静寂を裂く殺意
「知りません……この村では、よそ者が来ればすぐ目につきますから」
僕は知らないふりを選んだ。
すると、フードの奥から若い男の声が返ってくる。
「あれぇ?まだ来てないのか」
「××××……」
隣のローブの人物が何かを囁いた。
声が小さく、言葉は聞き取れない。
だが、それ以上に気になったのは、その響きだった。
人の声なのに、どこか歪んでいた。
僕は思わず尋ねた。
触れずにやり過ごすべきだったとも思う。
「そのレイヴンって人に、何の用があるんですか」
若い声の男はわずかに黙り、やがて答えた。
「殺しに来た」
「へ……?」
聞き間違いであってほしかった
けれど、確かに若い声の男はそう言った。
剣が抜かれることすらない村に、似つかわしくない殺意が姿を見せた。
その直後───
ローブ姿の二人の背後に、ひとつの影が音もなく現れる。
「こんにちは」
しなやかに振り上がった脚が、若い声の男の頭部へ叩き込まれる。
バキィッ!!
「私がレイヴンですが、何か?」
その身体は軽々と吹き飛ばされる。
若い声の男は木造家屋へ叩き込まれ、壁が派手な音を立てて崩れた。
「ひいっ!」
僕は悲鳴を上げ、その場にしゃがみ込んだ。
「××……!」
歪んだ声の存在がローブの中から腕を振るう。
顔を狙った拳を、レイヴンは片手で受け止めた。
僕の目は歪み声の主の腕に釘付けになった。
その腕は、黒く変質していた。
光を呑み込むような黒、皮膚はひび割れた岩肌のように荒れ、人とは思えない。
僕でも知っている、あれは───禍異の肌だ。
歪み声の主はすぐさま脚を振り上げる。
その脚もまた、同じ黒に侵されていた。
レイヴンも即座に脚を上げる。
二人の蹴撃が頭上でぶつかり合い、激しい殺気が空気を震わせた。
「私は耳がいいんだ……秘密の話も、全部聞こえてる」
「……殺してみなよ」
瓦礫の向こうで、吹き飛ばされた若い声の男が身を起こす。
「いるじゃないか、レイヴン・プリムローズ……わざわざ挨拶、ありがとう」
次の瞬間、そいつの背後の空間に硝子が割れるような亀裂が走った。
その裂け目は瞬く間に枝分かれし
甲高い破砕音とともに、その奥から炎が抑えを失ったように噴き出した。
「お返しするよ、さようなら」
若い声の男が、楽しげに告げる。
裂け目から溢れた炎が、生き物めいたうねりで地を走った。
冷えきった空気が一瞬で灼け、太陽と見紛う熱波がレイヴンへ襲い掛かる。
その先にいるのはレイヴンだけじゃない。
炎は僕まで呑み込もうとしていた。
「……ッ!」
レイヴンは僕の服を掴み、迫る炎から逃れるように駆け出した。
視界が紅蓮の色で塗り潰された。
魔法。
これが……魔法。
初めて目にしたそれは、僕の現実を薄紙のように引き裂いた。
あまりにも現実離れしていて、恐ろしいのに、目を奪われる。
魔法───それは、別世界へ通じる切符だった。
炎が迫る。
呑み込まれる……そう思った、その瞬間だった。
"白妃苞"
闇を思わせる気迫を纏った剣が、炎の前へ割り込んだ。
その斬撃に重なるように、白い花が宙へ散ったように見える。
猛り狂っていた炎は届く寸前で軌道を変え、周囲を焼いて消えていった。
そこにいたのは、剣を構えたフェルだった。
「ありがとう、フェル」
「レイヴン、今日はさすがに勝手が過ぎるぞ……!」
フェルから漂う空気には、苛立ちが混じっていた。
レイヴンはフードの二人へ問いかける。
「私はただの旅人なんだけどな……君たちに狙われる覚えはないよ」
若い声の男が答えた。
「とぼけるなよ」
「レイヴン・プリムローズ、そしてフェルキール・アシェイン」
「帝国への反逆を企てているだろう」
僕は思わずレイヴンとフェルキールへ目を向け、息を呑んだ。
(反……逆……!?この二人が……?)
