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5.八日(水曜日)
重苦しい空気が部屋に充満していた。
大勢の捜査員が集結している。杉並区で発生した誘拐事案の捜査本部だ。小学五年生になる男児が行方不明となり、身代金を要求する電話が両親にかかってきた。
それが四日前だ。犯人は一億円を要求したが、またかける、と言ったきり、新たな連絡はない。これまで報道協定をしいて秘密裏に捜査をしていたが、それも限界に近い。
「犯人が電話をしてきたのは神谷町の公衆電話からですが、周囲の防犯カメラには、あやしい人物は映っていませんでした」
「被害者宅に恨みをもつ人間は?」
「いまのところ……」
捜査を主導するのは、捜査一課だ。特殊犯捜査係──いわゆるSITも出動している。所轄組は難しい面持ちで、管理官と捜一課員の会話を耳にしていた。
「なにやってる! もう四日だぞ!」
管理官の叱咤が、部屋に響きわたった。
「ちょっといいですか?」
首脳陣側に座る一人が発言をはじめた。
「どうしました、後藤さん?」
後藤は、警視庁の人間ではない。警察庁から視察に来ている。
「この事件に、彼らを加えてもらいたいのです」
「彼ら? まさか新しくできる友軍署というやつですか?」
警視庁幹部には、この話は知れ渡っている。
「ほう、そんな名前で呼ばれているのですか」
「……」
捜査一課理事官の服部は、複雑な表情になっていた。現在、警視庁管内では、べつの重大事件が発生しているために、この部屋には捜査一課長はいない。役職としての最高位は、理事官の服部になる。
「警察庁の意向ということですか?」
「そうです」
後藤は明言した。官僚にしては、めずらいし意思表示といえる。そういうことをぼかすのが、官僚だ。
「ですから、新しい警察署──友軍署としておきましょうか。その署のお披露目をさせていただきたい」
「警察庁としての、正式な要請ということでいいのでしょうか?」
服部は、なにか問題がおきたとしたら警察庁に責任がある、という布石をうったのだ。
「なんでしたら、長官から通達を出してもらうこともできますよ」
「私の権限では、判断ができません」
「もちろん、刑事部長へは私のほうから」
新しい警察署の創設については、当然のことながら警視総監にも話が通っている。総監は、警察庁主導というのに難色をしめしているようだが、このことは与党政治家への根回しもすんでいる。給与支払者である東京都知事も同様だ。
「まだあまり理解はできないのですが……友軍署というのは、どうして短期間でできることになったんでしょうか?」
遠慮がちに、服部は会話を続けた。
「だいたい、どこに設置されるんですか? 建物は、既存のものをつかうということでしょうか? どこにも建設されていないですよね?」
服部は、詳細を理解していなかった。それは仕方がない。警察庁でも知っている者は少ない。警視庁にいたっては、総監ですらよくわかっていないだろう。
「建物は、必要ありません」
「え?」
「それこそ、友軍ですから」
後藤はそこで会話を打ち切って、その友軍署の責任者となる人物に連絡をとった。
* * *
「そうですか……わかりました」
後藤の言葉を、蒼太は重くうけとめた。
責任が肩にのしかかる。
警視庁にとって──警察組織にとって、これは前代未聞の実験的おこないだ。
「みなさん、最初の任務がきまりました」
場所は、大型バスの一階──メインルームのなかだ。さすがにメンバー全員が集結すれば、狭く感じる。
「どんな事件なんですか?」
「詳しい話は、まだこれからです。とりあえず、誘拐事件だということはわかっています」
重い空気が車内に充満した。
「ですが警視様、その捜査に本腰を入れられるんですか?」
古賀の声には、緊張感はない。そういうところは、さすがだ。
「これが、妹さんなんですよね?」
だが、これから向き合う事件について考えていたわけではないようだ。
メインルームの大型液晶モニターに映し出されているのは、ニュース映像だった。妹の朱里が、ボウガンをかまえた襲撃者に襲われているシーンが流れていた。
