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      8.八日(同時刻)


 エレベーターで四階に上がったが、非常灯の光だけが照らす薄暗い空間だった。

 すくなくとも、人の気配はない。

「ここにいたわけではないみたいですね」

 蒼太は言った。

 すぐ横には、拳銃を手にした大江がいる。小型の自動式だということはわかるが、それがなんという名称の銃器なのかは知らない。交番勤務のときに携行していたリボルバーとは使用法もまったくちがうのだろう。キャリア警察官が初任研修以降で銃器を手に取ることはない。

「まってください」

 エレベーターにもどろうとしたのだが、大江にとめられた。

 大江は携帯電話の明かりをつかって、もとは店舗か事務所だったであろう扉のなかを覗き込んでいた。磨りガラス状になっているから、ちゃんとは見えなくても、置いてあるものの影ぐらいなら確認できる。

「だれかいる」

「え?」

 蒼太も確認した。だが、たしかになにかがあるのはわかっても、それが人間だということは判別できない。

「まちがいありません」

 そうまで断言されると、否定する材料を蒼太はもっていなかった。

「まさか……」

 誘拐された少年のことが脳裏をよぎった。

「いえ、子供ではありません」

 大江も、そういう想定はしていたようだ。

「鍵を開けるように、管理会社を呼びましょう」

「その必要はありません」

 大江の手には、なにかがつままれていた。

 細い針金のようなものだ。ヘアピンを想像したが、それよりも長い。こういうときのために用意している器具なのかもしれない。

「一応、確認しておきますけど……それって法律違反ですよね?」

「緊急事態なら、そのかぎりではありません」

 冷静にそう返されると、なにも主張できなくなる。公安部は捜査のためなら、軽微な犯罪行為など躊躇はしないのだ。

「それで都合が悪いのなら、私一人でやったことにすればいい」

「いえ……責任は、ぼくがとります」

「大丈夫ですよ。発覚しないので」

 針金状のものを鍵穴にさしたと思った瞬間に、解除されていた。

 大江は、静かに扉を開けた。

 携帯の光を、部屋の奥へ向ける。

 そこにいた人物が、眼を細めた。

 拘束されていたようだ。顔に痣などはなく、怪我をしているわけではなさそうだ。猿轡をされているから、声は出せない。ロープで何重にもパイプ椅子にくくりつけられていた。

「大丈夫ですか!?」

 蒼太は、声をかけた。

「……」

 呻き声すら返ってこなかった。

 意識はあるはずだが、反応が薄い。

「クスリですね」

 大江が冷静に分析した。

「違法薬物ですか?」

「もしくは、アトロピン」

「アトロピン?」

「薬にもなり、毒にもなります」

 それだけではイメージがわかなかった。

 医薬品として出回っているものは、ほとんどが用法を守らなければ毒になってしまうはずだ。

「自白剤ですよ」

「……」

「ベラドンナから抽出したものが使用されるみたいですよ」

 急に、大江のことが恐ろしくなった。

 みたいですよ──というところが、わざとらしい。

「つかったことがあるんですか?」

「ありませんよ」

 あったとしても、認めるわけがない。

「いまこの男性は、意識が朦朧としているんですか?」

「ええ。でも、話しかければ反応はあるはずです」

 蒼太は、男性の眼をジッとみつめた。

「わかりますか? ぼくたちは、警察です。状況は理解してますか?」

 わずかに、うなずいたような気がした。

「名前を言えますか?」

 口は開いたが、声は出ていない。

「用法が多かったのかもしれません」

 効きすぎた、ということのようだ。

「かわっていいですか?」

 大江にまかせることにした。

「あなたは、なにか犯罪にかかわっていますか?」

 この状態の人に問いかけるには、適切な内容ではない。それに、そう質問されて、素直に答えてくれるだろうか?

