、英雄ゼインと共に、あの男の生まれ故郷である村へと旅立たなければならない。
英雄ゼインの生まれ故郷は魔族の襲撃に遭い、多くの村人が亡くなった。今は誰も住んでいないという。
王宮を出たリアは、聖女たちが暮らす『癒しの手』教会へと戻った。王宮近くにあるこの教会には、独身の聖女が共同生活をしている。もちろんリアも例外ではなく、マティアスと婚約した後はここに生活の場を移した。
たとえ第二王子の婚約者といえど、教会では特別扱いはない。狭い個室には大した荷物はなかったので、持って行くものはそれほど多くない。聖女たちは普段、聖女服と呼ばれる長いローブを着て生活していた。必要な時だけ、王宮でドレスに着替えさせてもらっていた。形は完璧だが、色やデザインは王子の婚約者にしては地味なものだった。魔族との長い戦いのせいで王国の財政が厳しく、贅沢が許されないから地味なものでも仕方がないというのが理由だ。でも本当は、マティアスがリアに銅貨一枚使うのも惜しいと思っていたため、リアにはろくな贈り物をしていなかったのである。
リアが部屋で荷物をまとめていると、聖女ルイーゼがやってきた。
「まあ、お可哀想に……リア様」
ルイーゼはリアと二人きりになると、嬉しさを隠そうともしなかった。口では可哀想に、と言いながらその顔は明らかに喜んでいる。
「陛下がお決めになったことですから」
「でも、マティアス殿下の婚約者だったあなたが、あの野蛮な男の褒美になるなんて。ねえリア様、ご存じ? あの男は魔族を痛めつけるのがお好きだったみたいよ。きっと女のこともいたぶるのがお好きなのだわ……ああ恐ろしい! 村に着くまでに、リア様の身体が無事ならいいけど」
耳障りなほど甲高い声で、ルイーゼは笑った。リアは自分の指がすうっと冷たくなるのを感じ、両手をぎゅっと握りしめた。これはルイーゼの挑発だと分かっていても、英雄ゼインの冷たい目を思い出すとリアは恐怖で身がすくんだ。
「リア様がいなくなった後の教会のことは、何の心配もいらないわ。あの野蛮な男とどうぞお幸せに」
ルイーゼはクスクスと笑う。黙って話を聞いていたリアは、荷造りの手を止めるとルイーゼに近寄った。急に表情を変えたリアに、ルイーゼの目が泳ぐ。
「何? 私に何か言いたいことでもあるの?」
「いえ。ルイーゼもマティアス様とお幸せに」
「……言われなくても、そうするわ」
ルイーゼはフンと鼻で笑い、部屋を出ていった。
英雄ゼインは出発にあたり、リアを乗せる馬車と沢山の食料が欲しいと要求していた。馬車に続く荷馬車には、多くの荷物が積み込まれていた。これから向かうのは英雄の生まれ故郷の村で、もうそこには誰も住んでいないので当座の食料が必要だった。日持ちのする野菜、瓶詰の魚、干し肉などがある。他には酒、古着に毛布などもあった。先頭は愛馬にまたがる英雄ゼイン、その後ろにリアが乗る馬車と二台の荷馬車が続く。
出発前、英雄ゼインは馬の体を撫でていた。馬車に乗り込むリアを見送る為に、聖女たちが続々と集まってきた。
「リア様、どうかお気をつけて」
「リア様、お元気で……!」
「ありがとう。皆さんもお元気で」
リアに挨拶をする聖女たちの中に、ルイーゼもいた。ルイーゼは瞳を潤ませながら両手を胸の前で組み、今にも泣き出しそうな笑顔でリアに近寄ってきた。
「リア様、もう会えなくなるなんて本当に悲しいわ。リア様のことは、まるで本当のお姉さまのように慕っていたのに……」
「ありがとう、ルイーゼ。あなたもお元気で」
ルイーゼがリアを姉のように慕っているなどという話を信じているのは、見送りに来た若い聖女くらいのものだ。表向きはリアを慕っているように見せているルイーゼだが、陰ではリアを馬鹿にしている。リアは表向きはルイーゼと仲良く振る舞い、作り笑顔で挨拶を返した。
聖女たちに挨拶を済ませたリアは、英雄ゼインに挨拶しようと近づいた。
