灰色の弾丸
「う……ぐォォ……!」
「ティナ!」
ティナートの膝が崩れ、巨体が大きく傾いた。
焼け焦げた匂いとともに傷口から血が溢れ出し、火線が脚を貫いていたのだと、そこでようやく理解した。
彼ですら反応できなかった一撃に、その場は絶望へ沈みかけた。
だが、その絶望を切り開くように、コシュルはすぐに魔法を放った。
"霜の縫合糸"
放たれた氷の魔法が、ティナートの傷口へ集まっていく。
塊となった氷が失われた肉の代わりを成し、白い糸にも見える冷気が肉と氷を縫い合わせる。
「傷が塞がっただけじゃねェ……痛みまで引いてやがる」
「欠けたところを氷で補填しています……神経を強引に繋いで動けるようにし、痛覚も抑えていますが、あくまで応急処置です……何度も使えば、そのぶん負担が蓄積します」
「上出来だぜェ……すげェよ、コシュルちゃん」
たとえ致命傷であろうと、無傷のような錯覚を与えて命を繋ぐ神の恩寵。
だが、その偽りが保たれるのは、氷が溶けきるまでだ。
「シル助ェ!下がってろォ、あいつには手を出すな」
「……でも……!」
「心配すんな、油断しただけだ」
夜叉の不死身を晒すわけにはいかない。
戦いに加わったところでできることはないが、ティナートを守る盾くらいにはなれたかもしれない。
けれど、その役目すら果たせない。
「コシュルちゃん、すまねェ、援護頼む!」
「はい!」
誰ひとり反応できない速度で放たれた、灰炎の弾丸。
相手の危険さは、たった一撃で骨身に刻まれた。
こいつは間違いなく解呪禍異だ。
それでもティナートは怯まない。
僕らの後ろへ、一歩も通さないために。
~~~~~~~~~~
灰色の炎がティナートを呑もうと迫った瞬間、コシュルが"魔封の薄氷"を差し込んだ。
薄氷は灼熱を受け、溶け崩れながらも、その威力を削いでいく。
「コシュルちゃんの盾……あったけぇぜ」
その盾の後ろで、ティナートが構える。
"双竜拳"
ティナートは薄氷を砕いて前へ出た。
解呪禍異の懐へ潜り込み、防御のために上げられた腕へ雷速の拳を叩き込む。
重ねられた打撃に防御は耐えきれず、解呪禍異の身体から守りが消えた、その瞬間──
「コシュルちゃん!俺の腕を凍らせろォ!」
ティナートの右腕が、溶けた。
そう表現するのが正しいのかわからないが、ドロリと液状化したように波打っていた。
「は、はいっ!?」
その腕の表情は水。
双竜拳の中でも、しなりを活かした打撃に長けた形だ。
水へ変じた右腕は、振り抜かれる勢いで細く鋭く伸びていく。
その形をコシュルが凍結させたことで、水の腕は氷の刃へ変わった。
振るわれた一撃は、解呪禍異の身体へ剣傷めいた裂け目を刻み、黒い血を噴かせた。
「手刀で……斬った……!?」
「クソッ……浅ェかァ!」
禍異
その異形は人間の身体能力をはるかに上回り、長く相対するほど不利になる。
そのため、禍異を相手にする時、人は武器か魔法を手放さない。
長く付き合わず、戦いの中で生まれる一瞬の隙へ確実な有効打を通す。
それが、人が禍異と戦う際の基本だ。
一方で双竜組若頭、ティナート・レッドバッドは違う。
武器や魔法で隙へ致命を通すのではなく、連なる殴打で相手を崩し、その先へ双竜拳を叩き込んでねじ伏せてきた男だ。
ただ、今回は別だった。
背後には、正体を晒せない夜叉のシルと、前線に不慣れなコシュル。守るべき二人がいる。
相手は魔法を主軸に攻めてくる個体であり、一撃でも早く致命へ届く攻めが求められるこの状況で、殴打の連なりだけで押し切るのは分が悪い。
ティナートは、その不利を肌で察していた。
守るために要るのは殴打ではなく斬撃だと、無数の実戦で磨かれた勘が告げていた。
解呪禍異が苦しむように藻掻く。
今の一撃で勝機を掴んだ──誰もがそう思った。
だが、ティナートは戦いの中に混じる小さな綻びを捉えていた。
その違和感を察する鋭さは、誰より優れていた。
(こいつ……動きがやけにトロいなァ……)
この解呪禍異の動きは錆びた歯車のように動きの節々が重い。
死に際から復活した個体なら、その先にまだ何かあるかもしれない。
ティナートはそう読んだ。
(……なら、出来上がる前に潰さねェと厄介か……)
解呪禍異がびくりと震えた。
人差し指を突き出した瞬間、空間が割れ、灰色の炎が揺らいだ。
ティナートの脚を貫いたあの一撃──それが今度は近距離から撃ち出される。
だが、二度は通させないとでもいうように、ティナートの目はその軌道を捉える。
灰炎の弾丸は拳の脇を掠め、熱と衝撃を撒き散らして背後へ抜けた。
「ッぶねェ!」
「ティナートさん、避けてください!」
支援だけで終わりたくない。自分の攻撃が、この戦いを動かす起点になってほしい。
そう願うようにコシュルは息を吸い、詠唱へ入る。
周囲の熱が奪われ、戦場はたちまち白く染め上げられた。
濁った冷気の中、拳大の氷塊が無数に浮かび上がる。
"悼みの涙"
振り払われた手に従い、氷塊が一斉に撃ち出された。