 だが男性の首は、縦に振られた。

 そうか、自白剤が効いているのだ。

「あなたを拉致した人物は、このビルのなかにいますか?」

 首は動かなかった。反応に困っている。

「ここがどこだか、理解していますか?」

 横に振られた。

「あなたを拉致した人物の顔を見ていますか?」

 縦。

「それは、一人ですか?」

 横。

「あなたは、犯罪にかかわっていますね?」

 あらためて、それを問い詰めた。

 やはり、首は動かない。自白剤でも、ストップをかける理性は残っているのだ。

「犯罪にかかわっているかもしれないと思っていますね?」

 大江は、言いかえた。

 縦に動いた。自白剤の効きが甘かったのではなく、自身でも確信を得られなかったのだ。

「お金に関係していますか?」

 縦。

「違法薬物は関係していますか?」

 動かない。

「お金を運びましたか?」

 縦。

「どうして、こんなことになったのか、理由は把握してますか?」

 縦。

「お金を、ネコババしようと思いましたか?」

 縦。

 大江が、視線を向けた。

「どうやら、運んでいたのが金だとわかって、それを奪おうとしたみたいですね」

 想像がつく。

 犯罪にかかわっているお金だという確証まではない。が、なにかしら後ろめたい金だというのは予想がついていた。だから、奪ってやろうとたくらんだ。

 ただし、犯罪にかかわっているのか、という問いには反応しなかったから、あくまでも計画だけで実行したわけではないのだろう。そうでなければ、縦に動いていたはずだからだ。

「とにかく、拘束を解いて保護しましょう」

 大江はうなずいたが、救急車を呼ぶことには反対した。

「このビルに犯人グループがいたら、気づかれます」

「ですが、治療をうけさせないと」

「なんとか運び出しましょう」

 二人でバス──警察署まで運ぶことになった。両脇から抱えてなんとか立たせた。だが、足に力は入らないようだから、二人がかりでも大変そうだ。

 部屋を出て、エレベーターへ向かった。

 呼びボタンを押すまえに、エレベーターは四階に到着していた。

 扉が開いた。なかには、二人の男が乗っていた。

「あ!?」

 こちらも驚いたが、むこうも驚いていた。

「な、なんだ!? おい、どうなってんだ!?」

 マズい鉢合わせだ。

 男たちの服装は、いかにもチンピラ風だ。髪型も一人はパンチパーマで、一人はスキンヘッド。このシチュエーションも考慮すれば、カタギとは思えなかった。

「この男を移すように、頼まれた」

 大江は慌てた様子もなく、そう口にした。

「あ? そんな話は聞いてないぞ……」

 とりあえず、会話にはなっている。

「たしかめてみろ」

 大江は、わざと乱暴な口調に徹している。さすがは公安。潜入任務も簡単にこなすだろう。

「ちょっと待ってろ」

 スキンヘッドのほうが、携帯を取り出した。

 連絡をされると困ったことになる。

「オヤジは元気か?」

 ふいに、大江がそう言った。

「あ?」

 スキンヘッドの操作する手がとまった。

「オヤジ? あんた、うちの人間じゃないのか?」

「服装でわかんだろ」

 二人ともスーツ姿だから、チンピラには見えないはずだ。「会社のこと、聞いてねえのか?」

「うちのことじゃなくて?」

「そこはオヤジが仕切ってんだろ」

 会話が成立しているのが、すごい。

「そうだな……」

「確かめるなら、はやくしてくれ。こいつの身柄が必要なんだってよ」

「わかった……」

 大江が歩を進めたので、蒼太もそれにならった。二人の足並みをそろえなければ、拉致されていた男性を運ぶことはできない。

 チンピラたちの横を通って、エレベーターに乗り込んだ。入れ替わるかたちで、チンピラたちが通路に出る。

 大江がすぐに一階のボタンと閉じるを押した。

 下降をはじめる。

「どうやったんですか?」

「どうって?」

「会社とか、オヤジとか、そういうのです」

「適当です。適当にワードを選んだだけです」

「会話になってました……どういう想定をしたんですか?」

「彼らは暴力団とか、半グレでしょうから、最近そういうのは、フロント企業とかもってそうでしょう? あと、組長の話をしておけば、むげにはできないと思って。私だって、そっち側はくわしくないですから」

