第1話 褒美
「そちらにいる聖女リアを、褒美として私に頂きたい」
王宮の謁見の間に響き渡った男の声。一瞬静まり返った人々が一斉にざわつき始めた。
名指しされたリアの瞳に動揺が広がる。それが彼女の聞き間違いじゃないことは、この場にいる人々の視線がリアに集まったことからも明らかだ。
「なんと……! マティアス王子の婚約者を褒美にとは」
「いくらこの国を救った英雄とは言え、図々しい申し出ではないか」
「英雄ゼイン! 今の言葉、ただちに撤回せよ」
聖女リアが欲しいと言った英雄ゼイン。国王陛下の前に跪くこの男は、長年この国を苦しめてきた魔族の王を倒した。無造作に伸びた長い前髪から覗く瞳は鋭く、鍛え上げられた体を覆う革鎧は傷が目立ち、ボロボロだ。英雄ゼインは、まだ三十歳だとは信じられないほどの優れた戦闘能力を持つ戦士であり、これまで誰も成しえなかった『魔族の王を倒す』という偉業をやってのけた。
長く辛い戦いが終わり、平和が訪れた人々の喜びようは凄かった。何しろひと月以上お祭り騒ぎだったのだ。そしてようやく、今回の戦いで魔族の王を倒した英雄ゼインが王宮に招かれた。魔族との長年の戦いは国を疲弊させ、王宮といえどその戦いの影響は免れなかった。バークス王は王族自ら倹約すべきと言い、廊下を照らす蝋燭の数は減らされた。王宮を飾る素晴らしい美術品の代わりに、戦果を示す魔族の鎧や武具が並んだ。戦が終わった今では蝋燭がふんだんに使われ、勇ましい騎士の絵が飾られ、王宮は明るさを取り戻した。
バークス王は英雄ゼインを招くにあたり、欲しいものを何でも与えると宣言していた。そして王はゼインを前に「魔族の王ウィラードを倒した褒美に、何が欲しい」と尋ねた。
人々の視線がゼインに集中し、彼が口を開くのを待つ。
英雄ゼインはゆっくりと顔を上げ「そちらにいる聖女リアを、褒美として私に頂きたい」と答えた。
――これがたった今、聖女リアに起こった出来事である。
(この人は何を言っているの? 私には婚約者がいるのだから、いくら英雄が望んだとしても願いどおりになどなるわけがないのに)
困惑するリアの隣には、英雄ゼインの言葉に目を丸くしている第二王子マティアスが立っていた。マティアスは聖女リアの婚約者である……一応は。
この国の王族は、優れた聖女を妻にするのが昔からのしきたりだ。魔族が持つ『呪いの力』に侵された人々を救うのが、リアのような『聖女』と呼ばれる特別な力を持った女たちの役目である。呪いの力は恐ろしいもので、人は呪いにかかると薬では治せない病にかかる。大地が呪われると水が穢れ、植物は育たなくなる。
魔族は呪いの力を使って人々を長年苦しめてきた。そしてその呪いを解くことができるのは聖女だけ。聖女たちはこの国を守っているのである。
リアは王都から遠く離れた小さな港町で育った平凡な聖女だ。聖女の血を持つ家系で生まれたが、母も祖母も曾祖母も、特に優れた聖女というわけではなかった。それなのになぜかリアにだけ、家族も驚くほどの聖女の能力が備わっていた。
聖女の能力――簡単に言えば『呪いを吸収する力』のことだ。聖女は呪いを自分の身体に取り込み、呪いを解く。リアはどんな強い呪いだろうと耐えられた。十四歳になった聖女は『癒しの手』教会に身を預け、呪いを解く使命を負うことになる。リアはその類まれなる力を見込まれ、まだ十二歳だったにも関わらず、癒しの手教会に入ってそこで暮らしながら呪いを解き、人々から感謝される日々を送っていた。
やがて十八歳になったリアは、魔族との戦場に出向き、呪いを解く手伝いをするようになった。リアの噂はいつしか王都にも届き、十九歳になったある日、突然リアは王宮に呼び出された。
この時、リアは第二王子マティアスとの婚約話が進んでいることを知らされた。バークス王はリアが聖女としての力が優れていることを褒め、マティアスの妻に相応しいと言った。
それは彼女にとって青天の霹靂だった。田舎で暮らしながら人々を救う使命を全うするつもりだったリアに、突然王子の妻になれと言われて、冷静でいられるわけがない。
バークス王は優しい口調でリアに「考えてくれぬか」と言ったが、実際は命令だった。王から直々に『お願い』されたリアに『断る』などという選択肢は最初からない。こうしてリアはマティアス王子の婚約者となることが決まり、早速王都へ移り住むことになった。ここまでが一年前の出来事だ。
マティアス王子は、キラキラ輝く金髪に透き通るような青い目をした綺麗な顔立ちの男だった。でも初対面からリアに対する態度は、最悪だった。
「王族が聖女を妻にするというのは、王家の古いしきたりだ。だから俺はお前を妻にする。まさか、こんな地味な田舎者の聖女とは思わなかったがな」
初めて二人だけで話をした時の、マティアスがリアにかけた言葉がこれである。マティアスはリアと初めて出会った時から、どこか冷めた目で彼女を見ていた。リアのことは『期待外れの女』で最初から気に入らなかった。リアは王都で暮らす女たちのような、洗練されたお洒落など全く知らなかった。野暮ったくて冴えないリアが未来の妻だと言われ、マティアスは落胆したのだ。
