不死身の死
胸を押さえた指の隙間から、血があふれていた。
服はみるみる赤く染まり、口元からも血が伝って落ちる。
レイヴンの傷が塞がらない。
いつもなら、とっくに癒えているはずなのに。
「レイヴン!」
フェルキールは思わず前へ出た。
だが、レイヴンは片手を上げ、それ以上近づくことを許さなかった。
「……来るな、フェル……君では敵わない」
「だが……!」
フェルキールは食い下がる。
その目には動揺が浮かび、保っていた冷静さが崩れていく。
レイヴンはうっすらと笑った。
僕らの不安を鎮めるような笑みだった。
「問題ない……少し再生が鈍っているだけだ、まだ戦える」
けれど、傷は閉じない。
裂けた肉からは血が絶えず流れ続けていた。
ローブ姿の二人が、ゆっくりと距離を詰めてくる。
レイヴンは若い声の男へ殴りかかった。
だが、その動きは遅い。
子どもをあしらうように、男はわずかに身をずらして拳を外させた。
振り抜いた勢いのまま、レイヴンの身体が大きく揺れる。
「……っ」
もう笑みは消えていた。
レイヴンは崩れかけた身体を、気力だけでどうにか支えている。
若い声の男が愉快そうに口を開いた。
「どうしたの?その様子じゃ、明日を拝む前に終わりそうだね」
「……私の体に、何をした」
問いに返ってきたのは、魔法だった。
「ぐぅぅぅう……!」
放たれた一撃はレイヴンを容赦なく焼き
力の抜けた身体は、受け身も取れず地面へ叩き落とされる。
「君の能力は鬱陶しかったから、僕の魔法で少し黙ってもらったよ」
「夜叉の力を……ね」
その言葉に、レイヴンの表情が変わった。
「……何故、夜叉のことを……」
その光景を前に、フェルキールは理性を保てなくなった。
「貴様ら……レイヴンに触れるな……!」
フェルキールは剣を握り、レイヴンの前へ出た。
「……フェル……逃げろ……!」
「逃げない……」
「貴女はここで失わせはしない、この命に代えても……守る……!」
闇をまとった一閃が走り、その軌跡から花のような幻が舞い散った。
華やかで鋭い、だがその本質は、迷いのない殺意だった。
若い声の男は、それを容易くかわす。
直後、横から歪み声の主が襲いかかる。
フェルキールは即座に剣を返し、その身を斬り裂いた。
確かな感触があった。
だが次の瞬間、相手の脚が振り抜かれる。
蹴りは深くめり込み、フェルキールの身体は大きく吹き飛ばされた。
「……っ!」
背中が壁へ叩きつけられ、古びた木板が震えた。
剣は手を離れ、床を転がっていった。
フェルキールは白目を剥いたまま崩れ落ち、そのまま意識を失う。
「フェル……!」
瞬きの間に、状況がひっくり返っていた。
死なないはずのレイヴンが今は死の淵へ沈みかけ、フェルキールも壁際に沈んでいる。
「君は、この二人とは無関係だろう?なら帰っていいよ
反逆者の脅威は僕らが片付けておくから」
若い声の男が、親しげな調子で僕に話しかけてくる。
そうだ、と心のどこかが認めていた。
僕は巻き込まれただけだ。
レイヴンたちと会ったのは今日が初めてで、ここに残る理由なんてない。
じり、と足が後ろへ退く。
逃げるつもりだった。
(……またこうして、僕は逃げ続けるのか?)