 どうやら勝算があったわけではなく、場当たり的に言葉をチョイスしていただけのようだ。

「いいですか? すぐに追いかけてくると思いますから、急ぎますよ」

 一階についた。すくなくとも、階段で降りてきてはいないようだ。ビルを出た。

 そこでようやく、背後に駆け足の靴音が迫ってきた。

「まてや!」

 その声に足をとめようとしたが、

「とまらない!」

 大江の厳しい声で、思い直した。

「おい!」

 だが、このままでは簡単に追いつかれてしまう。

「どうしましたか?」

 穏やかな声が割って入ったのは、そのときだった。

 大江が足をとめたので、蒼太もそれにならった。

 首だけめぐらせて確認した。

 眼福──福島だった。

「喧嘩でしたら、警察を呼びますよ」

 福島は、あくまでも通行人をよそおっていた。おそらく、女性の尾行からもどってきたのだ。

 また乗り物をつかったので、葉月に引き継いだのだろう。

 チンピラ二人は地団駄を踏むように、ビルの前から動けなくなっていた。

 福島とともに尾行に参加していた桜木も、遅れてやって来た。

「あの二人を制圧しましょう」

 大江が囁いた。

「え?」

「いいから、桜木さんに命令してください」

 あの二人を、ビル内にもどしたくないのだ。

「桜木さん、その二人を捕まえてください!」

 突然、指示されても困惑するものかと考えたが、桜木の判断と動きは光速のようにはやかった。

 ネコ科の肉食獣のように、しなやかで力強い。スキンヘッドに足払いをかけながら腕をとって投げ飛ばす。

 いつのまにか、自白剤の男性の体重が倍に増えていた。大江も、男たちに迫っていたのだ。

 唖然と仲間がやられていることを眺めていたパンチパーマの背後から、地面に組み伏せていた。

「騒がれるまえに、連行しましょう」

 大江は簡単に言ってのけたが、大人を拘束するのは容易なことではない。

「桜木さんを手伝ってください」

 と言われても、蒼太は拉致されていた男性を支えている。福島が桜木に力を貸してスキンヘッドを立たせた。大江は、たった一人だけでチンピラの身体をあやつっている。

「いてて!」

 腕を強くひねっているだけではなく、ツボというか、いろいろな急所に指を入れているようだ。

「て、てめ──」

 大声をあげそうになった口を大江はふさいでいた。

「静かにさせてください」

 スキンヘッドの口も福島がふさいだ。

「この二人を、署まで運んでいいんですか?」

「とにかく、ここから離れましょう」

 ビルのなかに騒ぎを知られたくない。

 蒼太は、上方に音を感じとった。

 ドローンだ。徳本のドローンも、尾行からもどってきたのだ。

「警視!」

 声のほうを見た。古賀と細川だ。どうやら署にもどってきた二人を、ドローンでここまで案内していたらしい。

「古賀さん、手を貸してください!」

「この三人は?」

「この男性が拉致されていました。その二人が犯人グループの仲間だと思います」

 古賀に状況を説明をした。福島と桜木も事情を理解していないままに手伝わされているから、彼らにも向けていた。

「よくわかんねえけど、そのビルか?」

「そうです」

「そこにいるだれかが、その男性を拉致したってことでいいんだな?」

「それはわかりません」

 答えたのは、大江だった。

「じゃあ、拉致したやつらがべつの場所にいるって可能性もあるのか?」

「はい」

 取り押さえているチンピラたちが連絡を入れたであろうことも、蒼太は伝えた。

「わたしたちが尾行した女性の件と、関係があるんですか?」

 桜木雛乃が言った。福島と共同でスキンヘッドを取り押さえているが、いまでは古賀も加わっている。

「それもわかりません」

「だったら、いまここで尋問すればいい」

 古賀は簡単に提案したが、彼らが口を割る保証はない。もしそれをするにしても、場所は移動したほうがいいはずだ。