「すごくきれいな方ですね……」
花房ゆきが、嫌味のない言葉をもらした。
「ボウガンで襲われるなんて、物騒ですね」
徳本の言葉は、まさにそのとおりだ。一つわかっていることは、予想に反して、朱里が現場に出ているということだ。いまの電話以前に後藤に連絡を入れたのだが、そのことについてはうまくはぐらかされてしまった。
「こういうことになっていたんですね……」
しみじみと、福島が言葉をもらした。彼は一昨日、朱里に会っているのだった。ニュース映像は、昨日のものらしい。
「私がおみかけしたのは遺体発見の直後でしたから、妹さんはひどくショックをうけているようでした。むこうは、私の存在もわかっていなかったでしょうね」
それなのに、翌日になって再び現場を訪れたのだ。
「こっちの捜査に加わりたいんじゃないですか?」
古賀に言われた。丁寧な言葉づかいだが、蒼太の耳には、加わりたいんだろ、と乱暴に聞こえた。階級差がなければ、実際にそう言っていただろう。
「そんなことはありません。われわれの任務とはべつです」
フンッと、古賀はおもしろくなさそうに鼻を鳴らしていた。
「東杉並署までお願いします」
蒼太の声は、車内に反響した。ここでの声は、運転席の菊田にも聞こえるようになっている。
『わかりました』
スピーカーから返事があった。
バスが移動をはじめた。
「ところで……正式稼働になるんなら、決まったんですか?」
古賀の言っている意味がわからなかった。
「なにがですか?」
「名前ですよ、ここの」
「あ……」
この移動式警察署の正式名称についてだ。
「だれが権限をもってるんですか?」
蒼太は、考え込んだ。もしそのような権限をもっている人物がいるとすれば、後藤になるだろうか。この署をつくることになった発起人なのだ。
それとも、もっと上がいるのだろうか?
「確認してみてくださいよ」
古賀にせかされて、蒼太は後藤に連絡をとった。通話を終えたばかりだから、迷惑に思われるかもしれない。
『どうしたましたか?』
「この署の名前は、どうすればいいですか?」
『ああ、そういえば、ここの人たちからは友軍署と呼ばれていましたよ』
「友軍署?」
『そういえば思い出しましたよ。各方面に、新設する署について説明するときに、警視庁本部や所轄警察署にとっては最強の友軍になりますよ、と説明していたのでした』
忘れていたようだ。つまりその名称の出所は、後藤本人だったということになる。
「では、それが正式名称ということでいいんですか?」
『名前なんて、どうでもいいですよ。それが気に入らなければ、あなたのほうで決めてもかまいません』
「いいんですか?」
『はい。自由につけてください。なんなら、新しく集まったメンバーで話し合ってもいいですよ』
「わかりました……」
しばらく、エンジン音だけが耳に届いていた。
「なんだって?」
古賀の言葉で、にぎやかさがもどった。古賀たちは、後藤と会ったことはない。
「署の名前は、好きにつけて大丈夫のようです。なにかアイディアはありませんか?」
後藤の言うおとり、みんなで決めるのがいいだろう。
「ちなみに、本庁では友軍署と呼ばれてるみたいです」
「なんです、そりゃ」
古賀の反応はよくなかった。
「もっと可愛い名前がいいかなぁ」
花房ゆきが言った。
「カトレア署とか、パンジー署とか」
「却下」
冷たく反対したのは、男性陣ではなく、同じ女性の桜木雛乃だった。男勝りな彼女にとっては、女性的なネーミングは嫌悪の対象になるようだ。
「なんでしたら、みなさんの一文字を取ってつなげてみるとか」
葉月千草の意見は、とても平和的なものだった。彼女の性格がよくあらわれている。
「売れないバンドじゃあるまいし」
古賀は、だれに対しても辛らつだ。
「いえいえ、その発想は、むしろお笑い芸人に多いですよ」
徳本が、どうでもいい指摘を入れた。
「売れないバンドでも、おもしろくないお笑い芸人でも、どっちでもいいよ。もっとこう、華のあるやつがいい」
しかしだからといって、古賀には自ら提案するつもりはないようだ。
「ですから、ラベンダー署がいいですって」