「……ゼイン様。リア・セフィ・レンバーと申します」
「ゼイン・オルマンだ。早く馬車に乗れ」
リアと英雄ゼインが初めて交わした言葉は、それだけだった。英雄ゼインは背が高く、革の胸当ての上からでも分かる分厚い胸板を持つ。馬を撫でる彼の腕は逞しく、いかにも重そうな剣を軽々と持ち上げられそうだ。彼は傷がいくつもついたボロボロの革鎧を着て、大きな剣を腰に下げていた。眉骨の奥にある薄い銀色の瞳は、震えあがりそうになるほど鋭い。英雄ゼインはリアをじろりと見た後、すぐに背を向けて馬を撫でた。
英雄ゼインが要求した豪華な馬車に乗り込み、この先の人生を想ったリアの瞳にはいつしか涙が浮かんでいた。家族や田舎で過ごした教会が豊かになることをリアは願っていた。だが王子との婚約を解消した今はそれも叶わない。ゼインの褒美となったリアは、次にいつ家族と会えるのかも分からない。ひょっとしたら、もう家族とも会えないかもしれないのだ。
リアは静かに馬車の中で肩を震わせた。ガタンという大きな揺れが、もう後戻りはできないという彼女への合図となった。
♢♢♢
英雄ゼインの生まれ故郷までは馬車で三日かかる。道中は街道沿いにある宿屋に泊まることになっていた。立ち寄った宿屋にも英雄ゼインの名は轟いていて、ゼイン一行は大歓迎された。
馬車を降りたリアの顔は緊張でこわばっていた。リアはゼインの『褒美』であり、ゼインがリアに何を求めているかを想像すると、答えは一つしかないからである。ルイーゼに言われた言葉をリアは思い出す。
『あの男は魔族を痛めつけるのがお好きだったみたいよ。きっと女のこともいたぶるのがお好きなのだわ』
ゼインに何をされるのだろうという恐怖で、リアの身体は小さく震えていた。宿屋の主人が笑顔で二人を迎えている間も、リアはずっと硬い表情だった。
「ゼイン様と聖女様の為に、一番いい部屋をご用意しました。案内しますので、どうぞこちらに」
「主人、悪いがもう一つ部屋を用意してくれ」
リアはゼインが放った意外な言葉に、思わずゼインの顔を見上げた。
「もう一つ……ですか。かしこまりました。隣の部屋はあいにく空きがないのですが……」
「構わん」
(……よかった、部屋が別々だわ!)
リアは思わず安堵のため息を漏らした。今の姿を見られていないかと慌ててゼインを見上げたリアだったが、ゼインは宿の主人と話していて気づいていないようだった。
リアは小さな部屋に通された。ゼインの広い部屋と比べるとだいぶ見劣りするが、リアにとっては豪華な部屋にも勝る。部屋の窓から外を眺めると、目の前に大きな木があった。景色は良くないがこれで十分である。
粗末なベッドに腰かけ、一息ついていると部屋のドアがノックされた。出てみると目の前にゼインが立っている。
「入るぞ」
そう言いながら、ゼインは部屋の中にずかずかと入ってきた。何の用かとリアは身構え、逃げるように窓際へ立つ。ゼインは部屋の中をじろじろと見渡したあと、リアを急にじっと見てきた。
獲物を捉えた狼のような目をするゼインに、リアは恐怖で動けなくなった。大きな靴音を立てながらゼインはリアに近づく。ゼインの呼吸が届くほどの距離に近づき、リアは思わず目を閉じた。
「どけ」
ゼインはそれだけ言うと、困惑しながら窓から離れるリアを無視し、窓を開けて外を覗いた。ここは二階で、窓の近くには大きい木がある。階下には一行の馬車と荷馬車が置かれていて、御者たちが荷馬車の近くで談笑しているのが見えた。
窓の外をひとしきり見たゼインは、ようやくリアに振り返った。
「俺の部屋と交換しろ」
「え? 何故ですか?」
「ここは侵入されやすいからだ」
ゼインはそれだけ言うと、さっさと部屋を出ていってしまった。リアはぽかんとしたままその場に立ち尽くした。
(よかった……何かされるかと思った……)
何事も起こらなかったことにホッとしたリアは、力が抜けてその場にへたり込んでしまった。