 だがそれではこのビルに拉致犯がいた場合に、逃げられてしまうことになる。

「とりあえず、訊いてみるぞ」

 古賀の合図で、福島がスキンヘッドの口から手をはずした。

「おい、おまえらどこの組織だ?」

「……サツか、てめえら!」

「いいから、答えろ」

「……」

 古賀の判断は早かった。福島に目配せすると、再びスキンヘッドの口はふさがれた。

「時間のムダだ。こいつらから連絡がいってるなら、ビルからもう出てきてるはずだ」

 ということは、なかに入っている不動産屋や消費者金融は無関係ということになるのだろうか。

「これ、いま葉月さんが追ってる女性と関係してるんじゃないですか?」

「ロッカーに入ってた金を、運び屋をつかって集めてるってことだな。警視たちがみつけたそいつが、金をネコババしようとしてシメめられたってわけだ」

 古賀が、予想を結論づけた。

「闇バイトをつかった犯罪ですよね、たぶん」

 桜木が言った。

「反社がバックにいるってことですよね?」

「だが、小規模なとこじゃない」

 大江の声は、冷徹に聞こえた。

「すくなくても、自白剤を用意できるほどの規模になる」

「自白剤? そんなの、本当に存在するんですか?」

 警護のプロである桜木では、想像すらしていなかった世界なのだろう。

「ベラドンナを栽培できれば、一応はだれでもつくれます」

 一応、という部分が重要なのだろう。成分を抽出して、調合することは素人では難しいはずだ。それよりも、すでに完成している商品を購入するほうがはやい。つまり、それを手に入れるだけの財力と人脈が必要になるということだ。

「でも……そんな植物、違法ですよね?」

「いや、自然にも生えてるし、栽培は違法でもなんでもない。ブルーベリーとまちがえて、中毒をおこすこともあるそうですよ」

 実については、絵が浮かんだ。

「じゃあ、自白剤自体も違法じゃないんですか?」

「違法薬物の成分がふくまれていれば、違法になります」

 そういう言い方をした。べつの表現をすれば、ふくまれていない自白剤に違法性はないということだ。

「簡単に手に入るものではありませんが」

 そこが、ある程度の組織、ということにつながるのだ。

「その組織が、ここに大挙してやって来るということですか?」

「どうなんですか、細川さん?」

 大江は、細川へ話を振った。そういう専門は、彼なのだ。

「……拉致した人間を、ただ痛めつけるためだったのか、殺すつもりだったのかによります。拷問じゃなくて自白剤をつかっているのなら、情報を得たかっただけなのかもしれないですね。その場合、その方に知ってもらいたくない内容だったのなら、消すこともあるでしょう。でも、それなら拷問で口を割らせればいいことです」

 結局、組織がこれからどういう行動に出るのか不明なままだ。

「たぶんですけど……ここには来ないんじゃなでいですかね。警察に保護された人間を取り返そうとするとは思えません。その二人に関しては、切り捨てられます」

「ですが、ぼくたちが警察だというのは、連絡をされた時点ではわかってないと思います」

「いえ、警察だということはバレています」

 細川は、自信なさげなしゃべり方とは裏腹に、断言していた。

「組織が拉致した人間をさらっていくなんて、警察しかいませんよ」

「それじゃあ、ここには来ないんですね?」

 桜木が確認した。細川は、うなずく。

「どうする? このビルを調べたいんじゃないのか?」

 古賀は、大江に聞いているようで、蒼太の意思を知りたいのだ。

「大江さん」

 蒼太は、意見を求めた。

「とりあえず、彼らをバスまで運びましょう。なかの人間は、まだ騒ぎに気づいていないかもしれない」

 彼らを聴取して必要と判断したら、このビルを捜索すればいい。


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