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4.七日(火曜日)
残りは、一人──。
「え? あの人ですか?」
そんな戸惑いの声を放ったのは、花房ゆきだった。
その人物の年齢は五十代。一見すると、ぼうっとして通りを眺めているだけだ。住宅街にある交番──そのなかから、なにをするわけでもなく、ただ見ている。
この周辺の通りには大型バスを停められるほどの道幅はないから、これまでに集めたメンバー全員で徒歩移動してきた。
「なにかしているようには思えないですけど……」
「ああやって、道行く人を観察してるんです」
蒼太は願望もこめて、そう言葉を返した。
「いや、あれはサボってるだけだな」
古賀が、すかさず本音をぶちまけた。
「ほう、あの人は……眼福さんじゃないですか」
「知ってるんですか、徳本さん?」
「ええ。都市伝説ってやつですよ」
「? なんですか、それ?」
徳本と古賀の会話に、女性陣が不思議そうな顔になっていた。
「まあ、にわかには信じられないような能力をもっているんですよ」
「え? あれですか、見当たり捜査の達人──みたいな?」
予想をたてた花房ゆきは、交通課勤務のときと同様に制服姿だ。
「うーん、そうといえば、そうなんだけどね……」
「こういうことじゃないですか?」
葉月千草が、会話に加わった。彼女も、事務職用の制服を着ている。
「見当たり捜査って、写真を記憶するんですよね? そうじゃなくて、捜査で会ったことのある人を覚えちゃうんじゃないですか?」
「うーん、近いんだけどねぇ」
「まさか……捜査だけじゃなくて、これまでに会ったことのある顔を?」
そうつぶやいたのは、桜木雛乃だ。女性陣のなかでは、圧倒的に身長が高い。
「そうなんだよ。これまでに会ったことのある全員なんだって」
「ん? いままでに会った全員? どういう意味だ?」
古賀には理解できないらしい。
「ですから、生まれてから、これまでに会った人物の顔を──」
徳本が言いかけたところで、それまで惚けたように通りを眺めていた交番警察官が、こちらに歩いてきたではないか。
「たしか徳本さんでしたよね?」
声をかけられた。
「品川署でお会いしましたよね?」
徳本はうなずいていた。しかし、これまでの話の内容から、徳本はこの交番警察官と面識があったのはわかっていたことだ。
一同は、そういう眼で徳本のことを見ていた。
「ちがうんですよ……」
その視線に応えるかたちで、徳本は発言した。
「ぼくは、品川署に配属されたことはありません。たまたま近くを通りかかっただけなんです。そのときに品川署から交番に向かう同期にあったんですよ。その光景を眼福さんは見ていたようだ」
「そのとおりです。名前については、その会っていた方に、あとでお聞きしていたんです」
「その同期から、忠告をうけましたよ。眼福に顔を見られたぞ──って」
「忠告?」
花房ゆきが、不思議そうにたずねた。
「言葉が悪かったですね。むしろ、それはいいことなんですから」
ますます謎が深まった、と花房ゆきの表情が告げていた。
「眼福さんに顔を覚えられたら、その人は幸運に恵まれるんですよ」
「はは、それは迷信です」
当の制服警察官──眼福が、あっさりと否定していた。
「でも、すぐに昇進したり、宝くじが当たったり、いろいろ噂は耳にしましたよ」
「たまたまです。それに、そんなことなら、いっしょの署にいる同僚たちは、みんなツキまくってることになる」
たしかに、そうだ。それに会った顔を忘れないのなら、膨大な人数になる。分母が大きければ、幸運になった者もそれなりにいるはずだ。それとは逆に、不運にみまわれる者も多いのではないだろうか。
「徳本さんは、どうだったんですか?」
花房ゆきが、素朴な質問をとばす。
「まあ、ぼくのことはいいじゃないですか……」
その言動から推察するに、とくに運がよくなったわけではないようだ。