公安の大江と、地域課の福島は、黙って話し合いを眺めている。ただし、大江のほうが無感情であるのに対して、福島のほうは愉快げな笑みが浮いている。
「……わかりました。とりあえず、いまは仮の名前にしておきましょう」
蒼太は、話をまとめた。
「仮の名前っていうのは?」
「そのまま友軍署ってことにします」
「えー」
花房ゆきは、不満顔だ。古賀も顔をゆがめている。
「あくまでも、仮称ですから」
そうこうしているうちに、杉並区の警察署に到着した。
警察署にはめずらしく、広めの駐車場が併設されていた。警察関係の駐車スペースは、ほぼ埋まっていたが、来客用には空きがあった。この移動式警察署をそこに入れた。大型バスを駐車する想定はされていないはずなので、さぞ菊田は運転に気をつかっただろう。
『係員が出てきました。話してもらえますか?』
菊田から交信があった。大型バスを入れてしまったから、慌てて飛び出てきたのだろう。古賀をスカウトしたときも、立ち番の警官に注意されそうになったのだ。
蒼太が車外に出た。そこにいたのは、制服姿の警察官が二名。
「すみません、われわれは──」
「存じています。山吹警視ですね? この駐車場を自由につかってください。ここぐらいしかありませんので」
このバスを停車できるスペースのことを言っているのだろう。
「わかりました、ありがとうございます」
それから二人の誘導で、大型バス──移動式警察署を、ベストなポジションになるように停車させた。ちょうど、警察署建物と並ぶような位置だった。
「では、行きましょうか」
一度、なかにもどってから、みんなに声をかけた。
そろって車外に出たときには、大勢の署員に囲まれていた。
「これが警察署ですか……」
どうやらこの署だけではなく、捜査本部に入っている捜査一課の人間もまじっているようだ。古賀の知った顔があったようで、仲良く話していた。
「山吹警視ですね? 管理官の藤木です」
年齢は四十代後半ぐらいだろうか。階級は同じになるが、歴戦のつわもの感が蒼太とはくらべようもない。
古賀が、もっと組織に忠実で、年齢と実績を着実に積んでいけば、将来はこういうふうになっていくのかもしれない。
「こちらへどうぞ。みなさんを待つために、会議を中断していました」
署内に入り、大きな会議室へ案内された。そこが帳場となっている。
こちらの署員が、九名。
捜査本部の人員は、はたして何人いるのだろうか? ざっと見ただけでも、五十人はいるだろうか?
のみこまれてしまうような感覚を味わった。
「みなさんは、こちらへ」
隅のほうに席が用意されていた。
どこか冷めたような視線が痛い。席につくと、すぐに歓迎されていないことを実感していた。
「そりゃそうか」
古賀が、愚痴のようにこぼしていた。蒼太と同じような心境になっているようだ。
「誘拐事件だというのは、ご存じですね?」
「はい、一応は」
詳しい状況説明はされていない。
「誘拐された少年の名前は、奏光平、十歳です」
「犯人からの連絡は、最初だけだったんですよね?」
蒼太は確認した。
「そうです。現金の要求がありましたが、それ以降はなにも……」
その後、新しく入った蒼太たちのためもあるのだろうが、事件の詳細が話し合われた。
誘拐されたと思わる通学路の地図。連絡に使用された公衆電話の位置。周辺の防犯カメラ映像について──等。
いずれも、容疑者特定にいたるものではなかった。
「被害者宅への怨恨も視野に入れてますが、いまのところ恨みをもっているような相手はいません」
管理官の口から、今後の捜査方針が伝えられ、班割ののち、会議は終了した。
蒼太たちへの指示は、とくになかった。
「で、おれらはなにをすればいいんですかね?」
古賀のそういう発言は、どうしても不謹慎に聞こえてしまう。幹部にしてみれば、造反の意思を感じるだろう。だから出世が遠いのだ。
「友軍署のみなさんは、自由に動いてかまいません」
遅れて、理事官の服部が話しかけてきた。この部屋では、役職的には一番上になるはずだ。階級は、管理官の藤木や蒼太と同じで警視になる。しかしキャリアである蒼太が一番若い。
「あ、その名前で勝手に呼んでますが、正式名称は決定したんですか?」
「いえ、まだです。ですから、その呼び方でかまいません」