身体は逃げようとしているのに、心の奥の何かが、それを許さなかった。
『帝国の独裁を終わらせる』
『声を奪われた者たちを救う』
『夜叉の力にはそれを現実に変える力がある』
レイヴンが、夜叉がここで消えれば、この国は変わらない。
これから先も同じ悲劇が続くだろう。
足元の石が目に入った。
気づけば、石はもう手の中にあった。
今まで踏み出せなかった一歩を、この瞬間、僕は踏み出した。
震えるまま、それを男へ向けていた。
「それは……どういうことかな……?」
若い声の男が近づいてくる。
狙いが僕へ移ったことは、もう疑いようがなかった。
「レイヴンさん……逃げてください」
笑ってしまう。
こんな抵抗、無謀にもほどがある。
自分でもそう思う。
「……僕らと戦うつもりなんだ……それは何故?」
身体の震えを抑え込み、僕は口を開く。
「関係ないと言われたら……その通りだ
でも、あの力を見たら……ここで見捨てることなんてできない」
「レイヴンさんには、この帝国を変える力がある」
「ここで消えたら、悲しみの連鎖は終わらない……!」
若い声の男は、感心したように言った。
「なるほどね。夜叉の可能性に賭けて、自分を捨てる気か……」
僕は続けた。
今まで言葉にできなかった本音を、ようやく口にするように。
「ここで逃げたら……僕はまた、同じ場所に戻る
働いて、不満を抱えて、何も変えられず……ただ死んでいくだけだ」
「何事もなく生きて、何事もなく人生を終えるのが幸せだって人もいる
それを否定するつもりはないし……それも正しい」
「でも……僕は、もうそこへ戻りたくない」
指先が震える。
情けないほど震えが止まらない。
「何も残せないまま終わるくらいなら……」
「誰も救えずに生きていくくらいなら、誰かを救って終わりたい……!」
若い声の男の背後で、空間が割れた。
魔法が来る。
「称賛に値する勇気だ……だが、無謀だ」
呼吸が乱れる、涙で視界がぼやける
死が、もう目の前まで来ていた。
(走馬灯って……こういう時に浮かぶものなんだっけ)
もし出たとしても、きっとつまらないものだろう。
何も起きない景色が、ぼんやりと流れていくだけだ。
炎の魔法が放たれた。
辺りが火に呑まれる。
咄嗟に腕を上げて身を守ろうとした瞬間、両腕に焼ける痛みが走った。
「うああ、ああああ……!」
その痛みに、悲鳴がこぼれる。
その時だった。
揺れる炎の向こうから、レイヴンが姿を現した。
「レイヴンさん……!逃げて……!」
けれど、レイヴンは退かなかった。
動こうともしない。
ただ、僕の名を呼んだ。
「……シル」
「レイヴン……さん……?」
血の匂いが濃い。
それだけで、もう長くはもたないのだと分かった。
「……夜叉の力を封じられた今、私はここで終わるだろう」
その一言が、絶望を容赦なく突きつけてくる。
「シル……君の言葉で、私の迷いは消えたよ」
「残された……たった一つの道」
「君が夜叉を継げ……そしてフェルと共にここから逃げろ」
その目に、迷いはなかった。
「僕が……?」
「君しかいない」
「そして……継いでほしいのは、夜叉の力だけじゃない」
「私の意志もだ」
僕が、反逆者になる……
レイヴンの代わりに帝国を討つ……
「でも……」
自信なんてなかった。
喧嘩ひとつしたことのない、何も持たない村民だ。
そんな僕に、本当に背負えるのか。
言葉が続かず、僕はレイヴンを見つめることしかできなかった。
「従順な部品を演じることしかできない日々は……もう飽きただろう?」
「さっき君は、逃げずに恐怖の中へ進んだ」
「勝てないとわかっていても、それでも君はあの二人に抗おうとした」
「私はあの一歩を見た」
「その勇気は、君の進む先を照らすだろう」
考える余裕はなかった。
一歩、また一歩と、死がこちらへ近づいてくる。
逃げ道はない
選択肢はもう残っていない。
僕は唇を噛み、うなずく。
「……わかった」
「夜叉の力……僕が受け継ぐ」
「……ありがとう、シル」
レイヴンは、わずかに微笑んだ。
そして、左頬へ指先を添える。
炎に囲まれているのに、その手は冷たかった。
触れられた瞬間、意識が途切れた。
脚から力が消える。
身体が傾き、地面が迫る。
最後に映ったのは
僕を強く抱き寄せるレイヴンと
何かを叫ぶフードの二人の姿だった。
~~~~~~~~~~
風に揺れる木の葉の音で目が覚めた。
まだ霞む頭のまま、僕はゆっくりと体を起こす。
見慣れない、知らない一日。
僕の身体には、あの二人が身につけていたローブが掛けられていた。
家々には焼け跡が残っている。
火は消え、柱も壁も黒く焦げついていた。
あれほど激しかった戦いの音はもうない。
村には静けさが満ちていた。
視線の先に、木にもたれかかるようにして、ひとりの人影が座っていた。
その姿を、僕は知っていた。
レイヴンだった。
その目に光はない。
僕が近づいても、視線は動かなかった。
それでも口元には、かすかな笑みの名残があって
彼女はただ、そこに座っていた。
「レイヴン……さん……」
夢なんかじゃなかった。
僕は動けなかった。
足元が凍ったように、ただ立ち尽くしている。
目の前で、人が死んでいる。
ついさっきまで言葉を交わしていた人が、笑っていた人が
もう二度と動かない。
現実を受け止めきれず、思考が真っ白になっていく。
やがて、レイヴンの身体が崩れ始めた。
灰だった。
風にさらわれて消えていく
まるで最初から、ここに人なんていなかったように。
僕は何もできなかった。
立ち尽くしたまま
彼女の最後の痕跡が風に消えるところを見ていることしかできなかった。