「なんだぁ……」
花房ゆきが、残念そうな声をあげた。
「いえいえ、眼福さんのもたらす幸運は本物なんですって。
眼福さんに逮捕された犯人もツキに恵まれるって話は、有名ですよ。まさしく、福の神なんです」
「福の神……」
眼福の呼び名は、そこからきているのだろう──葉月千草の表情が、それをひらめいたと語っている。
「服役後に、いい就職口がみつかったり、結婚相手がみつかったり……」
「それも偶然ですよ」
謙遜するように、眼福本人が言った。
「じゃあ、わたしたちも?」
花房ゆきは、期待をみなぎらせていた。
「ふん、この異動も幸運だったらいいんですがね、警視様」
古賀が、皮肉なのか、愚痴なのかわからないようなことを口にした。蒼太は、なにも言葉を返さなかった。
眼福が、じっと一人をみつめていた。
「そういえば……あなたの名前は知りませんが、顔は知ってます」
眼福は、桜木雛乃に向かって言葉をかけていた。
「え?」
「たしか、二年前の三月に渋谷駅近くでみかけています」
桜木雛乃は、困ったような顔になっていた。
「あ、あなたも知っている。名前は、えーと、鈴木さんだ」
該当する人物はいないはずだ。しかし、眼福は大江新太郎をみつめていた。
「……信じられない」
大江がつぶやいた。
「鈴木?」
花房ゆきが、首をかしげた。
「……カバーのときの偽名だ。それをつかってたのは、もう四年もまえだ」
大江は公安部だから、目立つ行動はとらないだろうことはわかる。
「あれは、中華街でしたね。横浜の」
「……」
心当たりがあるようだ。
「あなたは、路地で男性と話していた。たまたま通りかかっただけなんですがね。相手の男性から、鈴木さん、と呼ばれていた」
「……念のためにお聞きしますが、その相手の顔は?」
「覚えていますよ」
当然のごとく、眼福は答えていた。
「……あの男はその後、姿を消した。日中両国にとっての火種になるような人物なんですよ」
「消した? そうですか、たしか昨年、みかけましたがね」
「どこで!?」
これまでの大江は、とても沈着冷静で、慌てることなど想像もできなかった。必死になるほどの情報らしい。
「あれは、池袋の路上でした。サンシャインの近くでしたね」
「……池袋」
大江は、いまにもそこへ向かってしまいそうな形相だった。だが現在の役目を思い出して、それをとどめたようだ。
「そういえば女性といっしょでしたね。髪の長い三十歳ぐらいの。それまでに二回みかけた女性でした。どちらも銀座です」
「……」
大江は、それきり黙り込んだ。
自身の追っていた人物に思いをはせているのかもしれない。
「それで──こんな大勢で、私になにかご用ですか?」
本題はここからだった。
「ぜひ、うちの署に来ていただきたいのです」
代表である蒼太が伝えた。
「私を?」
「そうです」
眼福と呼ばれる特殊能力は、まちがいなく新しい署の戦力になる。
「残念ですが、私は交番勤務が性に合っています。町を眺めているのは、楽しいですよ」
古賀が皮肉を言おうとしているのは、察知していた。
「眺めるだけじゃ、交番勤務にならんでしょう? やりがいのある仕事とも思えませんがね」
年上だから、一応は敬語になっている。
「それは、全国の地域課員を敵にまわしますよ」
眼福の反論に、女性陣と徳本がうなずいていた。
「これは失言でした」
わざとらしく古賀は、そう返した。意図した発言だったらしい。古賀は、よくこのような物言いをする。あえて波紋をたてたほうが人間関係がうまくいくと信じているようだ。
「でもね、うちに来ても、町を眺めることはできる。そうでしょ、警視様?」
古賀の視線にさらされた。
蒼太は、曖昧にうなずいておいた。
「あなたがリーダーなんですよね?」
「はい。山吹蒼太といいます」
「はじめまして」
ということは、これまでに目撃されたことはなかったようだ。
「そういえば……同じく山吹という名前の女性を知っています。とても美しくて、人を惹きつける魅力がありましたね。あなたに似ているようだ……」