「結婚するにあたり、言っておく。表に出るとき以外は俺に話しかけるな。俺の言うことに逆らうな。俺が誰と会おうと、文句を言うな」
「……かしこまりました」
(私だって好きでこの人と婚約したわけじゃない)
リアは腹の底からむかむかと嫌な気持ちが上がってきたが、第二王子に言い返すことなどできるわけがない。分不相応な結婚なのはリア自身、一番よく分かっている。リアはぐっと言葉を飲み込み、ただ微笑むことしかできなかった。
この日、リアの人生を重くて頑丈な檻が囲んだ。二度と出ることができない檻だ。
「聖女リアを褒美に……英雄ゼイン、それはさすがの私でも、簡単に承諾はできぬ。見ての通り、リアは我が息子、マティアスの婚約者なのだぞ。マティアス、お前から何か言うことはあるか?」
困惑顔のバークス王に声をかけられたマティアスは、一度リアの顔をじろりと睨むように見ると、小声で囁いた。
「お前は一切喋るな」
低い声でマティアスは言い、リアは無言のまま俯いた。マティアスは言葉でリアの身体を縛った。彼の言葉は棘のある縄。抵抗しようと動けば、棘はますます強く刺さり、血が噴き出る。リアは彼に逆らわないと決めていた。彼にできるだけ近づかず、逆らわなければリアは第二王子マティアスの妻となり、晴れて王族の一員となれる。
リア・セフィ・レンバーの家族は、王家の親族となる。リアの家族たちは今よりもいい暮らしができる。リアが故郷の町で暮らしていた『癒しの手教会』は建物が古く、しょっちゅう雨漏りしていた。リアが第二王子の妻となれば、あの古ぼけた教会を修繕してもらえるかもしれない。
この結婚は多くの人を救うことになる。だからリアは、マティアスに何を言われようと耐えると決めていた。
「父上。私は英雄ゼインの申し出を受け入れ、聖女リアとの婚約を解消してもいいと思っております」
「なんだと!? お前は婚約者をゼインに渡してもいいというのか?」
マティアスの言葉に、どよめきが広まった。王はもちろん、その場にいた者は一様に驚きの表情を浮かべていた。この中で驚いていないのは、リア一人くらいのものだろう。
なぜならマティアスには愛し合う別の女性がいる。そのことをリアはとっくに知っていた。リアとマティアスが立つ玉座近くから少し離れた場所の壁際に、ずらりと聖女たちが並んで立っている。
その中に一人、ひときわ目を引く聖女ルイーゼ。ぱっちりとした大きな瞳は常に濡れたように潤んでいて、小鳥のように甲高く愛らしい声を持つ。王都出身で血筋もよく、若く美しい彼女はマティアスとずいぶん前から親しくしていたようだ。マティアスがリアとの婚約に最初から不満を隠さなかったのも、彼女と結婚できないのが嫌だったからなのだ。そのことをリアは婚約してすぐに理解した。
二人の結婚は王が決めたことであり、簡単には解消できない。マティアスにとって、英雄ゼインの申し出は願ってもないことだったのだろう。
「愛する我が婚約者、リアを失うのはとても悲しいですが、父上は英雄ゼインの欲しいものを与えると約束してしまったのです。陛下の約束は絶対に守られなければなりません。彼の願いを叶えてやるべきですよ」
大げさに身振り手振りを交えて訴えるマティアスの横顔は、瞳が輝いていて喜びが隠しきれていない。ルイーゼに目をやると、彼女は両手を顔の前で組んで表情を悟られないようにしていた。ルイーゼはお人形のように整った容姿だが、その裏の顔を知る者はほとんどいない。この場で分かりやすく喜びを爆発させるような、愚かな女ではない。
バークス王はマティアスの話をじっと聞いた後、小さくため息をつき、再び前を向いた。
「マティアスが許す、というのならば分かった。英雄ゼインの望みを叶えよう」
周囲のどよめきは、もはや騒音になっていた。魔族の王を倒した国の英雄であるこの男は、第二王子の婚約者が欲しいと言い、そしてそれを許されたのだ。
リアは思わず英雄ゼインの顔を見た。すると彼も彼女に視線を向けてきて、二人は一瞬目があった。
鋭い、夜の闇に紛れる狼のような目だ。リアは以前、戦場であの男が魔族と戦う姿を見たことがあった。味方ですら「どちらが魔族か分からない」と怯えるほどの、容赦ない戦いぶりだった。全身血まみれになりながら、悪魔のような笑みを浮かべて剣を振り下ろし、魔族の体に剣を突き刺し、魔族の首を切り落とした。英雄ゼインは戦いに憑りつかれている。
怖い――リアはあの男を心底恐れた。英雄ゼインの元へ行くくらいなら、今までどおりマティアスに嫌みを言われたり、ルイーゼから嫌がらせをされるほうがマシだとすら思った。
「聖女リアよ。そなたの類まれなる聖女としての力は、我が王家に必要と思っていた。だが英雄ゼインは他の誰も成し得なかった魔王ウィラードの首を見事に取った。英雄ゼインの望みは叶えられなければならない。たった今、そなたと我が息子マティアスとの婚約は解消された。すぐに出発の支度を」
「……かしこまりました」
リアはゆっくりと陛下に跪いた。聖女リアの立場で『断る』という選択肢はなかった。
1話目が長くてすみません。少し重めのファンタジーですが、気に入っていただけましたら2話以降も読んでもらえると嬉しいです!毎日更新します!