「わかりました、仮の名称ということで」
不平が出ると面倒なので、メンバーの顔は見なかった。
「本当に捜査活動は、こちらの自由でいいんですか?」
そんな都合のよい話はない。警察とは、そういう組織ではないはずだ。
「もちろん捜査本部の邪魔をしないでくださるのなら、ですが」
やはり、そういう流れになった。
「勘違いしないでください。けっして、みなさんの力量を信用していないわけではありませんから」
その言葉を額面どおりに受け取ることはできない。
理事官が遠ざかってから、
「ま、自由にできるってんなら、いいじゃないですか」
それが皮肉なのか、本当に自由を歓迎しているのかわからなかった。古賀ならば、どちらもありうる。
「まずは、われわれのホームにもどりましょう」
全員で、バスに──署にもどった。
「で、なにからやりますか?」
「古賀さんは、どう思いますか?」
刑事課の長い古賀の意見は貴重だ。
「いや、ほら、おれはそんな偉い人間じゃないし」
どうでもいい謙遜だった。それとも、蒼太を困らせようとしているのかもしれない。
「ここで一番の年長者は、福島さんでしょ?」
「私は、地域課一筋のまわりさんだから、捜査なんて有能なことはできませんよ。優秀といえば、公安じゃないですか?」
福島は、大江に話の矛先を向けた。
「刑事捜査なんて、公安ではやりませんので。優秀といえば、警備も同じではないですか?」
一般に、公安・警備・刑務が出世頭だといわれている。
「わたしは、SP出身です」
抗議のように桜木雛乃が言った。
「あ、わたしは経理が専門ですので」
総務の葉月千草は、先回りして宣告していた。
「捜査といえば、生安や組対も得意分野でしょう?」
と、古賀。
「私は、反社が関わらないと……」
気弱そうな声と表情で、細龍こと、細川龍介は言った。これまで、彼が会話に加わることはあまりなかった。大江のように無感情なのではなく、引っ込み思案な性格だからのようだ。
「うーん、誘拐事件なんて経験ないですよ。それに、ぼくは特技をかわれてスカウトされたんでしょう?」
生安課の徳本も、そう続ける。たしかに、徳本と葉月に関しては、二人のもっているスキルによるところが大きい。
「なんだよ、これじゃあ、捜査なんてできないじゃないですか」
古賀は、投げやりに言った。
「ですから、もっと古賀さんがしっかりしてくれればいいんじゃないですか?」
その抗議は、花房ゆきのものだ。本当にそのとおりなのだが、古賀は天邪鬼を絵に描いたような性格なので、それをうまくコントロールするのは、蒼太の役目でもあるのだ。
いや、それは古賀だけにとどまらない。ここにいる全メンバーを生かすも殺すも、蒼太の力量しだいなのだ。
「こういう場合、一番人員がさかれるのは、なんの捜査になるんですか?」
真剣な表情になることを注意して、古賀に問いかけた。
「犯人からの接触が途絶えているのなら、被害者家庭と関係する人物の洗い出しですね」
「では、一番手薄になるのは?」
「……どうだろ。電話をかけてきたのは、公衆電話だからでしたよね?」
「そうです」
「そっちの防犯カメラは、もちろん調べてるんですよね?」
「そうですね。SSBCがあたってるはずです」
捜査支援分析センターは、防犯カメラの解析や、プロファイリング分析などで後方支援をする部署になる。
「手薄なのは、そこかなぁ?」
ずいぶん、適当な物言いだった。
「でも、周辺のカメラは調べ尽くしてるんですよね?」
花房ゆきの指摘だ。
「犯人だってバカじゃないだろ? 防犯カメラがないところでかけるんじゃないかな」
一応は、ちゃんと考察しているようだ。
「じゃあ、古賀さんは……公衆電話の周辺を調べたほうがいいというんですね?」
すべてをまとめるように、徳本が言った。
「まあ、どうせおれたちは邪魔者なんだから、そのなかでもあまり邪魔にならないところをうけもつのがいいんじゃないですかね」
投げやりなようで古賀の眼には、しっかりとした意思を感じた。
「わかりました。そうしましょう」
こうして、はじめての捜査活動に向かうことになった。
ここでも『朱』とのリンクシーンがあります。