フェルキールの表情が強張り、額に汗が浮かぶ。
レイヴンはむしろ愉快そうに口角を上げた。
「君たち、帝国の人間か……」
「おかしいな……まだ何もしていないはずだが、随分と筒抜けなんだな」
若い声の男は言った。
「この村へ来る前、宿で君たちの会話を聞いてね……」
「ああ、あそこの宿の壁は薄かったから……
しかし、女の部屋での会話まで盗み聞きとは、帝国も趣味が悪いね」
レイヴンは口元に笑みを乗せたまま、相手へ歩み寄る。
「反逆者狩りにしては人数が少なすぎる……これは君たちの独断か?」
「その通り。帝国は面倒な手順より、結果を持ち帰る方を好むからね」
「なら、君たち二人をここで殺せば……私たちは変わらぬ明日を取り戻せるというわけか」
若い声の男の目の前で、レイヴンが止まる。
腕を伸ばせば触れられる距離だった。
互いの殺意がぶつかり、その場は一触即発の気配に包まれる。
「やるかい?」
「ああ、抗わせてもらおう」
ピシッ……
若い声の男の背後で空間が割れた。
耳障りな破砕音が、開戦の合図になる。
裂けた空間から氷の魔法が放たれた。
凍てつく冷気が届くより早く、レイヴンの拳が若い声の男の顔面を打ち抜く。
さらに追撃へ移ろうとしたその時、横から歪み声の主が飛びかかった。
黒く変質した腕がレイヴンの体を掴み、その動きを封じる。
捕まった──そう見えた矢先、レイヴンの腕に異変が走った。
黒い外殻が浸蝕するように這い上がり、両腕を覆っていく。
解き放たれた一撃が歪んだ男の拘束を砕き、その体を地面へ激しく叩き落とした。
僕は目を疑う。
あの黒い肌は、歪み声の主と同じだった。
禍異の肌──それが、レイヴンの腕にも現れている。
「なんだあの腕……!」
フェルキールが険しい顔で答えた。
「"禍鎧浸蝕"だ
人間はある領域へ達すると、身体の一部に禍異の肌を顕現させることができる」
レイヴンの禍鎧浸蝕は
背中の肩甲骨から黒く広がり、両腕を禍異の外殻で包み込んでいた。
拳が振るわれるたびに禍々しい威圧が散る。
フェルキールが剣を構え、加勢しようと身を動かした瞬間、レイヴンが叫ぶ。
「フェル、シル!近づくな!」
「レイヴン……大丈夫か?」
レイヴンの笑みは消えない。
「問題ない」
レイヴンは建物を踏み台に戦場を縦横無尽に駆け、二人の挟み撃ちを崩し続ける。
激しい攻防の最中でも、その動きは少しも乱れない。
放たれる魔法も身体を掠める寸前で外し、即座に反撃へ繋げていく。
二対一の不利など、今のレイヴンには意味を成していない。
「レイヴンさん……まるで攻撃の軌道が全部分かってるみたいだ」
「ああ、さすがレイヴンだ……しかし、あの二人も侮れない」
「全属性の魔法を扱う者に、四肢すべてを禍鎧浸蝕させている者……どちらも尋常ではない」
そこへ、若い声の男が放った雷の魔法がレイヴンの着地点を射抜いた。
雷の大槍がレイヴンの左半身を抉り、消し飛ばす。
失われた側から血が荒々しく噴きこぼれ、地面を濡らしていく。
僕の呼吸が乱れる。
人間の体が、あまりにも簡単に欠けた。
人が死ぬ場面を、この目で見てしまった。
「レイヴンさん!!」
それでも、フェルキールは取り乱さなかった。
目の前で仲間の半身が吹き飛んだというのに、驚きも動揺も見せない。
「安心しろ、レイヴンにとって、あれはかすり傷にすらならない」
「え……?か、体が……消し飛んでるんですよ!?」
レイヴンを見る。
左肩から先は消え、抉られた跡が生々しく晒されている。
とても生きている人間の姿には見えない。
だが、次の瞬間だった。
失われた左半身を奪い返すように白い骨が伸びる。
骨は瞬く間に腕の形を取り戻し、指先まで一気に出来上がった。
その骨へまとわりつくように赤い筋肉が盛り上がり、血管が浮かび、皮膚が表面を覆っていく。
「……なんだ……あれ……」
レイヴンの左半身は、最初から欠けていなかったかのように元へ戻っていく。
出来上がったばかりの左手がゆっくり閉じる、開く。
指を折り、手首を返し、レイヴンは新しい腕の感触を確かめていた。
これも、魔法……?