「……たぶん、妹だと思います」
そこまで見た目だけで絶賛される女性を、蒼太は妹の朱里しか知らない。
「どこで眼にしたんですか?」
「昨日ですよ」
意外にも、過去のことではなかった。
「知りませんか? ここの管内で、遺体が発見されたこと」
「……関東各県でおこっているバラバラ殺人事件と関係があるというやつですか?」
葉月千草が思い出してくれた。
「そうみたいですね」
ここ最近、世間を騒がせている大事件だ。これまでに四人の遺体の一部が発見されている。頭部をはじめとした、ほかの部位の行方はわかっていなかったのだが、東京のどこかでみつかった、という報道を耳にしていた。
が、蒼太にとって重要なことは新署の発足なので、事件の詳細はよく理解していなかった。
「その第一発見者ですよ」
「え?」
なにかのまちがいだ。朱里は人事の業務だから、捜査活動をすることはない。
「聞いていないんですか?」
葉月千草に問いかけられた。
「……」
「兄妹で仲が悪いとか?」
「そんなことはありません」
連絡を取り合わないようにしているだけだ。
「……ちょっと、すみません」
そうことわって、蒼太は携帯を操作した。
「もしもし、香月さんですか?」
『はい。山吹警視ですね?』
警視庁の人事二課にいる女性警察官だ。同僚というには、蒼太の任務が特殊なので、いっしょに働く環境にないが、なにか人手が必要なときには彼女に頼ってもいいことになっている。
いわば、直属の部下のようなものだ。
それが警視庁としての決定事であるのか、それとも後藤の独断なのかは承知していない。
「あの、お願いがあります」
『なんでもおしゃってください』
香月は、明るい声で応じてくれた。
「ぼくの妹のことは知っていますか?」
『聞いております。山吹朱里警部ですよね?』
後藤から、そこのところは説明されているようだ。
「はい。妹は、いま警視庁管内にいると思います。なにか困ったことがあるようなら、手助けしてもらえませんか?」
『わかりました、おまかせください!』
通話を終えた。
みんなから、ふくみのある視線で見られていた。
「なんだよ……過保護なやつだな」
古賀からは、あきれられていた。
「すみません、話をもどしましょうか」
眼福に向き直った。
「福島廉三巡査長、わが署に来ていただけないでしょうか?」
蒼太は、あらためて頭をさげた。
巡査長というのは、警察法で定められた正式な階級ではない。巡査のなかで経験を積んだ警察官が、便宜上、拝命するものだ。後輩の指導にあたるリーダ的なポジションであり、給与も多くもらえる。交番勤務の地域課員に、一番巡査長が多いのではないか。
福島の年齢で巡査長(巡査)ということは、昇任試験を受けていないか、落ち続けているかのどちらかになる。おそらく前者だろう。むかしは無試験で昇任する場合も多かったそうだが、最近は稀なはずだ。ただし一番身近ともいえる古賀が、じつは捜査一課時代の功績によって無試験で巡査部長に昇格しているを知っていた。
ちなみにキャリアである蒼太に、昇任試験はない。
「おやおや……警視という階級の方に、そんなふうにお願いをされたら、断るわけにはいきませんね……」
「ありがとうございます」
「ですが、私は交番勤務しか経験はありませんよ」
「その経験が、必ず署の戦力になります」
これで、各部・課からメンバーを一人ずつ選ぶことができた。正式に、新たなる警察署を立ち上げることができる。はたして、どのような捜査活動になるのか、まだ想像すらできないが……。
ようやく、スタートラインに立つことができるのだ。
妹ちゃんが主役の『朱のファイル』とのリンクがありますが、本来であればそちらのほうをさきに読んでいることが前提となっているシーンです。もっとゆっくり両作品間で調整したかったんですけど…あとで書き直すことになるかもしれないです。