吹き荒れる氷の群れは豪雨のように視界を埋め、敵の動きを潰していく。
透き通る氷の輝きは美しいが、敵を壊すために研ぎ上げられた凶器だった。
しかし決定打には至らず、その背後に灰色の太陽を思わせる魔法が開くと、膨れ上がる熱が冷気をねじ伏せ、氷塊は溶かし尽くされていく。
「……なんて灼熱……足止めにもならない……!」
コシュルの絶望すら待たぬ灰色の太陽は、無差別に熱線を吐き散らした。
さらに、灰色の太陽による熱線だけでは終わらず、蛇のようにうねりながら追いすがる炎を重ねて放つ。
ティナートは家屋の壁を次々と蹴って飛び移り、目まぐるしく位置を変えながら、解呪禍異の照準を狂わせていった。
「その余裕こいたツラ、叩き潰してやる……待ってろよォ……!」
その無茶苦茶な動きへ、コシュルの援護が重なる。
ティナートが壁を踏み込む一瞬の隙、そこを"魔封の薄氷"で炎を遮る。
即席の連携には見えなかった。
まるで長く組んできた戦士同士のように、互いの動きを理解していた。
「相性ばっちりだぜェ、コシュルちゃん……!」
ティナートにとって、これ以上ない動きやすさだった。
コシュルの援護がある限り、灰炎の脅威は大きく削がれる。
——だが、人の魔法には限りがある。
コシュルは今、その重い役目を一人で背負っていた。
彼女の魔力が尽きれば、この連携は一気に崩れる。そうなればティナートも押し潰される。
対する解呪禍異は、炎を放つたびに洗練されていく。
あれだけ魔法を乱発しているのに、勢いはまるで衰えない。
「一丁前に、戦いに慣れ始めてやがるみてェだなァ……禍異さんよォ」
むしろ解呪禍異は、じわじわと手数と攻めの幅を増やしていく。
ようやく懐へ入り込んでも、氷の刃に対応し始めたのか、攻撃の通りも少しずつ悪くなっていた。
人が禍異との戦いで短期決着を狙う理由は、身体能力の差とは別にもう一つある。
半端に知能を持つせいで、戦いが長引くほど面倒になる。
その厄介さが、今まさに目の前で形になっていた。
解呪禍異の変化は、ティナートが危険を背負って攻めなければ届かない域にまで達していた。
「あっちィなァ……!」
欲を出した。
もう一撃届くと見たティナートは、攻めを止めなかった。
限界まで攻めを重ねたティナートの腕を、灰炎が焼いた。
「ティナ!無茶しすぎだ!」
「わかってるよォ、シル助……でもよォ……無茶しねェと、守れねェよ……!」
~~~~~~~~~~
僕は、その戦いを背後で見ていることしかできない。
二人には夜叉の力がない。
常に死の淵だ。
そんな場所で、僕だけが立ち尽くしている。
(迂闊に動けば、夜叉の力を見られる……)
(何もしない……そうしなきゃいけないんだ……!)
見られた瞬間、皆を巻き込むことになる。
だからここで堪えるしかないのだと、何度も胸の中で繰り返した。
その時だった。
ティナートを貫いた灰炎の弾丸が、再び空間の割れ目から顔を覗かせる。
一つ、二つではない。
三つ、四つ──いや、数える間にも増えていく。
一点から吐き出された無数の灰色の弾丸が、戦場の全方位へ散った。
散った弾丸は、壁へ当たるたびに軌道を折り、反射を繰り返しながら戦場を蹂躙していく。
(避け……きれねェ……!)
解呪禍異が、完成した。
「ティナートさん!」
コシュルは即座に"魔封の薄氷"を張った。
しかし灰色の弾丸は面を焼く炎ではない。殺傷に特化した兵器だ。
それを易々と貫通し、槍のようにティナートを撃ち抜いた。
「ぐァァッ……!」
コシュルの視線はティナートへ釘付けになる。
反射的に"霜の縫合糸"が展開される。
連発できない術だと承知していても、ここで切らない選択肢はなかった。
傷を塞ぎ、戦線へ戻すための選択としては間違っていない。
だが、その意識はティナートへ集中しきっていた。
反射した灰色の弾丸の一つが、コシュルへ迫る。
狙いは胴ではなく、顔面、そのど真ん中。
まともに食らえば、声を出す間もなく死ぬ。
「コシュルさん!!」
「え……?」
声に反応して気づいたときにはもう遅い。
灰色の弾丸は、回避も防御も間に合わない距離まで迫っていた。
コシュルが……死ぬ。
そう悟った瞬間、他のすべてが視界から消えた。
無理にでも、コシュルを止めるべきだったのか。
僕が残って、フェルキールとティナートに全て任せるべきだったのだろうか。
遅すぎる後悔が、頭の中を埋めていく。
今さら何を悔やんでも戻らない過去が、胸を抉る。
『大好きなこの街を……私も守りたいんです』
脳裏に焼きついたコシュルの覚悟が、頭の中で渦巻く。
迂闊に動けば、夜叉の力を見られる。
何もしない方がいい。
──それでも……!
「この能力を隠すために、見殺しにできるかよ……!」
僕はコシュルの前へ身を投げ出し、迫る灰色の弾丸を真正面から受けた。
灼熱が皮膚を裂き、衝撃が肉を抉り
肺の奥に火を押し込まれたようで、息を吸うことすらできなかった。
炎は心臓へ届いたところでようやく止まる。
僕はその場に膝をついて、そのまま意識を手放した。