魔法で、失った腕まで戻るのか。
混乱した頭へ、フェルキールの声が差し込んだ。
「レイヴンは……夜叉だ」
「夜叉……?」
今日だけで、僕は知らないものをいくつ見せられただろう。
けれど、その中でも今の光景は群を抜いていた。
「一言で言えば、不死身
どんな致命傷を受けても死なない」
レイヴンはもう歩き出していた。
戦いの風に煽られ、前髪が揺れる。
隠れていた左目が、ふいに露わになる。
……紅い。
レイヴンの左目は、異様な紅を宿していた。
「夜叉の能力がある限り、敗北はない」
フェルキールが言い切った。
誇張でも虚勢でもない、間違いない。
若い声の男は、そこへ容赦なく次の魔法を重ねた。
氷刃、雷撃、濁流
どれも人を殺すには十分すぎる威力だった。
だが、レイヴンは止まらない。
身体に裂傷を刻まれ、体の一部を失っても、すぐに再生していく。
相手からすれば悪夢だ。
目の前にいるのは、攻撃を恐れない存在
どんな欠損も、レイヴンの足を止める材料にならない。
やがてレイヴンは鼻先の距離まで入り込み、拳が振り抜かれる。
戦況を見つめながら、フェルキールが言った。
「私たちは反逆の意志を抱く者だ……
帝国の独裁を終わらせ、声を奪われた者たちを救う。そのために剣を取った」
「そして、夜叉の力には───それを現実に変える力がある」
歪み声の主が迎え撃つ。
拳と拳がぶつかった瞬間、耳障りな衝突音。
レイヴンの体が、わずかに押し返される。
押し負けている
それでもレイヴンは退かない。
潰れ、折れた腕で相手の拳を受け止めたまま、力任せに前へねじ込んでいく。
腕の形が崩れる。
レイヴンは、その崩れた腕のまま殴った。
痛々しい、それなのに、目を外せない。
レイヴンは笑った
容赦を捨てた、狩る側の笑い。
「……すごい……これが、レイヴンさんの力……」
頭の中で何度も思い描いていた「笑ってしまうような妄想」が、今は目の前で現実になっている。
このまま押し切れる。
そう思わせる勢いが、確かにあった。
戦場の流れは完全にレイヴンへ傾いていた。
どれだけ魔法を浴びせても止まらない。
そんな相手に勝てるはずがない。
僕の中にも、ようやく安堵に近いものが生まれかけていた。
歪み声の主が、なおも拳を振るう。
何度も叩き込まれてきた一撃のひとつ。
本来なら、もう脅威にならないはずのそれが、レイヴンの胸を深々と貫いた。
レイヴンの口から血がこぼれた。
僕は思わず目を背けた。
けれど、恐怖はなかった。
レイヴンは不死だ。
胸を貫かれようと、身体を失おうと、また再生する。
そう信じきっていた。
異変が起きたのは、その時だった。
傷は塞がり始めている。
それなのに、遅い。
これまで見てきた再生とは比べものにならない。
「……あ?」
レイヴンの顔つきからも余裕が削れていた。
その異変を見て、フェルキールの目つきが変わる。
「レイヴン……?」
その声に混じった揺れは、聞き間違えようのない動揺だった。
歪み声の主が、また一歩ずつレイヴンへ寄っていく。
ズッ……
生々しい音が響いた。
腕が、レイヴンの胸を深く貫いた。
「ぐっ……うっ……」
初めてだった。
レイヴンから、痛みを堪えきれなかった声が漏れる。
これまでどれだけ攻撃を受けても崩れなかった彼女が、今は露骨に苦しんでいた。




